誰そ彼
すっかり日が上り、人の多い道をすり抜けるようにして通る道すがら、ただ周りより頭半分は高い背を目印に望美は歩く。現代人としても平均よりだいぶ身長の高かった将臣は、こちらに来て余計にその上背が目立つ。すっきりと精悍な顔立ちといい、人懐こい表情といい、すれ違う見知らぬ人が思い思いの表情で彼を振り返っていた。
「人が多くなってきたな」
日に焼けてすっかり青く見える髪をわずかに揺らして、はぐれるなよ、と言う。その振り返らないままの背中へ頷きを返せば、ようやく将臣は顔を望美の方へ向けた。
「聞いてんのか?」
「聞いてるよ」
ことさらゆっくりと言えば、その声音に面食らったように振り返り、数秒何かを考えるように間を空けて、そしてしばらくして彼女の方へ片手を差し出す。
「何、拗ねてるんだよ。勝手に決めたこと、怒ってんのか?」
ほら、と促されてその手を握った。体温の高い、暖かい掌の温度が、一気に感情を過去へ押し戻す。幼い頃、一緒に歩いているときはただはぐれないように必死で、常に体の何処かを繋いでいたような気がした。手を繋ぎ、腕を握り、服を掴み、そしてそうしていなければ、抵抗できないほど大きな何かに引き離されるような気がしていたのだ。お互い成長し、分別が付き、手を繋ぐことに気恥ずかしさを感じるようになるまでは、ずっと、それが自然なことだったと思い出す。
「むかしは、こうしてよく一緒に家に帰ったよね」
「それ、何年前の話だよ?」
言いながら、文尾に重ねて将臣が顔を顰めた。何も考えず答えを返そうとして気付き、望美もすぐに眉を寄せる。問いを口に出してから自分のミスに気付く、その迂闊さは彼らしくない、と思った。
「わりぃ、今の無し、な」
何も言う言葉が思いつかず、返事の代わりに強く掌を握り返せば、将臣は皮膚が覚えているよりずっと痩せた指で望美の掌を握り直し、ただ黙って歩き出した。半歩先を進む卑怯な背中をみる。彼が、自分の考えや感情を言葉にしなくても伝わると確信していることも、そんなことまで理解してしまう自分も嫌だった。
もしも、もっと付き合いが浅いままで、例えば自分が彼のかつて付き合っていた『彼女』の内の一人であったなら、将臣はもう少し考えていることを語ってくれるだろうかと、そんな栓のないことを思う。それとも、ただ伝えることをあっさりと断念されて適当に誤魔化されるだろうか。どちらにしてもきっと、昔から何処か傲慢で、独善的で、周囲を見ているように見えて実際は自分の目的を最後まで貫くこの幼馴染みを、どうしても憎めずにいることだけは、間違うことなく確かだ。
しばらくそうして進んで、人混みが途絶えても、手はしっかりと握られたままだった。――まるで、いつか届かなかった手の、代わりのように。
望美の少し前をゆっくりと歩きながら、将臣はまた例の歌を口ずさむ。いつか聞いたはずのその曲の名前も望美は覚えていなかったが、無意識に口をついたものだからこそ、彼がまだ現代のものを覚えていることにわずかな安堵を覚えた。普段の口調よりずっと柔らかなその音程に、無性に泣きたくなる。
彼は、どんな気持ちで故郷への、郷愁の込められた歌を歌うのだろう。
家へ家へと、繰り返し繰り返し、祈りのようにつのる声を音を、噛みしめるようにしてのせる唇。全ての道が家へ通じているのだと、いう、声。
それが逆説的に彼の決意を伺わせるから、何一つ問うことができずにいるのだ。
きっと今、優しく自分を導くその手は、彼自身の家には戻らない。
「ずるいよ」
口の中だけで呟けば、その音を聞きとがめて、何事かを問うように将臣が振り返った。どうかしたかと問う、柔らかな日に照らされるその表情があんまりにも優しく見えたから、この歌がひねくれた彼なりの弱音ならば、あの日手が離れたことを彼も後悔しているのならば、すっかり様変わりしてしまった幼馴染みの変わらない強情さを許そう、と思った。