三毛猫シリーズ②
ここは同じ色の服を着た人がたくさんいる。みんな同じ色だから見分けが付かない。ただでさえ人間は似たようなかたちをしているからわからない。全く面倒くさい。それでもここに居る内はこの人たちと仲良くしなければならない。猫も生きるために必死なのだ。
『今年もいっぱい産まれたなぁ~』
ためしに声を掛けてみた。すると縁側を歩いていた一人がこちらを向いた。どうやら興味を持ったらしい。人間って簡単なのだなとか思う。もうひとつ鳴いてみるとさっきと違う人も庭にいる猫の集団を見つけたようだ。最初に気付いた人より背が少し低くて明るい髪の色をしている。あ、あれは知っている。眼鏡っていうんでしょう。背の高い人が庭に降りてくる。来い来いと手招きしているけど、食べ物は持っていないみたいだから行かない。何匹かつられて行ってしまったけど、わたしは動かなかった。少し離れたところでひたひたと尻尾を揺らす。
『・・・今年もって、去年からいるのかい?』
『いや~もう何年前かわかんないな。追い払うのが可哀想で』
『近藤さん、あんまり遊ぶと猫の毛がついてしまうよ』
数匹の猫とじゃれ合っている人とは違って、眼鏡の人はさっきからずっと笑わない。庭にしゃがみこみながら楽しそうに猫と遊んでいる人を見下ろしながら、小さくため息をついている。そこに居るのなら貴方も遊べばいいのに。きっとこの人はつまらない人なのだ。つまらない人は嫌いだ。少し嫌な気持ちになった。尻尾が左右に揺れる。お腹も空いてきたし、何だかとても面白くない。食べ物を持っていない人だったから初めは乗り気じゃなかった猫たちも、気付けば楽しそうに遊んでいる。その仲間に入るタイミングも失ってしまったわたしは、ここで見ているしかできなかった。ひゅうと風が吹いてひげがなびいた。少し寒い。さっきまで固まっていた仲間が居なくなってしまったから。
ふと、みんなが遊んでいる輪から視線を移動させてみた。すると縁側に立ったままの人と目が合った。その人はわたしと目が合うと少し驚いた顔をさせた。その顔が何だか面白くて、わたしは瞬きもせずにその人を見た。よく見れば綺麗な髪の色をしている人だった。尻尾をぴん、と空に伸ばして首を傾げると、その人の目が急に優しくなった。意外な表情だった。庭に下りてくると真っ直ぐにわたしに向かってきた。少し距離を置いてその人が座る。近くに来ると暖かい髪の色と目の色がよく見えた。綺麗な色ですね、と鳴いてみたけど通じていないのだろうな。伸びてきた手に美味しそうな食べ物なんて乗っていなかったけれど、すらりと白い指が並んでいた。
『・・・おいで』
その声に誘われるように歩み寄ってみた。すり、と頭をぶつけると、びっくりするくらい優しく撫でられる。だけどそれと同時に、その手の冷たさに驚いた。今まで浴びてきたどの風よりも冷たい。雪というものはまだ見たことないけれど、これくらい冷たいのだろうか。だとしたら今よりもっと寒くなりそうだ。そういえば雪はとても綺麗なものだと聞いたから、本当にこの手とそっくりなのかもしれない。
『君も、あっちで遊べばいいじゃないか』
ふいに掛けられた声はとても悲しそうだったから、わたしはひとつ鳴いてみた。どうしたの?って尋ねた。でも言葉が分からないのはお互い様みたいで、それきりその人は何も言わなかった。困った顔をしてわたしに触れる。頭も喉もいっぱい撫でてもらったけれど、その人の指が暖まることはなかった。どうしてだろう、わたしがまだ小さいせいだろうか。必死で擦り寄っても冷たい手は白いまま。
『伊東先生、そろそろ行きますか~?』
『あぁ、今行く』
数匹の猫と遊んでいた人に呼ばれたのか、すっと立ち上がってその人は行ってしまった。本当はその足に纏わりついて一緒に行きたかったけど、何となく嫌だって言っているのがわかったから止めた。わたしだって嫌がられていると知れば、食べ物を持っていない人にそこまでついていく必要もない。だからその背中を黙って見送った。尻尾が不機嫌に揺れてしまうのはしょうがないことだ。最後にその人は一度だけわたしを見てくれた。もうそこに優しい目の色はなかったけれど。一度あの目を見てしまったわたしは、あの人のことが気になって仕方がなかった。
