水族館
昔なんやかやとごたついたあげく、自らの生命を懸けてまでのガチンコ消耗戦を繰り広げた相手がスペインとくれば、オランダがうれしがろうはずもない。
さすがに一瞬で言い当てられるとは思ってもいなかった日本は、おずおずと身を引いて恐れ入った。
「……わかっちゃいました?」
何も言わずに乗せようとした自分も悪いが、乗る前に言い当てられてしまえば、気まずいことこの上ない。
なんとも微妙な空気の中、オランダはいつもの仏頂面をさらに険しくしたあげく、地を這うような低い声で返した。
その苦虫を噛み潰したような顔色から察するに、やはりいい思い出があるわけではないらしい。
「当たり前じゃ。知らんはずない」
「ですよ、ねー……」
引きつり顔で同意した日本をその場に置いて、オランダはそれ以上何も言わずに背を返した。
すたすたと歩き去る背中からは無言の拒否が漂っている。
コンパスの違いもあってか、あっという間に遠ざかろうとする背に、日本は慌てて飛びついた。
「あっ、ちょっと待ってちょっと待ってください! もうチケットもらっちゃったんです! だから、ね?」
全世界にその貧乏性が広まっているだけあって、日本は手元にあるものを捨てることができない性分である。
しかも、もらったものを無駄にするなんてありえない。
考えるだけで身も凍るようにつらいのだ。
Tシャツが伸びきってしまうような勢いで泣きついたら、ようやくオランダが止まった。
だが、振り返りもせず苦い声で言う。
「……あほう」
その声音があまりにも苦々しげだったので、日本にもさすがに罪悪感がむくむくと頭をもたげてきた。
なによりこれほど本人が嫌がっているのだ。
礼儀知らずマナー知らずは自分の方に違いない。
生来のネガティブ思考が次々にわいて出て、日本を後悔の渦の中に放り込んだ。
「……ごめんなさい。あなたがそんなにお嫌でしたらあきらめます……本当に本当にごめんなさい……」
しょぼんとした声音で謝りつつ、身を離そうとする。
嫌なことを思い出させて本当に申し訳なかった。
その思いで一心に謝っていると、不意に腕を取られて、ずんずんと引っ張られる。
「え、え? オランダさん……っ!?」
何が起こったかわからず目を白黒させる日本の耳に、オランダのぶっきらぼうな低い声。
「……はよ乗り込んで終わらせる。それでええやろが?」
それを聞いて、日本の顔がぱぁっと輝く。
「は、はいっ! ありがとうございます! オランダさんありがとうございます!」
息せき切って礼を言うたび、腕をつかむ力が強くなったが気にしない。
気がつけば、手にしていたチケットはオランダに取り上げられ、当の本人がそれをさっさと係員に突き出していた。
無言で急かす外国人の大男にびくびくとしながらも、係員は震える手でチケットをもぎり、手渡し返す。
係員が震え声でありがとうございますというのを背に聞きながら、内心謝り倒して船の中に乗り込んだ。
足を踏み入れたそこは近代的な設備の整った、いかにも現代的な船の中といったところである。
モデルであった帆船など及ぶべくもない現代的なテクノロジーが集結してできたものだ。
なんといっても内海をゆったり回るだけの観光遊覧船だから、中は綺麗だし、普通に売店もある。
何かおもしろいものでも売っているだろうかと興味をそそられ、身を乗り出しかけた日本だが、ずんずんと歩き続けるオランダに引っ張られ、冷やかしもままならない。
だが、自分から無理やり誘った手前、わがままを言うこともできなかった。
声にならなかった言葉とともにぱくぱくと口を開け閉めさせながら、あっさりと売店の前を通り過ぎてしまう。
結局オランダがどこを目指しているのかわからず黙って連れ込まれた先は、階段を下りた先に広がる広々とした空間だった。
船底といえど、かつての薄汚く不潔なイメージは、当たり前だがもはや一切ない。
ただ乗客のためのベンチが無数に据えつけられているだけのようだ。
外は天気がよく晴れているだけあって、乗客は皆甲板で思い思いに過ごしているらしく、人気はまったくない。
昼寝するにはちょうどよい縦長のベンチばかりだったが、船底に響きわたるエンジン音が少々うるさかった。
だが、景色を楽しめないことを除けば、ゆっくりはできそうだ。
さすが面倒くさがりのオランダらしいチョイスだと、半ばあきれ半ば感心していると、ぐいと引っ張られてたたらを踏む。
思わず倒れ込みそうになったが、身体はなぜか見事にベンチに座っていた。
ただベンチより妙にかたい感触だなと不思議に思った次の瞬間、オランダの膝の上に横抱きで乗せられているらしいことに気づいてかたまる。
「っひゃ、オランダさ……んんっ!?」
あせって飛び出た変な声は、一瞬で熱い舌に吸い取られて宙に溶けた。
抗議の声も何もかもすぐに力が抜けて、からめとられてしまう。
息ができなくて苦しいのに、しびれるようなあまさも這い登ってきて頭がくらくらした。
途切れそうになる意識の合間にそそぎ込まれる低い声。
「お前が誘ったんじゃ、最後まで付き合えよ」
その言葉と同時にわき腹をなでられて、ぞくりと身体が震えた。
声もなく胸元にすがりつけば、よけいにあえがされてわけがわからない。
時間の感覚もあいまいになって、しまいにはオランダから与えられる熱だけが日本のすべてになっていた。
浮遊するような感覚にひたすら耐えていると、やがて船底に響いていた音が消え、静かになる。
その瞬間ぴたりと浮遊感もかき消えて、ようやく日本は我に返った。
どうやらもうクルーズの時間は終わったらしいと、動かぬ頭の片隅で悟って、くすりと笑みをこぼす。
「……ぅふぁ……もぅ、全然覚えてませんよ?」
非難するというよりは、あまくかすれ何かをねだるような声音が、ねっとりと湿った空気をかき乱した。
力の入らない身体を素直にたくましい胸元に預けていると、オランダがむすりとした声音で言う。
「スペインの船に乗ったことは忘れてまえ」
言いながら、めずらしく力いっぱい抱きすくめてくるので、日本はころころと微笑った。
「ふふふ、あなたときたら相変わらずですね」
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うp主は関西人なので、モデルは海○館です!
あと、蘭兄さんは歩く広告塔です。(笑)