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水族館

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 あまりの羞恥にわなわなと身を震わせていると、男はそれを別の意味に取ったらしい。

「あれ? 照れてるん?」

 などとうれしげに言って、さらに身体をくっつけてくるから、日本は今度こそ一本背負いでもかましそうになってしまった。
 再び声もなく震えていると、不意に。
 何やら絶対零度に近い声音が響きわたった。

「今日は暑ぅてかなわん……ほやけぇ、身体動かして汗かくんもええな……」

 あくまでテンションの低い声が淡々と空気を震わせる。
 同時にずんずんと近づき来る長躯に日本よりまず男の方が反応した。

「えっ!? 外人!? え!?」

 とたんにうろたえた表情で、日本とその相手を見比べる。
 日本は思わずオランダさんと名前を呼んでしまいそうになったがひかえた。
 代わりにオランダが、いつもどおりの仏頂面で、なぜか思いきりよくパーカを脱ぎ始める。
 それこそ勢いよくはいだパーカの下から、引き締まった身体が現れたから、男は呆然とそれを見つめていた。
 オランダは普段の言動こそローテンションで、いかにもやる気がなさげだが、身体を動かすのは好きらしい。
 よって意外とアウトドア派だし、運動神経もいいから、だいたいなんでもスポーツはこなせる。
 常の移動も自転車と地球にやさしいから、身体を鍛える機会には事欠かない正真正銘のスポーツマンだ。
 全身に筋肉のがっちりとした鎧をまとっている上、長身も相まってかなりの威圧感を相手に与えることもしばしばである。
 Tシャツにぴょこんと鎮座しているうさぎさんのかわいくつぶらな目とは裏腹に、オランダは切れ長の目をすぅとすがめて男を見下ろした。
 むしろ何も言わないだけに激しく怖い。
 というか、プリントされたうさぎさんがとてもかわいいだけに、それを着た大男がにこりともしないのが異様である。
 そのうち横たわる沈黙の重々しさに耐えきれなくなったのか、男はしだいにわなわなと震え始めたかと思うと、しまいには何も言わずに身をひるがえしてしまった。
 薄暗い中ひしめく人々をかき分け、あっという間に見えなくなる。
 そのさまをぽかんと見送って、日本は言葉もない。
 呆然としたまま突っ立っていれば、オランダがようやく口を開いて、ぼそっとつぶやいた。

「……相変わらずどこ行っても何かが寄ってきよるわ」

 確かに自分と一緒にいれば、毎回何かトラブルが起こることもしばしばである。
 この間なんて食事の合間に少しオランダが席を外した瞬間、どこかへ連れて行かれそうになったし、ひとりで列に並んでいたらお菓子を渡されて、路地裏に連れ込まれそうになったりと、本当にトラブルには事欠かない。
 人一倍面倒くさがりのオランダからしてみれば、こんな自分と一緒にいることは厄介以外の何ものでもないだろう。
 なんせ煙草が吸いたくても、誰かから火を借りない限り吸わないというくらいの面倒くさがりだからである。
 日本は思わず恐縮して、反射的に謝っていた。

「お、恐れ入ります、すみません……っ」

 いつもの調子で、ぺこぺこと頭を下げる。
 こんなアミューズメント施設ではかなり異様な光景であろうとは思いつつ、自分では止められないのが日本人の性質というやつであろう。
 オランダはしばし黙ったままそれを見下ろしていたかと思うと、また唐突ににゅっと腕を差し出した。

「……ほれ」
「えっ?」

 日本が驚きでぱちぱちとまばたきする間にも、なおもオランダはぐぐいと腕を差し出してくる。
 その手には、先ほど自分で脱いだばかりのパーカがぶら下げられていた。
 何事かと思う日本に、オランダは低い声でぶっきらぼうにうながしてくる。

「それ着とけ」

 要はこのパーカを着ろということらしい。
 短い命令口調は相変わらず威圧的だったが、きゅと寄せられた眉根の奥で、緑の目は落ち着いた光を放っている。
 別に怒っているわけではなく、単にこれがデフォルトの態度だということをもちろん日本は知っていた。
 オランダの言動はだいたいにおいて自分を思ってのことだということも。
 だから、ふわりと表情をゆるめながら、素直にそれを受け取りほほえむ。

「これは気を遣っていただいてすみません。ちょうど寒いと思っていたところなんです」

 基本的に屋内だけあって、たくさんの人いきれを処理するためだろう。
 効きすぎるほど効いている空調のおかげで少し肌寒い。
 さっそく借りたパーカをはおってみるが、オランダの体格に合わせたものだけに、日本にはぶかぶかだった。
 丈の長さは仕方ないとはいえ、なにより袖の長さが違うのが致命的である。
 日本が腕を振るたび、ぶらぶらと袖の先がゆれた。
 だが、オランダの好意をうれしく思ってにこにこしていると、大きな手が伸びてきて、なぜかフードを引っつかんだ。
 はて何事かと思っていた頭にそのまま乗っかるフード。

「ついでにフードもかぶっとれ」

 常と変わらぬ淡々とした声音で放たれた言葉が、少し早口であることを知って。
 日本は面はゆそうに顔をうつむけた。

「いや、それはちょっとやりすぎかと……」


****


 外に出たとたん、まばゆい陽射しが目の中に飛び込んでくる。
 夏にふさわしいぎらぎらとした陽光は、薄暗い照明に慣れた両目にはひどくまぶしかった。
 慣れるまでしばらくかかりそうだ。
 何度も目をまたたかせながら、それでも日本は先立ってオランダをうながす。

「ええと、実はまだ行きたいところがありまして……もう一ヶ所分のチケットももらったんです。ですから、そこに……」

 行きたいのですが、などと口火を切る前に、オランダはさっさと日本の腕を取って歩き出していた。
 まだ陽射しに慣れぬ日本を気遣ってくれているのだろう。
 どこかゆったりとした歩みに合わせながら、日本はやわらかく表情をなごませ礼を言った。

「ありがとうございます、オランダさん」
「別に構わんやざ。もう一ヶ所増えようが手間は変わらん」

 いつもの調子で飄々と言って悪びれない。
 こちらに気を遣わせまいとしてくれているのだろう。
 申し訳ないと思いつつ、日本はなるべく先立って歩くことにした。
 そうして事前に調べていた道順で目的地にたどり着いた瞬間、オランダの足が見事にぴたりと止まる。

「………………」

 なにやら石のように動かない巨躯につられて、日本の身体もすかさずつんのめった。
 何事かと振り返って、オランダに問う。

「え、え、どうされたんですか、オランダさん!?」

 何か機嫌を損ねるようなことでもしただろうかと内心慌てふためいていると。
 オランダはたっぷりの間を取った後に、なんともいえないうめくような声音で言った。

「……スペインの船やざ」

 と、目の前に鎮座するものに向かって吐き捨てるようにつぶやいたかと思えば、ぷいと横を向いてしまう。
 それはどこからどう見ても単なる遊覧船にしか見えなかったが、オランダには覚えのあるものだったらしい。
 どころかとたんに不機嫌になるほど嫌なものだったようだ。
 だが、それも無理はないだろう。
 なにせこの遊覧船のモデルは、本人が指摘したとおり、スペインの古い帆船だからである。
作品名:水族館 作家名:さり