よしなきこと
織田家の娘を娶ることになった。
無論、政略結婚だ。
予め文の一つも送れば良かったのかも知れないが、そんな悠長さは今の時代、今の私に存在しない。
私達は、夫婦の誓いを交わすためにその日初めて出会ったのだ。
この戦国の世において、戦って相手を削除する以上に関心をもつべきことなど存在しない。
存在するとしたら、それは悪だ。
だが、次代の世のため、和子は必要というもの。そのためには妻も不可欠だ。
決心をして、部下の話を前向きな姿勢できき、今日、祝言の日を迎える。
恋愛結婚でないことにためらいはなかった。一人の女に思いをかけて、それが何になるというのだ。
私は正義のために生きるのであり、この命はそのためにのみ支払われる。
仲睦まじい夫婦などになりたいとは思わない。そのようなつまらないものに興味はない。
私がなるべきはよい夫ではなくよい為政者であり、妻はその添え物であるべきだ。
私の邪魔をしなければそれでよい。無駄口を叩かない女ならそれでよい。
そこに飛び込んだこの縁談。決して悪い話ではなかった。
織田家の娘と言っても、ただの娘ではない。あの信長公の妹だ。噂では大変な美女ということで、朝から落ち付きのない家臣もいた。
だが、妻の見目など私には関係ない。
実際に見た女は、なるほど、想像よりずっと美しかった。
それは私に何の感慨ももたらさない。
陰鬱な表情、細い身体、絹糸のようにさらさらと頼りない髪、かすれる小さな声。
この女はこれで丈夫な和子が産めるのか。
まず疑問に感じたのはそれで、交わった時それは疑惑に変わった。
声の一つもあげず、かたくなに身体を縮こまらせていた。何度抱いても血はでるし、終わったあとに必ずめそめそと泣く。
壊れ物を抱くようにそろそろと、驚かせないよう慎重に扱ってもそれは変わらない。
特に、泣かれるのと血がでるのには閉口した。
自分の一物がそれほど大きいのかと不安になったくらいだ。
他人と引き比べたことなどないが、そんなことは無いと思う。
だとすれば、この女が小さいのか、それとも私を受け入れようとする気がないのか。
その両方であるように思った。
考えてみれば不憫な女だ。
日がな一日、外にでることもせずに部屋ですごしているらしい。
こちらに友人などいないのだから当然かもしれない。
鬱陶しい顔でいられるのはこちらの気も滅入るというものだが、何度か注意したら怯えられてしまった。
小動物のように部屋の隅に行き、ごめんなさいごめんなさいとしくしく袖を濡らすのだ。
私は正しいことをしているし、言っている。
常に、常にだ。
私は一度足りとも間違えない。
私は正義そのものの具現であるべきだからだ。
それが必然、それが道理。
そのはずなのに泣かれると、まるで私が悪であるかのようではないか。
そのことは私を酷く不快にさせた。すると私の不快が女にも伝わるのか、またごめんなさいごめんなさいと言って泣くのだ。
逐一鬱陶しい女だった。
これでも、私なりにこの妻をきづかおうとはした。
そう、私は努力した。
政務の間にもなるべく顔を出したし、着物やら何やらを送ってやりさえした。
選ぶのは乳母に任せたが、私に美的感覚を求められても困る。
私の乳母は確かな感覚をしていたらしい。あしらえた薄浅葱の着物は、女にひどく良く似合った。
似合うではないか。
私がそう言っても、女はうつむいたまま、嬉しそうな顔一つしない。
叱っても褒めても、良いように動かないこの女を、いったいどうしろというのか。
持て余し気味に感じていたある夜、いつものように後味の悪い交わりのあと、女は寝所でこう漏らした。
この女が自発的にものをいうのを、私は初めてきいた。ただし、中身はこうだ。
殺してください
どうか、市を
殺してくださいまし、長政さま
私は溜め息をついた。
そうして、聞こえないふりをした。
この女が死にたがっているのは知っている。
だが私にこの女を殺す意思はないし、そうである以上無視は最善の道であるかに思えた。
しち面倒な女だ。満足な身体と美しい容姿をもち、相応の立場をもって何が不満だというのか。
女は、私が寝たものと思ったらしい。諦めたのか、それっきり何も言わなくなった。
次に女の言葉をきいたのは、私が戦から帰ってきた時だった。
農民の叛乱だった。農民ごときが武器をもって私に立ち向かおうとしているのを、見ることさえ不快だった。
首謀者の首を晒してやろうかと城まで塩につけて持って帰ってきたが、家臣の一人がそれを止めるように進言してくる。
そのような行いは、残虐非道な君主がすることである、と。
言われてみれば、納得できるだけの理由があった。
名のある武将であるわけでもない。
この場合はむしろ、簡素にでも葬ってやるほうが良いだろうと。
正義にはむかった連中にどうしてそこまでしてやらねばならぬのかと思ったが、家臣の進言に耳を傾けるのも私の役目である。
ならば墓の準備をしなくてはならぬなと言い残し、首はひとまず城へと持って帰ってきたのだった。
こういうのはケガレがあるのだから敬遠したいところだが、致し方ない。すぐに寺に持ってゆけば良い。
首謀者の首桶を庭において、私は水を浴びに行った。
寺に行くには水ごりをした方が良いだろう。
忌まわしい首を持って行く役目など誰かに押しつけようとも思ったが、誰もが嫌がる仕事をこなしてこそ正義の君主である。
戦の埃をおとし、庭に向かうと、そこに女がいた。
私の妻であるはずの女だ。
青白い顔をより醒めさせて、首桶の中身を覗いている。
案外好奇心は強いのかもしれない。わからない。この女のことは、本当によくわからぬ。
「市」
呼び掛けると、びくりと細い肩を震わせ……そう思ったのだが、驚いたことに、市はそうしなかった。
人形のような顔をぎこちない所作で回し、暗闇を閉じ込めたような瞳で私をとらえる。
「市、そのようなもの、女子が見るものではないぞ」
「長政さま……」
私は再度驚いた。その言葉のなかに、私への非難を感じたからだ。
私はこの女の無表情か泣き顔しか見たことがない。それ以外の感情を初めてみた。
非難されたことへの苛立ちは、そのせいなのかふっとんでしまった。
「長政さま、この、子、は………」
「一揆をおこした農民どもの長よ。死をもって贖うのは当然であろう」
「でも……こんなに、小さくて………女の子で……」
「子供だろうが女だろうが、正義を侵すのは悪である」
私がいうと、市は押し黙った。納得したかと思ったが、違った。
「長政さまの、正義って、なあに………?市は……わからない……それって……大事な、もの? ……こどもを、殺して……まで」
泣くのかと思ったが泣かなかった。それどころか、私を再び見上げてきたのだった。
きつい視線ではなかった。
長い睫毛に縁取られた目、潤みながらもはっきりとした意思をもつその目に、どうしてか、私の心はざわめいた。
水面に砂粒を散らした時のように、波紋を呼び、余韻を残す。