どうやらそれはあの人も同じだったらしい。あの人は度々わたしたちに会いに来た。ちゃんと食べ物を持ってきてくれたから、あの人はすっかりみんなの人気者になっていた。わたしは少し面白くなかったけれど別に構わなかった。なぜならばあの人の膝に乗れるのはわたしだけだったから。その場所を独り占めして、わたしはいつも一番いい席であの人に撫でられていた。そこで自慢げに鳴いたこともある。だけどそれは、ただみんなを見下ろし優越感に浸りながら撫でられるためじゃなくて、あの人を暖めたかったからで。こんなことを思ったのは変わり者のわたしだけだった。だからこの膝の上にいることを許されたのだと思う。
でも、わたしは随分と頑張ってみたのだけれど、冷たい手はいつまでも冷たいままだった。もっと大きくなれば、大人になれば、この人を暖めてあげられるのだろうか。だったら早く大人になりたい。手が冷たいから悲しい顔をするんでしょう?時々とても寂しい目で遠くを見つめているのを知っている。そういう時はわたしはすぐに鳴いてこっちを向いて!って言う。するとすぐにこっちを向いて撫でてくれるけれど。手も指もその瞳も、冷たくて寂しいままだった。だから急いで大人にならなくてはならない。もうすぐ雪が降る季節になると、誰かが言っていた。今よりもっと寒くなって、景色は真っ白になるらしい。うまれたばかりのわたしには想像もつかない。けれどこの手がもっと冷たくなるということはわかった。そんな季節になればこの人が凍えてしまう。そうなる前にわたしは大人にならなければいけない。この手と膝の上が好きだから。暖めたいと思ったから。小さなわたしにできるのはこのくらいしかないから。
そう思っていたのだけれど。
その雪のような指先で優しくやさしく撫でてくれた人は、いつの間にかいなくなっていた。あの人が何処に行ったのかは知らない。ただ、あの人に会えなくなってからわたしは初めて雪を見た。白くてちらちらと空から降ってくるのはとても綺麗だったけれど、わたしはあの手の方が好きだった。何処へ行ってしまったのだろう。わたしは落ちてくる雪を見上げながらひとつ鳴いてみる。空の向こうのずっと遠くを見つめる。あの人もこんな気持ちで遠くを見つめていたのだろうか。何だか寂しい。
あの手に撫でられなくなってとても残念だけれど、わたしはまた面白いものを見つけていた。ぴくりと耳が動く。振り返ればその人が居たのでわたしは縁側へと近づいた。
「わ、やっぱりこの猫って土方さんが居るとこっち来るんだなぁ」
「あ?たまたまだろ」
「違いますって、この子あの猫ですよ、初めて餌付けに成功した・・・」
「そんなことあったか?」
「もういいです・・・」
『今年もいっぱい産まれたなぁ~』
ためしに声を掛けてみた。すると縁側を歩いていた一人がこちらを向いた。どうやら興味を持ったらしい。人間って簡単なのだなとか思う。もうひとつ鳴いてみるとさっきと違う人も庭にいる猫の集団を見つけたようだ。最初に気付いた人より背が少し低くて明るい髪の色をしている。あ、あれは知っている。眼鏡っていうんでしょう。背の高い人が庭に降りてくる。来い来いと手招きしているけど、食べ物は持っていないみたいだから行かない。何匹かつられて行ってしまったけど、わたしは動かなかった。少し離れたところでひたひたと尻尾を揺らす。
『・・・今年もって、去年からいるのかい?』
『いや~もう何年前かわかんないな。追い払うのが可哀想で』
『近藤さん、あんまり遊ぶと猫の毛がついてしまうよ』
数匹の猫とじゃれ合っている人とは違って、眼鏡の人はさっきからずっと笑わない。庭にしゃがみこみながら楽しそうに猫と遊んでいる人を見下ろしながら、小さくため息をついている。そこに居るのなら貴方も遊べばいいのに。きっとこの人はつまらない人なのだ。つまらない人は嫌いだ。少し嫌な気持ちになった。尻尾が左右に揺れる。お腹も空いてきたし、何だかとても面白くない。食べ物を持っていない人だったから初めは乗り気じゃなかった猫たちも、気付けば楽しそうに遊んでいる。その仲間に入るタイミングも失ってしまったわたしは、ここで見ているしかできなかった。ひゅうと風が吹いてひげがなびいた。少し寒い。さっきまで固まっていた仲間が居なくなってしまったから。
ふと、みんなが遊んでいる輪から視線を移動させてみた。すると縁側に立ったままの人と目が合った。その人はわたしと目が合うと少し驚いた顔をさせた。その顔が何だか面白くて、わたしは瞬きもせずにその人を見た。よく見れば綺麗な髪の色をしている人だった。尻尾をぴん、と空に伸ばして首を傾げると、その人の目が急に優しくなった。意外な表情だった。庭に下りてくると真っ直ぐにわたしに向かってきた。少し距離を置いてその人が座る。近くに来ると暖かい髪の色と目の色がよく見えた。綺麗な色ですね、と鳴いてみたけど通じていないのだろうな。伸びてきた手に美味しそうな食べ物なんて乗っていなかったけれど、すらりと白い指が並んでいた。
