ヘイディーズ
「はしるけものに、なれればいいのにな」
望美は勢いをつけて刀を振るった。もう何度目になるのかわからない。わからないけれど、かみさまの牙のように白く閃く刀は、細く柔らかい少女のてのひらにも不思議にしっくりと馴染むのだ。だから羽を広げる鳥のような気安さで、望美は利き腕を何度も振った。
ひとを斬れば刃は鈍るものだと、誰かが言っていたのを思い出す。脂と血で汚れて、曇ってしまうのだ。包丁だって研がなければ切れ味は悪くなるのだから、きっと、本当はそういうものなのだろう。けれど、望美の刀はいつだって融けない雪のように白かった。
(これは、かみさまの力だから)
だからこんなにも軽く、まるで腕の続きであるようにてのひらに収まるのだろう。だからどんなにひとを斬っても、綺麗な鱗のように光るのだろう。
守りたいものがたくさんある望美には、それはありがたいことだった。どんなに稽古をして、てのひらの豆を潰して、皮膚を固くしても、望美は十七の少女でしかない。いくら鋭い剣技を会得しても、そんなものは、戦いの中では、それこそ羽のような軽さでしかないのだ。
神の刀は今の望美にとっては必要なものだった。それがなければ、華奢な二本の腕に、守れるものなど何もない。
(だけど、)
横から細い身体を薙ごうとする刀を、白い刃で受け止める。さざなみのような痺れがてのひらに走るけれど、構わずに弾いて、返す刀で切り伏せた。大の男の力など本当は受け止められるはずもない。ましてや弾くことなど。けれども、望美を守る刀は、叩きつけられる力をたやすく受け止めた。
「だけど、どうせなら、走る獣に成れれば良いのにな」
斬って捨てた男には見向きもせずに、ただ前だけを見て、望美は小さく呟いた。
どうせなら、刀の代わりに固い蹄があればいいのに。細くて頼りない腕の代わりに、風よりも速く走れるような、しなやかな四つ足が欲しかった。こんな足ではいくら走ったって追いつけないところに、辿りつけるような速い肢が。
「足、痛いな…」
けれど、どれだけ願って想像してみても、この足は獣の肢になどならないのだ。望美はしかたなく小さなかかとで地面を蹴った。どういう仕組みなのか、どんなに走っても靴は下ろしたての真新しさだった。けれど素足の裏は、まめができては潰れるのを繰り返している。長く歩くせいで爪が欠けて、皮膚が破けてしまった足で地面を蹴るたびにずきずきと痛みをおぼえて、それでも望美は走ることをやめない。血と煙と草の匂いのする戦場を駆けるのに邪魔なものは刀で払って、ひたすら前だけを見据えた。
白い腕、白い足、白い刀。けれど、むき出しの腕にも足にも細かい傷痕がいくつも走っていた。神の力にいのちを守られていても、柔らかい皮膚は簡単に裂ける。滲んだ血と返り血と、はねる泥とで、衣服と靴とは黒く汚れていた。ただ、握る刀だけが真白い。
弾む息も気にせずに、望美は走った。
遠く、声も届かない先に佇む、懐かしい背中を目指して。
わたしが、走る獣だったらよかったのに。吐き出す息と一緒に、そう叫び出したくなった。
そうしたら固い蹄で地面を蹴って、一息に追いつくのに!
望美は勢いをつけて刀を振るった。もう何度目になるのかわからない。わからないけれど、かみさまの牙のように白く閃く刀は、細く柔らかい少女のてのひらにも不思議にしっくりと馴染むのだ。だから羽を広げる鳥のような気安さで、望美は利き腕を何度も振った。
ひとを斬れば刃は鈍るものだと、誰かが言っていたのを思い出す。脂と血で汚れて、曇ってしまうのだ。包丁だって研がなければ切れ味は悪くなるのだから、きっと、本当はそういうものなのだろう。けれど、望美の刀はいつだって融けない雪のように白かった。
(これは、かみさまの力だから)
だからこんなにも軽く、まるで腕の続きであるようにてのひらに収まるのだろう。だからどんなにひとを斬っても、綺麗な鱗のように光るのだろう。
守りたいものがたくさんある望美には、それはありがたいことだった。どんなに稽古をして、てのひらの豆を潰して、皮膚を固くしても、望美は十七の少女でしかない。いくら鋭い剣技を会得しても、そんなものは、戦いの中では、それこそ羽のような軽さでしかないのだ。
神の刀は今の望美にとっては必要なものだった。それがなければ、華奢な二本の腕に、守れるものなど何もない。
(だけど、)
横から細い身体を薙ごうとする刀を、白い刃で受け止める。さざなみのような痺れがてのひらに走るけれど、構わずに弾いて、返す刀で切り伏せた。大の男の力など本当は受け止められるはずもない。ましてや弾くことなど。けれども、望美を守る刀は、叩きつけられる力をたやすく受け止めた。
「だけど、どうせなら、走る獣に成れれば良いのにな」
斬って捨てた男には見向きもせずに、ただ前だけを見て、望美は小さく呟いた。
どうせなら、刀の代わりに固い蹄があればいいのに。細くて頼りない腕の代わりに、風よりも速く走れるような、しなやかな四つ足が欲しかった。こんな足ではいくら走ったって追いつけないところに、辿りつけるような速い肢が。
「足、痛いな…」
けれど、どれだけ願って想像してみても、この足は獣の肢になどならないのだ。望美はしかたなく小さなかかとで地面を蹴った。どういう仕組みなのか、どんなに走っても靴は下ろしたての真新しさだった。けれど素足の裏は、まめができては潰れるのを繰り返している。長く歩くせいで爪が欠けて、皮膚が破けてしまった足で地面を蹴るたびにずきずきと痛みをおぼえて、それでも望美は走ることをやめない。血と煙と草の匂いのする戦場を駆けるのに邪魔なものは刀で払って、ひたすら前だけを見据えた。
白い腕、白い足、白い刀。けれど、むき出しの腕にも足にも細かい傷痕がいくつも走っていた。神の力にいのちを守られていても、柔らかい皮膚は簡単に裂ける。滲んだ血と返り血と、はねる泥とで、衣服と靴とは黒く汚れていた。ただ、握る刀だけが真白い。
弾む息も気にせずに、望美は走った。
遠く、声も届かない先に佇む、懐かしい背中を目指して。
わたしが、走る獣だったらよかったのに。吐き出す息と一緒に、そう叫び出したくなった。
そうしたら固い蹄で地面を蹴って、一息に追いつくのに!