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誰そ彼

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戸を打つ、強い雨の音で目を覚ました。ぱたぱたとひっきりなしに聞こえる音は断続的に木の戸を叩いて、その音に促されるようにゆるゆると意識が覚醒する。頭だけで薄暗い室の中を見回した。じっと目を凝らせば天井の切れ目がやっと判別できる。そんな、まだ夜が明けるか明けないかという時間だと言うのに、屋敷の中には大勢の人の動く気配があった。
 異郷に来て以来、天気が、そして太陽が生活に及ぼす影響の大きさを望美は知った。人々は日が昇るのにあわせて起床し、日が沈めば床につく。よっぽどのことがない限り灯明をともして貴重品である油を無駄遣いしない。弁慶のように夜遅くまで本を読むものがいることにはいるが、その時に用意する明かりも申し訳程度に控えめで、あれでは視力が落ちてしまう、と時折心配になった。こちらの生活は現代の深夜でも煌々と明るい部屋とは比べるべくもない。ましてやネオンやライトアップなどは、彼らは想像だにしないだろう。こちらに来てから、自然と望美も日光と生活をともにするようになった。
 そっと音を立てぬように室から抜け出し、やはり足音を殺して簀子に出る。板張りの床は湿気を含んで膨張しているのか、普段より音が柔らかい。逆に空気は重く、薄布に包んだ体に静かにまとわりついた。うっすら明け始めた空は端から柔らかく色が薄くなり、墨を薄めて流したような紺色を押しのける。周囲を見渡せば、朝露をのせた木々の葉、色付きかけている花のつぼみ、囀る鳥の声、その何もかもが新鮮に思え、そこがもうすっかり慣れたはずの梶原邸とは違う場所のように思われた。
 顔を洗うために庭へ向かうと、そこには既に人の姿があった。思わず足を止めて、彼女はそちらへ目を凝らす。そこにあったのは、よく知っている気配だった。一人の青年が、簀子に足を投げ出すようにして座っている。さらに近づくまでもなく、その肩から背中にかけての形や首筋をおおう中途半端な長さの髪やそれこそ纏う空気のようなもので、彼女はそれが誰かを判別できた。
 その背に声を掛けようと一歩踏み出せば、細い、鼻歌が聞こえる。その聞いたことのあるフレーズをしばらく聞いていると、むかし、現代で共に過ごしていた頃に聞いた曲のひとつだと思い出した。あまりうまくなく、少し音程とリズムのずれたその歌に、望美は僅かに口元を緩める。
「将臣くん」
 声を掛けてから近づけば、彼は一瞬動きを止め、そしてゆっくりと振り返った。よお、と言いながら持ち上げた手で、そのまま彼女を手招きする。それに従って、望美も将臣の横へ腰を下ろした。
「今日は早いんだな」
「雨の音で、目が覚めちゃったの。将臣君こそ早いね」
「オレは毎日このくらいに起きてるぜ。いつの間にか習慣づいちまっててな」
 当然のようにさらりと言われた、その内容を理解した瞬間立ち位置の違いを見せつけられたように感じて、望美は視線を足元へ落とした。起き抜けの、裸足のままで歩いて来た足は、早晩は冷え込むこの地方の季候のせいだろう、まるで色づき始めた花のようにほんのりと赤い。咄嗟に目にはいったそれを気にする振りをして指を延ばす。触れれば足先は冷えていて、波立つ感情がおさまった気がした。
「わたし、これまで将臣くんに言いたいことがいっぱいあった気がするのに、何でかな、何にも出てこないや」
「そうかあ? 俺は別にないぜ」
 俯いたまま言うと、まるで世間話でもしているような軽い口調で返事が返る。その吹けば飛ぶような軽さに驚いて顔を上げれば、彼女の反応を面白がるような様子で将臣が望美を見ていた。
