掃き溜めの街で歌い始めたチンピラたちの新しいメルヘン
掘り下げられたグラウンドより一段高いグラウンド脇の土手から、高笑いの邪悪な声と、咎めるような高い声が響いた。確かめるまでもない。さっき帰ったはずのヒル魔と、まもりの声だ。
「死ぬだろ!」
受け止めることでコーラ爆弾を避けたらしい葉柱が、ヒル魔に向かってコーラを差し出しながら当然の抗議をする。ヒル魔はそれを鼻で笑い飛ばした。
「避けれねーヤツは、俺の奢りを受ける資格ナシ、ってこった」
「ヒル魔くんのおごりじゃないわよ! 部費から出したんですから!」
まもりが抗議の声を上げる。
「大体、なんでコーラなのよ。スポーツドリンクのほうが……」
ブツブツと続けるまもりの声を、ガチャガチャ、ガサガサとやかましい音が遮った。ぬっと巨体が現れる。栗田が両手に持った、大量のお菓子の入ったコンビニ袋の音だった。
「疲れたときは甘いものだよね~!」
「……デシ」
足元には、小結もいる。背中には缶ジュースの入ったダンボールを抱えていた。
ヒル魔は揶揄するようににんまりと笑って、まもりの方を見た。
「ま、まあ、スポーツドリンクと水も買ってきたし、ね……」
拗ねたような表情で、ぷい、とそっぽを向くまもりを、重い袋のもち手をふたりで片方ずつ持ったセナとモン太がなだめる。
時間大丈夫なの、雪光は栗田に気遣われながら紙コップを抱えている。
じゃあ、みんなに好きなものを取ってもらってね、とふたりに言い、まもりは小さなポーチを抱え、小走りでグラウンドへ降りてきた。彼女は十文字たちの方へは行かず、まっすぐに葉柱へと向かった。突然のことに毒気を抜かれ、呆然としていた葉柱の前に至ると、申し訳なさそうな顔で小さく頭を下げる。
「あの……みなさんの服、直させていただいていいですか?」
言って指差す物が己の肩のシャツの裂けである事にはっと気付き、葉柱は己を取り戻した。
「い……いらねえよ」
視線を外すようにして、吐き棄てる。
「でも……」
「いいっつってんだよ!」
怒鳴ると、まもりは小さく身を竦ませた。葉柱は瞬間声を失い、それから小さく舌打ちすると、背後を振り仰ぎ、ドラ声で叫ぶ。
「お前ら、いつまで寝てんだよ! 帰ッぞ!」
轟音一声。コーラ爆弾にやられて倒れていたものも、あっけにとられていたものも、一斉に立ち上がる。
その様子を見て、十文字がゲラゲラと笑った。
「やってらんねえよなあ、葉柱!」
こんな、お前、茶番みたいな青春ドラマ。
俺らが登場人物だって?
信じられるかよ?
腹を抱えて笑う十文字を、他の連中がポカンとした顔で見つめた。
葉柱は返事をしなかった。ただ小さく舌打ちをし、グラウンド脇に止めたバイクにまたがると、部員を待たずにエンジンをふかし走り出した。
残された者は慌てて駆け、それぞれ自分のバイクにまたがる。
賊学の面子は、爆音を残してその場から一斉に去った。
「……ホント、やってらんねえよ」
似合わねえ。似合うわけがねえ。路地裏で背中丸めて、視線が会えば殴り合いが始まる俺らに。
十文字は笑いすぎで目の端に浮かんだ涙を指で押さえ、落ちているコーラを拾った。煙草と笑いすぎでいがらっぽい喉を潤せるものなら、何でも良かった。
プルトップを引く。
強い衝撃を受けたコーラは、盛大な噴射音をたてて飲み口から噴き出した。
中空に放たれたコーラの飛沫は、カクテルライトを反射してキラキラと瞬く。
瞬間のはずのその光景が、十文字の目に、酷くスローモーションに映った。
ああ、どす黒い液体も輝けるんだな。
「冷てッ!」
黒木の声にはっとする。世界の速度が戻る。コーラはちょうど直線上にいた黒木の上半身を濡らしていた。
「あ、悪ィ」
夢からさめたような調子で、十文字は言った。
ありえない。毒されている。何かに。
ふるりと首を横に振る十文字を、不思議そうな顔で黒木と戸叶が眺める。
「おもしれーことしてんじゃねーか」
背後から悪魔の声がした。
と、同時に、十文字の背中に冷たい液体がぶっかけられる。
「ギャー!」
叫んで十文字は飛び上がり、振り返った。ヒル魔はすごい勢いでコーラの缶を振っている。ヤバイと思ったがすでに遅かった。プルトップはすでに引かれていた。
今度は顔面にぶっかけられる。
「ヒル魔くん!」
まもりの、甲高い非難の声があがった。
「バカは考えるだけムダだ。受け入れろ。俺もガマンしてんだ、茶番を、よ」
にんまりと、それでもまんざらでもないようにヒル魔が笑う。
「……ざけんな!」
言うと十文字はまだ残っている手の中のコーラの口を抑え強く振ると、ヒル魔の方に向かって差し出した。
照れてる場合じゃなく、必死で求める。
その先にあるのが、むず痒いみたいな笑っちまう展開だとしても、そこには、誰でも行けるから。
路地裏で背中丸めて、掃き溜めで汚いものばかり見て育った俺らでも。
ああ、やってらんねえ青春の一ページ。
「いくらなんでもベタすぎだ」
笑いながらつぶやくとヒル魔はコーラを避けた。
そのコーラがまもりにかかり、キレたまもりから全員を巻き込んだコーラかけが始まったのは、言うまでもない、当然の、摂理。
作品名:掃き溜めの街で歌い始めたチンピラたちの新しいメルヘン 作家名:ミシマ