つづければ、正夢
まだ答えを聞いていない。
時間の流れが早く感じるのは、経過した時と経験を段々と覚えていられなくなるからだと聞いたことがある。
それとも自分の場合は、答えを急いでいる問題を抱えているからだろうか。
季節が夏へ向かうにつれ、徐々に低く、色を濃くしていく空を見上げながら、竜ヶ峰帝人は取り留めのない思考の一瞬にそんなことを思った。
池袋の喧嘩人形こと平和島静雄に想いを告白されてから、一週間が過ぎ、二週間目に入ろうとしている。
静雄とは新羅のマンションでの一件以来、話していない。当然だ。話どころか対面さえも出来ていないのだから。
帝人はそれとなく池袋の街で静雄を探してみたが、よほど間が悪いのかはたまた避けられてでもいるのか、見かけることすら叶わなかった。
そういう理由で、帝人は、静雄への返事をまだ出来ずにいる。
＊＊＊＊＊＊
新羅のマンションに泊まった翌朝。
帝人に対面した途端、ベランダから飛び降りて逃げだそうとした静雄は、セルティに『落ち着け！！』と簀巻きにされて逃亡を阻止されると一旦は大人しくなった。
簀巻きにされた静雄は目くばせでセルティを自分の傍まで呼び寄せると、ぼそぼそと二人で何か話し始める。
その間、静雄の唐突な逃亡劇に呆然としていた帝人は、二人の会話を邪魔しちゃ駄目かな、と少々見当外れな気遣いを発揮して、一人で朝食の準備に戻った。
「後生だから今は見逃してくれ。」
『しかし静雄、そんないきなり逃げたら帝人が吃驚するだろ。』
「それに関しちゃ確かに悪かった。・・・でも今はまだ、昨日の今日じゃ、さすがにあいつのことまともに見れないんだ・・・！」
『・・・その反応だと、静雄、お前昨日、帝人に言ってたのはやっぱり、告白、というやつだったん、だな？』
セルティの問いかけが表示されたPDAを読んで、静雄は無言で目を逸らす。顔にかかった前髪の間から、赤らんだ頬が見て取れた。
それだけの動作が、問いかけへの肯定を雄弁に語っていた。
「・・・ああそうだ、告白したよ。でも、俺はあいつに気持ちが伝われば良かっただけで、応えて貰えるなんてこれっぽっちも考えてなかった。あいつも俺を嫌ってなかった。それだけで十分嬉しかったし、思い切った分の見返りは、もうあった。・・・ただ、俺はまだ、情けねぇけど竜ヶ峰の反応を見るのが怖いんだよ・・・せめて心の準備をする時間を置きたいんだ・・・。」
静雄の声に切実なものを感じたセルティは、振り返って帝人がダイニングから台所に引っ込むのを確認してから、静雄の影を解いた。
立ち上がった静雄は眉を下げて、
「わりぃ・・・。」
『いいさ。』
そして静雄は、ベランダから飛び降り着地すると脱兎の如く掛けていった。
（・・・・玄関から出ていけよ・・・・。）
＊＊＊＊＊＊＊
あのあと、静雄が帰ったと聞かされた帝人は、驚いた顔をした後、何か言いたげな表情をしていた。
静雄は、帝人に会わなければならないとは、考えていた。しかしながら、その心の準備を整えるのに思った以上に時間がかかり、自分が余りにも及び腰だったことがショックだった。
（俺はこんなに情けない男だったのか・・・。）
いつまでも先延ばしにはしたくない。自分は気持ちを伝えられて満足しても、竜ヶ峰の方を、はっきり断らせてやれないで宙ぶらりんのままにしてしまっている。あの優しげな少年を悩ますのは自分の本意ではない。
今日こそは、と思い、静雄は土曜日の午後、半ドン授業が終わる頃を見計らって、来良学園の校門前にやってきた。
昼頃鳴ったチャイムとともに、ちらほらと校門から青い制服が出て来る。
なるべく目立たないようにと電柱の影に回っているが、静雄に気づいた何人かの生徒はびくりと一瞬身を震わせると、それとなく足早に去っていった。その態度に若干苛立ちながら、静雄は帝人が出てくるのを待った。
「・・・・平和島さん！」
帰宅する生徒の波がまばらになって程なく、校門から出て来た帝人に声を掛けられ、静雄は心臓が跳ねるのを感じながら、そちらに顔を向けた。
驚いた顔をした帝人が走り寄ってくる。
久しぶりに間近で見る少年に、何やらこみ上げてくるものがあった。
しかし、今更ながら、なんと切り出したものだろうか。
「竜ヶ峰、その、」
「あの、先日のことでしょうか。」
「っ、あぁ、・・うん。」
静雄が切り出すよりも早く、帝人は彼の用件を察してそう言った。
言いにくかったところに、意を汲むような帝人の応答は有り難かった。が、用件の内容ゆえにか、やりにくさは変わらない。なんとも歯切れの悪い返事になってしまう。そしてそれが静雄のやりにくさを助長する。
視線の泳ぐ静雄を見上げる帝人の様子は、いつものように初な少年然としているようで、何か決意したような厳しさを滲ませている。