『・・・おいで』
その声に誘われるように歩み寄ってみた。すり、と頭をぶつけると、びっくりするくらい優しく撫でられる。だけどそれと同時に、その手の冷たさに驚いた。今まで浴びてきたどの風よりも冷たい。雪というものはまだ見たことないけれど、これくらい冷たいのだろうか。だとしたら今よりもっと寒くなりそうだ。そういえば雪はとても綺麗なものだと聞いたから、本当にこの手とそっくりなのかもしれない。
『君も、あっちで遊べばいいじゃないか』
ふいに掛けられた声はとても悲しそうだったから、わたしはひとつ鳴いてみた。どうしたの?って尋ねた。でも言葉が分からないのはお互い様みたいで、それきりその人は何も言わなかった。困った顔をしてわたしに触れる。頭も喉もいっぱい撫でてもらったけれど、その人の指が暖まることはなかった。どうしてだろう、わたしがまだ小さいせいだろうか。必死で擦り寄っても冷たい手は白いまま。
『伊東先生、そろそろ行きますか~?』
『あぁ、今行く』
数匹の猫と遊んでいた人に呼ばれたのか、すっと立ち上がってその人は行ってしまった。本当はその足に纏わりついて一緒に行きたかったけど、何となく嫌だって言っているのがわかったから止めた。わたしだって嫌がられていると知れば、食べ物を持っていない人にそこまでついていく必要もない。だからその背中を黙って見送った。尻尾が不機嫌に揺れてしまうのはしょうがないことだ。最後にその人は一度だけわたしを見てくれた。もうそこに優しい目の色はなかったけれど。一度あの目を見てしまったわたしは、あの人のことが気になって仕方がなかった。
どうやらそれはあの人も同じだったらしい。あの人は度々わたしたちに会いに来た。ちゃんと食べ物を持ってきてくれたから、あの人はすっかりみんなの人気者になっていた。わたしは少し面白くなかったけれど別に構わなかった。なぜならばあの人の膝に乗れるのはわたしだけだったから。その場所を独り占めして、わたしはいつも一番いい席であの人に撫でられていた。そこで自慢げに鳴いたこともある。だけどそれは、ただみんなを見下ろし優越感に浸りながら撫でられるためじゃなくて、あの人を暖めたかったからで。こんなことを思ったのは変わり者のわたしだけだった。だからこの膝の上にいることを許されたのだと思う。
でも、わたしは随分と頑張ってみたのだけれど、冷たい手はいつまでも冷たいままだった。もっと大きくなれば、大人になれば、この人を暖めてあげられるのだろうか。だったら早く大人になりたい。手が冷たいから悲しい顔をするんでしょう?時々とても寂しい目で遠くを見つめているのを知っている。そういう時はわたしはすぐに鳴いてこっちを向いて!って言う。するとすぐにこっちを向いて撫でてくれるけれど。手も指もその瞳も、冷たくて寂しいままだった。だから急いで大人にならなくてはならない。もうすぐ雪が降る季節になると、誰かが言っていた。今よりもっと寒くなって、景色は真っ白になるらしい。うまれたばかりのわたしには想像もつかない。けれどこの手がもっと冷たくなるということはわかった。そんな季節になればこの人が凍えてしまう。そうなる前にわたしは大人にならなければいけない。この手と膝の上が好きだから。暖めたいと思ったから。小さなわたしにできるのはこのくらいしかないから。
そう思っていたのだけれど。
その雪のような指先で優しくやさしく撫でてくれた人は、いつの間にかいなくなっていた。あの人が何処に行ったのかは知らない。ただ、あの人に会えなくなってからわたしは初めて雪を見た。白くてちらちらと空から降ってくるのはとても綺麗だったけれど、わたしはあの手の方が好きだった。何処へ行ってしまったのだろう。わたしは落ちてくる雪を見上げながらひとつ鳴いてみる。空の向こうのずっと遠くを見つめる。あの人もこんな気持ちで遠くを見つめていたのだろうか。何だか寂しい。
あの手に撫でられなくなってとても残念だけれど、わたしはまた面白いものを見つけていた。ぴくりと耳が動く。振り返ればその人が居たのでわたしは縁側へと近づいた。
「わ、やっぱりこの猫って土方さんが居るとこっち来るんだなぁ」
「あ?たまたまだろ」
「違いますって、この子あの猫ですよ、初めて餌付けに成功した・・・」
「そんなことあったか?」
「もういいです・・・」