僕はきみしかいらない
僕と正臣はそれぞれ3つ重ねた不安定なアイスクリームを片手に店から少しだけ離れた開けた場所に並んで座っていた。
そこは池袋駅目の前の、そして60階通りの入り口のような場所。初めていけふくろうなるものの存在を知った時、僕は渋谷のハチ公さながら、いけふくろうも雨風に晒されるこのような場所で待ち合わせの名所となっているのだと思っていた。間違いだと気付いたのは池袋に住むようになってそれなりの日が過ぎた後で、それを教えてくれたのも、そして大爆笑してくれたのも、今隣に座る正臣だった。
平日の昼間であっても人の往来が激しいというこの場所は、さっきから人の途切れる気配を全く見せない。その流れはまるで60階通りに吸い込まれていくようで、一方通行のその流れを見ながら僕は「帰りは一体どこを通っていくのかなあ」と当然と云えば当然の疑問を口にしたのだけれど正臣は特に興味がなかったようで「サンシャインビルの中で消えちゃうんじゃねー?」と適当なことを云って一つ目のフレーバーを食べきった。
いつもと変わらない休日の午後。正臣と二人の、変わり映えのしない一日。空は高く、見上げているとゆっくりと雲が動いているのが確認できるが、地上を吹く風はいたって穏やかだ。
それでもそんな風の存在さえ気になってしまうのは、僕が普段しない格好をしているからに他ならず、少しでも風が吹けばふわりと横髪が浮き、じいと見下ろす先では柔らかい生地の布が、つまりスカートが緩く揺れていた。
「食べねーの?」
正臣が横からスプーンを伸ばし、一番上に乗っていたポップロックキャンディーの散りばめられた見た目にも涼しげなアイスをすくい上げる。僕が前々からこのフレーバーを食べてみたいと云っていたのを正臣は当然知っているくせに半分も持っていってしまうのだから本当に意地が悪い。
そもそも、と正臣を睨めつけながら僕は考える。
どうしてこんな髪の長いウィッグを被り、可愛らしいスカートを履き、見た目完璧女の子の格好で正臣と並んでアイスクリームを食べるはめになってしまったのか。その原因は一日前に遡る。いや、実際にはもっと昔に元凶はあるのだけれど、今回は割愛させていただきたい。(それは今思い出すには些か心の準備が足りず、とてもとても簡単には語れない複雑な話なのです)(というか今すぐにでも忘れたい過去なのです)
昨日、つまり土曜日の午前授業が終わり、いつものように正臣が1年A組の教室にやってきた。
入学当初から何食わぬ顔でA組に出入りしている正臣はすでにA組のメンバーと認識されている節がある。むろん正式にクラスメートにはなり得ないから、準レギュラー的な扱いだろうか。そしてその正臣が僕のところにやってきて云う台詞は、「ナンパに行こう」か「デートに行こう」しかないのも周知の事実で、僕のクラスメートたちはまるで当たり前のことのように正臣の奇行を受け入れていた。おそらく彼らはこの二つの誘いが云い回しを変えただけの同じ誘いであると認識しているだろう。そうであって欲しい。しかし実際には正臣はちゃんとこの二つを使い分けていて、正直な話僕にとってはそのどちらも厄介な誘いであることに違いはないのだけれど、特に後者は僕自身を対象とした、迷惑かつ面倒な誘いだったのだ。
つまり、正臣の「デートに行こう」とは言葉の通り、僕をデートに誘っている。ナンパであれば傍観者でいられるのでまだ幾分か気分が楽なのだけれど、直接巻き込まれるとなるとそうもいかない。しかも何故か女装を強いられるのが常となっていて、僕の憂鬱さを増していた。(そりゃあ普段のままの僕と出歩くのをデートと云われても、それはそれで問題なのだけれど)(そもそもの発端は、以前何かの流れで女装をするはめになり、それを正臣がいたく気に入ってしまったことが原因なのだけれど、やはり思い出すだけでもうんざりするのでこの話題は置いておく)
「だって似合うんだからいいじゃん」
正臣は人事のように云うのだけれど、もし周りにバレた場合、正臣だって恥ずかしい思いをするだろうに。そういう危険はちゃんと理解しているの?そう訊ねると正臣は少しも考える素振りを見せず、「別にいいよ。俺が帝人を好きなのは事実だし」とあっけらかんと云って笑っていた。「女装した男が好きだと思われてもいいわけ?」僕の精一杯の反論にも、彼は全く動じる様子がない。
いつの間にか隣の正臣はアイスを食べ終わり、ばりばりとコーンを噛み砕いている。僕は半分取られてしまった淡い緑色のアイスを食べ、その次のストロベリーフレーバーのアイスも一気に口に詰め込む。最後に出てきたアイスに沈んだ固形のチョコレートにプラスチックのスプーンが引っかかって、僕はストロベリーアイスを咀嚼しながらそのチョコレートの周りをスプーンで削ることにする。やがて全貌を表したチョコレートはハート型をしていた。すくい上げてじいと眺める。恋の媚薬というなんとも女の子の好きそうな名前のアイスクリームのアクセントとなるハートのチョコレート。
「今日は俺がチョイスしてやるからな!」と何故か自信満々に一人で店に入っていった正臣が何を思ってこのフレーバーを選んだのかは分からないけれど、至極正臣好みな選択であることは確かだ。これをネタに寒いことでも云う気なんだろうか。なんとなくそう思って横を向くと、目を輝かせた正臣と視線が合った。
「・・・・正臣」
「んー?」
「寒い」
「え!何、アイス食ったから?スカートだから?!」
「たぶん、それも含め」
「ええー!んーもうしょーがないなー。じゃあ俺が可愛いみかちゃんを温めてあげちゃおっかなー」
「正臣、」
「んん?」
「寒い」
なんで?!と非難の声を上げる正臣を無視して僕は立ち上がった。
ふわりとスカートが膨らみ、花びらが落ちるように落ち着く。違和感。女の子はいつもこんなふわふわした感覚を味わっているのだろうか。不思議な感じがする。そしてちょっとだけ楽しくなってきたような・・ってそれは困る。危ない危ない。
僕は正気を取り戻し、帰る前に是非とも正臣に一言文句を云ってやらねばとコーン片手に振り返る。その動きに合わせてふわりとスカートの裾が可愛らしく翻った。
「何それ、わざとやってんの?」
組んだ手に顎を乗せて頬を膨らませる正臣に僕は慌てて否定の言葉を口にするけれど、何だか云うこと全てが言い訳がましく聞こえる気がして口を閉じる。そんなんじゃないよ、と力なく呟いて僕はため息を吐き出した。全く何をしているんだか。自分に呆れるやら情けないやら。
大体どうして折角の晴れた休日に女装して同性とデートなんてしなくてはいけないのか。そう思うものの、正臣を拒絶できない自分がいるのも確かで、堂々巡りの思考に僕はただ頭を悩ませる。もっと単純に、例えば、正臣と一緒にいられるだけで楽しいって割り切れたらいいのかな。いやだけどそれじゃあ僕が女装を受け入れたことになってしまうのではないか。それは違う。断じて違う。・・と思う、けれど、正臣と一緒に休日を過すのは楽しい。
作品名:僕はきみしかいらない 作家名:けい