「僕も平和島さんにお話したいことがあります。」
その決意を映した声に、静雄は思わず逸らしていた目を少年のそれに合わせる。
場所を変えましょうか、と、微かに笑んで見せる帝人から、静雄は目を離せないまま、頷いた。
西の空は美しい桃色をして見えた。このような色をしていると、その翌日は雨が降るらしい。
建材の所々に錆の浮いたそのアパートが赤く染まって見えるのは、錆のせいばかりではないだろう。
静雄と帝人、二人分の体重を支える階段はちょっと不安になるほどに軋んだ音を上げた。帝人より体重の勝る静雄は内心びくびくする。さすがに壊れはしなかったが、危険を感じる音だった。
場所を変えた先は、帝人のアパートである。
とっさに遠慮しそうになったが、往来でするのもはばかられる話だし、かといって静雄の自宅というのも、静雄の心情からしたら色々な意味でヤバいし、まずい。焦りからとっさに他の良い場所も思いつかず、帝人の勧めに応じて、現在に至る。
（にしても・・・・・・ボロいな。）
セキュリティという文字は辞書に御座いません、といった風情である。静雄が普段取り立てに回る債務者たちだってもう少しマシなところに住んでいるだろう。
彼らの場合、貧しそうな者も最終的には苦しいながらも負債を払っているのだから、そこまでかつかつでは無いのだろうが。
余所事を考えながら気を紛らわせているが、静雄は緊張していた。先ほど来良の正門前で帝人を待っていた時の比ではない。
文字通り夢にまで見た想い人の家を訪問するのだ。静雄はこの局面で緊張しないような朴念仁では無い。
前を行く帝人が扉の前で鍵を取り出し、開いたドアの薄さにまたひとつ驚いていると、
「どうぞ、狭いですけど。」
申し訳なさそうに振り向いて声を掛けた、帝人の向こう、言葉通りに狭い部屋の間取りを垣間見たところで、静雄ははた、と思い至る。
「竜ヶ峰、お前、・・・家の人は？」
静雄の問いに、帝人はきょとんとした顔で
「僕、一人暮らしなんです。」
何でもないことのようにそう答えた。
一人暮らしの想い人の家で二人きり。
（なんか・・・たぶん、まずい・・・っ！）
人によっては喜ぶべき状況なのかもしれないし、朴念仁ではない静雄の心の内に幾らかは、期待にも似た喜びが湧いたのも確かだ。しかしその時彼の胸中の大部分を占めたのは焦りだった
時間の流れが早く感じるのは、経過した時と経験を段々と覚えていられなくなるからだと聞いたことがある。
それとも自分の場合は、答えを急いでいる問題を抱えているからだろうか。
季節が夏へ向かうにつれ、徐々に低く、色を濃くしていく空を見上げながら、竜ヶ峰帝人は取り留めのない思考の一瞬にそんなことを思った。
池袋の喧嘩人形こと平和島静雄に想いを告白されてから、一週間が過ぎ、二週間目に入ろうとしている。
静雄とは新羅のマンションでの一件以来、話していない。当然だ。話どころか対面さえも出来ていないのだから。
帝人はそれとなく池袋の街で静雄を探してみたが、よほど間が悪いのかはたまた避けられてでもいるのか、見かけることすら叶わなかった。
そういう理由で、帝人は、静雄への返事をまだ出来ずにいる。
＊＊＊＊＊＊
新羅のマンションに泊まった翌朝。
帝人に対面した途端、ベランダから飛び降りて逃げだそうとした静雄は、セルティに『落ち着け！！』と簀巻きにされて逃亡を阻止されると一旦は大人しくなった。
簀巻きにされた静雄は目くばせでセルティを自分の傍まで呼び寄せると、ぼそぼそと二人で何か話し始める。
その間、静雄の唐突な逃亡劇に呆然としていた帝人は、二人の会話を邪魔しちゃ駄目かな、と少々見当外れな気遣いを発揮して、一人で朝食の準備に戻った。
「後生だから今は見逃してくれ。」
『しかし静雄、そんないきなり逃げたら帝人が吃驚するだろ。』
「それに関しちゃ確かに悪かった。・・・でも今はまだ、昨日の今日じゃ、さすがにあいつのことまともに見れないんだ・・・！」
『・・・その反応だと、静雄、お前昨日、帝人に言ってたのはやっぱり、告白、というやつだったん、だな？』
セルティの問いかけが表示されたPDAを読んで、静雄は無言で目を逸らす。顔にかかった前髪の間から、赤らんだ頬が見て取れた。
それだけの動作が、問いかけへの肯定を雄弁に語っていた。
「・・・ああそうだ、告白したよ。でも、俺はあいつに気持ちが伝われば良かっただけで、応えて貰えるなんてこれっぽっちも考えてなかった。あいつも俺を嫌ってなかった。それだけで十分嬉しかったし、思い切った分の見返りは、もうあった。・・・ただ、俺はまだ、情けねぇけど竜ヶ峰の反応を見るのが怖いんだよ・・・せめて心の準備をする時間を置きたいんだ・・・。」
