四月になれば彼女は
夏も終わりに近づいていた。
無論、人工的に作り出された季節ではあったが、街の通りを抜ける風は冷たく、昼の時間は着実に短くなっている。
紛い物であっても、季節は人間にとって必要なのだ。空も、雲も、雨も、昼も、夜も、海も、偽物であっても必要なものだ。
大事なのは本物かレプリカかではなく、其処に「ある」という事実なのだと、ガイナンは知っていた。
だからこそ、馬鹿みたいな資金をかけて、ファウンデーションの季節は巡る。
ともあれ、夏の終わりのある朝の事だった。
久しぶりに、ガイナンはJr.と朝食を共にした。
お互いが多忙の身であるから、起床時間からして重なる事は少ない二人だが、その日はたまたまお互い朝は時間の余裕があった。そういう時には共に食事を取るのが暗黙の了解だった。
特に会話が弾む訳でもない。だが僅かでも居心地の良い時間を共有できれば良いだけだ。そう考えて、二人は共に食卓を囲む。
しかしその日はいつものように心地よいひとときという訳にはいかなかった。
ガイナンが異変に気付いてしまったためだ。
Jr.の隣りに例の黒猫がいない。
その事に気付いて、ガイナンはフォークを持つ手を止めた。
「あの猫はどうしたんだ」
短い問いに、Jr.はきょとんとガイナンを見返した。ややあって、ああ、と頷く。
「もう動かないんだよ」
特に感慨もなく、訊かれた時間を答えるかのような簡潔さでJr.が答える。ガイナンは眉をひそめた。
「動かない?」
「昨日の晩から、かな。ぴくりとも動かなくて。多分動力が切れたんだろうな」
「何で言わないんだ」
思わず言葉は険を含む。自分でも驚くくらいはっきりと、ガイナンは憤っていた。
「はあ?だってお前、会議だっただろ」
ガイナンが何に苛立っているのか、まるで見当がつかないというように、Jr.は首を傾げた。
レプリカの玩具に、何をむきになっているのか。そう表情に書いてある。
そういうことではないのだ。あれほど可愛がっていたのに。紛い物に過ぎず、プログラムで動いていただけだとしてもあんなに懐いていたのに。
Jr.にとっては、あのレプリカの黒猫は壊れてしまえばそれまでの、ただの玩具だったのだろうか。
「漆黒」の名を与えられた彼女は、この赤毛の少年に何の感慨も与えなかったのだろうか。
そう思うと堪らなかった。
その時、ガイナンは自分が怒りを感じたのではなく、少年の言葉に酷く傷付いたのだと気づいた。
「動かない、という事は死んだ、という事だろう」
「そうだな」
「悲しくはないのか、お前は」
あんなに可愛がっていたのに、と呟けば、眼前の青年が何に傷付いたのかようやく得心がいったようだ。
Jr.は軽く目を見開いてから、その深い海の青に憐れみの色を乗せ、ガイナンに向けた。
「俺が皆に置いていかれるのは、当たり前の事だろ」
それは自然の事象。当然の結果。
だからこそ、彼は置いていかれるという事実に悲しまない。
喪失は哀しみではなく予定調和に過ぎないのだ。
「お前だって、その内俺を置いていくじゃないか」
そう言って、Jr.は微笑した。
酷く静かな笑みだった。