「将臣くんて、いつもそうだよね。何にも教えてくれないまま、いつだって勝手に何でも決めちゃって」
 ずるい、と望美が唇を尖らせれば、将臣は困ったように少し伸びた髪を片手で混ぜる。そしてしばらくの無言の攻防の後に頑なな望美に根負けして、笑うような吐息を漏らした。
「何真に受けてんだよ。嘘に決まってるだろ。俺だって、今更、何にも言葉になんねぇんだって」
「そう、なの?」
「大体一緒に居たときだって何話してたっけか? お前も覚えてないだろうが」
 まだ疑わしげに見つめる望美を宥めるように、一緒に居過ぎたよな、と懐かしむような口調で将臣は言う。十七回分の春、夏、秋、そして過ごすはずだった冬。どの記憶からも、幼馴染みである二人は消えたことがない。そしてここに来て初めて、将臣の居ない冬を過ごした。しかし将臣は既に何度も過ごしている、そのことが例えようもなく切ない。
「とにかくお前が無事で――元気なら、良かった」
「私も、こうしてまた会えて、今一緒にいられて、すごく嬉しいよ」
「そ、か」
 嬉びと困惑を混ぜたような、何処か泣き笑いにも見える表情で将臣が笑う。再会してから彼が何度も見せるその表情は、一度もはっきりと言うことのない抱えているものをまた伺わせたが、それが何かと問うことは躊躇われた。
 境界線は、はっきりしている。その目の前でひかれた線を、どうしても望美は踏み越えることは出来ない。
 出来ることは、ただ、とってくれることを信じて手を伸ばすだけだった。
 無意識に胸に下げた白龍の鱗に、朔が用意してくれた寝間着の上から触れる。冷たい、固い塊に、彼の願いを叶えてくれと、祈りを託した。
「もし、ものすごく困ったことがあったら、言ってね。将臣くんは知らないかもしれないけど、これでも結構いろんなことが出来るようになったんだよ」
 それでも勇気を出して告げた言葉に、彼は違う解釈をして目を細めて笑う。
「知ってるさ。何年付き合ってきたと思ってる」
「十七年、だけだよ」
 間髪空けずに言う望美に、将臣は眉を上げて瞠目した。
「今日はやけに拘るな」
「私ね、将臣くんと、ずっと一緒にいたかったんだ。いつか、別々の大学に行ったり、遠く離れて暮らすことになったり、お互い、誰かと結婚したりしても、こんな風に何もかも絶たれるなんて、思ってなかったの」
 望美の言葉にますます困惑したように眉を寄せ、目を眇めて望美を見ると、将臣はいつもより少し声を低くして掠れた小さな声で、それに応えた。
「……俺も、だよ」
「将臣くんこそ、今日はなんか素直だね」
「お前相手じゃ誤魔化しきかねぇもんな」
 両手を広げたままわずかに持ち上げ、なおも何かを喋ろうとする望美の動きをその片方の手で制する。
「もう、いいから、ちょっと黙ってろよ」
 触れた望美の袖を引くようにして距離を縮めると、まるで甘えるように、将臣は自分より低い位置にある望美の肩に頭を寄せた。目を閉じ、こめかみを肩の骨に当てるようにして乗せる。薄布越しの温もりが、そこからじんわりと体を温めた。将臣は相変わらず体温が高い、と、また一つ変わらないところをみつけて、望美はそっと吐息を漏らす。
 お互いの心音までもが聞こえそうなほど、辺りは静かだった。遠くに下働きの人々の動く気配がしたが、音として伝わるものなどほんの僅かだ。聞こえるのは、耳の少ししたの呼吸。そちらに頭を寄せれば、中途半端に伸びた髪が頬に触れる。ゆっくりと上下する頭の動きで少しくすぐったかった。
 仕方なく顔を起こし、庭に目をやれば、ずっとぱらぱらと続いていた音がいつの間にか聞こえなくなっていることに気づいた。
「雨、止んだみてぇだな」
作品名:誰そ彼 作家名:名村圭