静雄の声に切実なものを感じたセルティは、振り返って帝人がダイニングから台所に引っ込むのを確認してから、静雄の影を解いた。
立ち上がった静雄は眉を下げて、
「わりぃ・・・。」
『いいさ。』
そして静雄は、ベランダから飛び降り着地すると脱兎の如く掛けていった。
（・・・・玄関から出ていけよ・・・・。）
＊＊＊＊＊＊＊
あのあと、静雄が帰ったと聞かされた帝人は、驚いた顔をした後、何か言いたげな表情をしていた。
静雄は、帝人に会わなければならないとは、考えていた。しかしながら、その心の準備を整えるのに思った以上に時間がかかり、自分が余りにも及び腰だったことがショックだった。
（俺はこんなに情けない男だったのか・・・。）
いつまでも先延ばしにはしたくない。自分は気持ちを伝えられて満足しても、竜ヶ峰の方を、はっきり断らせてやれないで宙ぶらりんのままにしてしまっている。あの優しげな少年を悩ますのは自分の本意ではない。
今日こそは、と思い、静雄は土曜日の午後、半ドン授業が終わる頃を見計らって、来良学園の校門前にやってきた。
昼頃鳴ったチャイムとともに、ちらほらと校門から青い制服が出て来る。
なるべく目立たないようにと電柱の影に回っているが、静雄に気づいた何人かの生徒はびくりと一瞬身を震わせると、それとなく足早に去っていった。その態度に若干苛立ちながら、静雄は帝人が出てくるのを待った。
「・・・・平和島さん！」
帰宅する生徒の波がまばらになって程なく、校門から出て来た帝人に声を掛けられ、静雄は心臓が跳ねるのを感じながら、そちらに顔を向けた。
驚いた顔をした帝人が走り寄ってくる。
久しぶりに間近で見る少年に、何やらこみ上げてくるものがあった。
しかし、今更ながら、なんと切り出したものだろうか。
「竜ヶ峰、その、」
「あの、先日のことでしょうか。」
「っ、あぁ、・・うん。」
静雄が切り出すよりも早く、帝人は彼の用件を察してそう言った。
言いにくかったところに、意を汲むような帝人の応答は有り難かった。が、用件の内容ゆえにか、やりにくさは変わらない。なんとも歯切れの悪い返事になってしまう。そしてそれが静雄のやりにくさを助長する。
視線の泳ぐ静雄を見上げる帝人の様子は、いつものように初な少年然としているようで、何か決意したような厳しさを滲ませている。
「僕も平和島さんにお話したいことがあります。」
その決意を映した声に、静雄は思わず逸らしていた目を少年のそれに合わせる。
場所を変えましょうか、と、微かに笑んで見せる帝人から、静雄は目を離せないまま、頷いた。
西の空は美しい桃色をして見えた。このような色をしていると、その翌日は雨が降るらしい。
建材の所々に錆の浮いたそのアパートが赤く染まって見えるのは、錆のせいばかりではないだろう。
静雄と帝人、二人分の体重を支える階段はちょっと不安になるほどに軋んだ音を上げた。帝人より体重の勝る静雄は内心びくびくする。さすがに壊れはしなかったが、危険を感じる音だった。
場所を変えた先は、帝人のアパートである。
とっさに遠慮しそうになったが、往来でするのもはばかられる話だし、かといって静雄の自宅というのも、静雄の心情からしたら色々な意味でヤバいし、まずい。焦りからとっさに他の良い場所も思いつかず、帝人の勧めに応じて、現在に至る。
（にしても・・・・・・ボロいな。）
セキュリティという文字は辞書に御座いません、といった風情である。静雄が普段取り立てに回る債務者たちだってもう少しマシなところに住んでいるだろう。
彼らの場合、貧しそうな者も最終的には苦しいながらも負債を払っているのだから、そこまでかつかつでは無いのだろうが。
余所事を考えながら気を紛らわせているが、静雄は緊張していた。先ほど来良の正門前で帝人を待っていた時の比ではない。
文字通り夢にまで見た想い人の家を訪問するのだ。静雄はこの局面で緊張しないような朴念仁では無い。
前を行く帝人が扉の前で鍵を取り出し、開いたドアの薄さにまたひとつ驚いていると、
「どうぞ、狭いですけど。」
申し訳なさそうに振り向いて声を掛けた、帝人の向こう、言葉通りに狭い部屋の間取りを垣間見たところで、静雄ははた、と思い至る。
「竜ヶ峰、お前、・・・家の人は？」
静雄の問いに、帝人はきょとんとした顔で
「僕、一人暮らしなんです。」
何でもないことのようにそう答えた。
一人暮らしの想い人の家で二人きり。
（なんか・・・たぶん、まずい・・・っ！）
人によっては喜ぶべき状況なのかもしれないし、朴念仁ではない静雄の心の内に幾らかは、期待にも似た喜びが湧いたのも確かだ。しかしその時彼の胸中の大部分を占めたのは焦りだった