平和島幽×臨也
「臨也さん」
「……。……幽くん」
素で驚いた表情を見せる端正な顔立ちは、午前の爽やかな日差しに映える。 ベージュの帽子と色の薄い繊細なフレームのサングラス、地味でも派手でもない平凡なファッションセンスの私服に身を包んだ羽島幽平は折原臨也のマンションを訪れていた。
「ど、え?あ、どうしたの」
「デートに誘いにきました」
明らかな動揺を浮かべてどもりたじろぐ部屋着の臨也に芸名羽島幽平、本名平和島幽は間髪入れず無表情に告げた。だんだんと色づく赤い目元。鮮烈な紅い瞳が困ったように潤むのは美しいの一言。
平和島幽は今日、貴重な休みであった。オフを兄である平和島静雄と過ごすのも良かったが平日では厳しいものがある。しかしその代わりに、というわけではなく最初から共に休日を過ごしたいと幽が希望したのは目の前の折原臨也という人物であった。彼は幽のお気に入りである。
「……駄目ですか?」
「えっ、いや……。あの、」
折原臨也は邪険にできない人間からの押しにはとても弱い。兄にはきっと見つけることすらできない弱点だ。敵に回してはならない男、人間を愛していると豪語する狡猾で性悪で優秀な情報屋と名高い彼は、実はとても優しくて純情な人だと知るのはきっと平和島幽ただ一人であろう。さあ、もうひと押し。
「仕事があるんですか?」
「今日は休みだけど、」
「じゃあ」
一緒に出かけましょう。
少し視線を低くして覗き込みながらサングラス越しに見上げると、赤い顔が観念したように苦笑を浮かべて細い腕で降参と手を上げた。
「支度するから十五分、いや十分待ってくれないかい。寝起きだったものだから」
「はい」
あがって待ってて、そう言いぱたぱたと掛けて洗面所に入った臨也の薄い背中を見つめながら静かにドアを閉め、お邪魔しますと幽は呟くように言った。深く息を吸うと誰のものでもないただ一人、折原臨也というひとの香りがした。ああ、ああ、よい心地である。とりあえず適当にシックなソファに腰掛けてじっと彼を待つ。
ああもう、嫌になっちゃうなあ。
臨也は泣きそうな顔をした自分の顔を鏡越しに睨み付ける。なにもかも幽くんのせいだ。そう言い聞かせるようにため息を吐いて目を閉じた。三十秒、ぎゅっと目を瞑り自分を落ち着かせてから素早く支度をしないと。
一緒に出かけましょう。
サングラス越しに、無表情の割りにはやたら優しさを滲ませた瞳が覗き込んできた瞬間、心臓が爆発するかと思った。こんなときに役立つポーカーフェイスに感謝して、でも色白い肌は素直に赤くなるものだから日焼けサロンでサイモン並にガングロにしてやろうかとコンマ二秒だけ考えた、けどしないに決まってる。
なんだか悔しい。いいように誘われてしまって、流されていこうとしてしまう自分。いつもテレビの向こう側で明るい脚光を浴びファンを釘付けにしていながら、たまにしか現れないくせにまんまと俺を絡めとるように誘い込む幽くんが、ずるくて、かっこいい。ああ、ああ、重症だけど、くそ、悔しいくらいにいい気分だ。支度のために臨也はまず洗顔するため蛇口を勢いよく捻った。
「どこにいきましょうか」
「んー」
いつものファー付きコートではない私服を着こなしながら臨也は幽が運転するスポーツカーの助手席に座り、行き先を考える。
顎に人差し指を当てて考え込む姿に幽はいとしそうな眼差しを寄せたが臨也は気づかない。と、思ったが瞬間、幽に向き直ると涼しげな目元を隠しているサングラスを奪い取って臨也は自分でそれをかけた。
幽がぽかんと呆気にとられていると、かけたサングラスを下にずらして奥から覗く紅い瞳と綺麗な口元がいたずらっぽく微笑った。
「借りるよ」
「サングラスがあったら俺のことちゃんと見えないでしょ?だから没収ー」
幽に似合うように作られたハンドメイドのサングラスは何故か臨也にもとても似合っていて。自分でそう言ったあと彼は照れ臭そうにはにかんでかけ直したサングラスの向こうでじっと目を閉じた。幽はあかい頬にくすりと優しい微笑み、演技で浮かべるものではなく心からの笑みを浮かべ車のエンジンをかけるとアクセルをゆっくりと踏んだ。
たかがサングラスにやきもちをやかなくても。
俺は貴方しか見ていません。なんて。
舞台の上ならなんの恥じらいもなく演技だからと割りきった上でさらりと言えるのに。幽は恥ずかしさと緊張で震える唇を呪った。無表情なだけでなく、無口な部分もあるのかもしれない。
「車……」
心中で自分を苛ましていると、サングラスをかけた臨也が真正面を見てぽつりと穏やかに呟いた。
「幽くん運転してるから、手が繋げないね」
また微笑む横顔は綺麗で、僅かに見える瞳は寂しげだった。信号が赤になり車が一時停止すると、幽は無防備な白い手を握った。驚いたように臨也が幽を見つめると真剣な黒い瞳が射抜いてくるものだから、空いた手でかけていたサングラスを外した。改めて小首を傾けながら微笑みを返す。
「臨也さん」
「なぁに?幽くん」
貴方はどうしてそうさらさらと言葉を発することができるのだろう。可愛く囁かれるさりげないおねだりや、愛しさでくるむような優しい呟きは幽の心に折原臨也を少しずつ、だが確実に縫い止めてゆく。どうしようもない位に、自分しか知り得ないはずの『折原臨也』に惹かれてゆく。
低い体温の細い指をきゅ、と柔らかく握ったまま、幽は臨也に向かって近づく。答えるように臨也も微笑みを崩さないままゆっくりと瞼を閉じる。長い睫毛が震えながら伏せられて、それが酷く美しい。幽は、はやる気持ちを抑え驚かせないよう唇を臨也のそこに近づける。運転席から助手席へ身を乗りだし、吐息が重なるまで近づいて───
ぱーぱぱぱぱー!!!
「「!?」」
背後から轟く激しいクラクションに二人の身は飛び上がらんばかりに跳ねた。前を見れば信号は青で、歩行者用の信号は赤にならんと点滅していた。慌てて幽がアクセルを踏み込んだので臨也はシートベルトを掴みながら爆笑した。
「さ、最悪のタイミングでっ、はははっ、ドラマみたい~!」
「臨也さん……結局どこに行きましょう」
そう尋ねると臨也はサングラスを再び掛け直し、
「幽くん、顔が真っ赤」
「……」
「……ふふっ。この前さ、幽くんがバラエティで取材してた喫茶店あったよね?俺あそこ行きたいなあ」
とうっすら赤らんだ顔ではにかむ臨也。思わず可愛い要求に耳まで赤くなる幽の心拍数は先程から高鳴って堪らない。恥じらいを誤魔化すために捲し立てて言う臨也の表情はどう表していいか迷うぐらい可愛かった。眉根を下げて、サングラス越しに良くわかるぐらい目尻を緩ませて笑うものだから普段の凛々しさは全部愛らしさに変換されていて。
幽はあくまで運転中なので辛うじて横目で見ながら、握られた自分の手で熱をはらんだ赤い頬を撫でた。そして残された手を指まで絡めるとぽつぽつと呟いた。
「臨也さんだって顔、赤い」
「うっ」
「喫茶店、行きましょう」
「……うん」
「……手、できるだけ繋いでてください。こういう時だけでも」
「……。……ん」