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花の咲く道

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『花の咲く道』










「…………さて、では妾もそろそろ行くとするかのう」



境内で、七代千馗が登校していくのを見送ってから、約一時間後。
羽鳥清司郎から出された残り物の林檎を、白と雉明零は揃って片付けていたのだが。口腔に残る林檎をしゃくしゃくと噛みながら白はおもむろに立ち上がった。先刻七代から返ってきたメールの字面をずっと眺め続けていた雉明は、縁側に腰を下ろしたまま白の顔を仰ぎ見る。

「何処へ、行くんだ?」

問うと。白はおかしなものでも見るような眼をした。

「何を。 学校へ行くに決まっておろうが」
「、学校? 鴉乃杜学園か?」
「他に何処があるというのじゃ、戯け者」

戯け者と言われて雉明が次の言葉を探しているうちに、清司郎が林檎に使っていた皿を回収しにやってきた。

「お前さん、そろそろ行くんだろ?」

清司郎が白に声を掛ける。白が鴉乃杜学園まで出掛けて行くのはどうやら常のようだ。七代千馗は執行者で、白は白札なのだから、七代へついていくというのは当然と言えば当然である。けれど、今まで己のあるじである七代の傍らに居なかった雉明にしてみれば、その事を当然であるとはすんなり嚥下出来なかった。
そう。それは至極、当然の事なのである。
存外、己は、己が札であるという事を失念しているのだろうか。己はもう七代千馗らと同じ人間なのだと?
そう思うと、己の変化が雉明には少し不思議で、可笑しかった。
雉明の思索を余所に、白は大きく頷いている。

「うむ。では少々行ってくるからの」
「七代や朝子に迷惑掛けんじゃねえぞ?」
「重々承知しておる」

言いながら、白の身体が鴉へと変化していく。すぐにも飛び立とうとするそれを、反射的に雉明が呼び止めた。

「白!」
「わ……、何じゃ、急に……突然大きな声を出すでないわ、驚くであろう」

広げかけた白い翼を畳み、白い鴉が雉明の方を振り返る。心を決めて、雉明は立ち上がった。

「おれも、行く」
「、な、何っ?」
「きみが七代の許へ行くと言うのなら」

本来鬼札とて、白札同様、執行者であるあるじの傍らに付いているものなのである。鬼札とは執行者を護るもの。しかしそう口にした時の雉明の頭には、役目の事は欠片も無かった。
ただ、其処へ行きたいと思った。七代千馗の居る、その場所へ己も一緒に。それだけだった。

「そ……、其方は飛べぬであろうが!
 その人の身で妾と共に行くと言うのかえ?」
「きみの足手纏いにはならない」
「阿呆、其方は何も知らぬのじゃ……」

呆れたように声を荒げる白い鴉に向かい、清司郎は溜息をひとつ吐いた。

「………………なんだ? お前さん、お仲間を置いてひとりで行くつもりだったのか?
 俺ァ、てっきり一緒に行くもんだと思ってたんだが」

思わぬところから攻撃を受けた白は眼を丸くした。

「、な、」
「こいつはお前さんとおんなじ、七代の札なんだろ? お前さんが行きてえと思うんなら、そりゃあこいつだっておんなじだろうさ、違うか?」

清司郎はいつものようにのらりと不機嫌そうな顔で雉明を一瞥し、そして口許を笑みに歪めた。

「手前だけ行ってこいつは留守番だってのは、随分殺生な事だと俺ァ思うがなあ」
「清司郎、さん」
「……清司郎、其方は一体誰の味方なのかえ? それを連れていくと勝手が違って、それこそ千馗や朝子に迷惑が及ぶやも知れぬというに」
「そこはそれ……お前さんが助けてやりゃあいいだろうが」
「何じゃと」
「おい、お前さん雉明とか言ったか……決してあいつらに迷惑はかけねえと約束出来るな?」

長らく悲嘆に凝らせていたその顔に僅かな笑みを滲ませる。
羽鳥清司郎とは、こんな顔をする男だったろうかと雉明は思った。楼万黎から彼の引く糸の話を聞き、幾度か様子を窺いに来た事がある。けれど、彼は、こんな風では決して無かった。以前の羽鳥清司郎であれば出掛けの白に声を掛ける事も、雉明を擁護する事も、絶対にしなかっただろう。手製の殻の内へ自身を閉じ込めていた、あの頃の彼なら。
それを解いたものの姿を脳裏に映しながら、雉明は微笑んだ。

「勿論、約束する」
「おう、言うからにはちゃんと守れよ? お前さんらが捕まったら、迎えに呼び出されんのは俺なんだからよ」
「な、何を勝手に話を進めておる!」
「うるせえな、そういう事なんだからさっさと出て行け。俺はさっさと掃除を済ませたいんだよ、飯の買い出しもあるしな。誰にも迷惑かけず、とっ捕まったりせず、静かに行って、夕飯には帰って来い。判ったな」

微笑しながら頷く雉明の隣で、白は唸った。

「…………横暴にも程があろうぞ……」

しかしそれ以上聞く耳を持たない清司郎に対し結局折れるかたちで、白は雉明と共に渋々と鴉羽神社を後にした。



白はまだ頬を膨らませている。それを然して気にせずに、雉明は七代の使っている通学路の風景を眺めた。

「此処を…………毎日七代は通っているんだな」
「其方は本当に呆れ返る程呑気じゃのう」

自分ひとりであれば鴉の姿でひとつ飛び、鴉乃杜学園の屋上で降り立てばそれでいい。
けれど。この男と共に行くのであればそうするわけにもいかない。雉明の気持ちは判らなくもないのだが。白は嘆息する。それを見遣り、雉明が思案しながら口を開いた。

「おれは、鴉乃杜まで行った事が無いわけじゃない。だから道なら知っている。きみがいつも居るのは屋上だろう? おれも其処へ向かうから、きみは翼を使って先に行ってくれても、」

そう言い掛けた雉明の言葉を白が断ち切った。

「だから、其方は何も知らぬと言ったのじゃ! それは其方の言う通り、妾だけ飛んで行けば楽で良いわ。だが、此処で其方を置いていってみよ、其方がどうなるか」

此処は洞ではない、普通の、街中である。一体何をそれほどまでに警戒せねばならないのか。首を傾げた雉明の腕を、白が突然掴んで走り出した。

「あっ、それ見よ!言ったそばからっ」
「ま、白?」

引かれるまま、路地へ入って身を隠した。白に倣って雉明も、大通りの方に眼をやってみる。其処には、部下らしき男性を従えて、ひどく険しい表情をした女性が立っていた。何事か二言三言、厳しい調子で部下を怒鳴りつけている。彼女の放つ怒気が雉明の皮膚にまで伝わってくるようだった。

「……………………あの、女性が何か?」
「彼奴は警察……検非違使のようなものじゃ。しかもかなり手厳しい……其方は学生のようななりをしておろう、それが今はあだとなるのじゃ。学生といえば、今時分は皆授業を受けておる筈。だから其方がこのような時刻にこのような場所をうろついておれば、たちまち彼奴に捕まってしまうのじゃ。彼奴に捕まってみろ、いつ解放されるか判らぬぞ」

白は真剣な表情をしている。
 
「…………白、きみは、物知りだな」
「千馗の傍らの札憑きに壇というのが居るであろう、あれがかなり世話になったらしくてな。壇から話を聞かされたのじゃ」
「なるほど。七代も、彼女に捕まった事が?」
作品名:花の咲く道 作家名:あや