storm
『 storm 』
「っ…どうして!!!」
苦しくて息が出来ない。
練習グラウンドに背を向けて、無我夢中で走って………
そうしてたどり着いた店の裏口に額をぶつけるよう、もたれかかる。
早鐘のように胸を打つ鼓動が煩くて、苛立ちは増すばかりだ。
どうして。
…どうして。
夜の闇に紛れていても、二人の間に流れる空気が、自分には無いものだとハッキリと知ることが出来た。
「クソっ…」
唸るように吐き捨て、虎丸は身体をクルリと反転させる。
裏口のドアに背中を預け、努めてゆっくり息を吐き出しながら、細く切り取られた夜空を見上げた。
商店街の空はこの時間になっても未だ明るく、星の光をうまく判別することは出来ない。
確かにそこにあるはずなのに、自分には見ることが出来ない、光。
(どうして………)
こういう時、すぐにイラついてしまうのは自分が子供だからだろうか。
だって笑顔でなんて居られない。
* * *
河原にある練習グラウンドに彼の姿を見つけたのは、出前帰りの夕刻だった。
薄闇の中でもそれが「彼」だということはシュートを見れば分かる。
この時間は合宿所の自室に居るはずの彼が何故こんな所に居るのか…。
疑問には思ったが、彼が繰り出す数々の技の前にはそんなもの吹き飛んでしまう。
虎丸が憧れた、サッカーに対する貪欲なまでの熱がそこにはあった。
「豪炎寺さ…」
声を掛けようと。
一歩を踏み出した所で、自分とは反対側の道向こうから見知った影が彼に近づいて行くのが見えた。
この暗さの中でも一際目を惹くオレンジ色。
気軽に彼に近づいて行くその動作から、顔がはっきり見えなくても、それが自分達のチームのキャプテンであることが分かった。
暗闇の中、二人の表情は見えない。
けれど「気軽な立ち話」とはかけ離れたその雰囲気に、虎丸は完全に話しかけるタイミングを逃してしまう。
ただひっそりと、息を詰めるように二つの影を見つめるしか出来ない。
一旦その場を離れかけた豪炎寺が、その踵を返して再び円堂と河原に座り込む頃には、辺りはすっかり闇に包まれてしまっていた。
合宿所に帰ればいくらでも話せるだろうに、二人には、帰る気配は全く感じられない。
(学校では…話せないこと……?)
ここ最近、豪炎寺の様子がおかしいことは目に見えて明らかだったが、幾度聞いても「何でもない」とはぐらかされてしまっている。
あの円堂がそれに気付いていない筈は無いのだから…
十中八九、今二人が話しこんでいる話題は「そのこと」なのだろう。
自分には「何でもない」と答えた豪炎寺は…円堂には相談をするのだろうか……。
(そりゃ…キャプテンだし……ずっと闘ってきた仲間…だし………)
考えているだけで、胃の辺りが重苦しくなって眉間に皺が寄るのが分かる。
自分は年下だから。
つい最近、チームメイトになったばかりだから。
「キャプテン」と同じにはなれない。
今、自分と二人の間に広がる数メートルの距離が、そのまま心の距離のように感じて。
駆け出したいのに…近づきたいのに、一歩を踏み出すことが出来ない。
ハッキリとその距離を確認してしまうことを、どうしようもなく怖いと感じてしまうのだ。
こんな「怖さ」を、今まで感じたことは無かったのに。
並んで話し込む二人を見ていられなくて、すっかり宵闇に沈んだ土手を虎丸は無我夢中で走った。
本当に超えたいものは、どんなに走っても飛び越えることが出来ない。
そんなこと…知りたくは無かった。
あの人を知ってから、自分の中にはいくつもの嵐が吹き荒れている。
* * *
「豪炎寺!」
「円堂!」
悔しくて哀しくて。
あまり眠れなかった夜が明け。
翌日の練習は体力的にも精神的にもキツいものだった。
連携技は決まらない。
それどころか、監督からは必殺技を使った練習自体が禁止されてしまう。
一面に泥が張り巡らされたコートで、碌な会話も無いまま、けれどしっかり信頼で繋がれた二人がボールを追いかけているのを、どこか遠い場所から見ている自分を感じる。
早く追いかけたいのに。
追いつきたいのに、昨日の二人が思い出されて踏み込むことが出来ない。
言葉も無くなめらかに行き交うボールがやけに鮮明に映って。
早く…はやく。
気持ちと一緒に、心臓の音が逸るのが分かった。
つい数日前までは…同じピッチに立って、同じボールを追いかける幸せばかりが満ちていた心の中。
今は暗いシミのような重い気持ちがだんだんと広がって居る。
同じ場所に立っているのに、どうして、見ている景色が違うのだろうか。
(同い年なら…ずっと一緒にサッカーをしていたのなら……オレはあなたと「そこ」に立てていたのかもしれないのに…)
無意識に拳を握り締めながら、泥に入る前から重い足を動かした。
「…豪炎寺さん」
「虎丸?帰ったんじゃなかったのか」
練習後。
泥で汚れてしまった身体を軽くシャワーで洗い流した後。
普段なら自宅へと向かう足を、豪炎寺の部屋へと向かわせた。
ノックをしてすぐに顔を覗かせた彼の肩にはいつものバッグが提げられている。
これから、洗濯物を置きに自宅へ戻るところだったようだ。
「ちょっとお時間いただけないかと思ったんですが…ダメですか?歩きながらでもいいんです」
「…あぁ。別に、構わない」
少しだけ瞳を曇らせたことを気付かれないようにする為だろうか。
不自然に視線を逸らせながら殊更ゆっくりと靴を履く豪炎寺を、虎丸は息を詰めて待つことしか出来ない。
合宿所を出る頃には完全に夕日が沈み、辺りは暗闇に包まれていた。
街灯が頼りなく照らす住宅街に、二人分の靴音だけがハッキリと響く。
「豪炎寺さん…」
「…なんだ?」
土手の上。
河原にある練習グラウンドを見下ろせる細い歩道上で立ち止まり、改まって名前を呼ぶ。
3歩ほど先に居る豪炎寺の表情は、夜の所為だけでなく暗く感じた。
「もう少しだけ、練習に付き合って貰えませんか?」
「虎丸…?」
「あ…でもこれじゃ暗すぎてボールが見えませんよね………」
「…どうしたんだ、お前……」
「っ!…どうかしてるのは、豪炎寺さんの方じゃないですか!!!」
自分を棚に上げて。
そんな事を言う豪炎寺に思わず、身体中の血が一瞬で燃え上がったような気がした。
突然の大声に驚いて見開かれた切れ長の瞳はその後痛そうに歪められ、また逸らされてしまう。
違う。
こんな風に責めたかったわけじゃないのにと思っても、感情の爆発はそう簡単に治まりそうも無い。