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And you shall be a true lover

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天に召します神よ、アーメン。冷たい夜の礼拝堂に俺の声はさざなみの如く響いた。反復する声はない。夜の祈りを捧げるのが、しいて言うのならばこの言葉こそが鏡夜の習慣と言えた。朝陽の明るいうちの礼拝も良いが、鏡夜はやはり夜の属性、星の瞬き、月の囀りを愛していた。小さなテールランプが寒さの所為かかたりと揺れる。
「今夜も貴方の声はまるで星々を従える女神のように美しい。ねえ、そうでしょう? 鏡夜」
吸血鬼は今夜も背に丸い月を背負ってやってきた。色素の薄いその髪は肌同様に白く透ける。ちらりと笑った口元からは小さく尖った牙と、赤くちろりとした舌が見えた。テールランプの真横に佇む彼は貴族のように優雅だ。名は環だと己から名乗った吸血鬼は、もう幾年も独りで生きてきたと淋しく笑う。俺はこの世で三番目の大切な人らしい。どうやら人間を口説くのが好きなようだ。茶番に付き合う気はなかったが、環の存在は不思議と嫌な心持になどなりはしない。明らかに礼拝堂から浮いた異質なそれを、俺は認めていた。眼鏡が淡い光に反射して環を射抜く。それに少し眉を顰めた環はそれもまた良い、とマントを翻してこちらに近付いた。
「こんばんは、神父さん。お仕事ご苦労様です」
「心にもないことを・・・」
「そんなことはないですよ。恵まれない俺にもお祈りをお願いします。アーメン」
・・・アーメン。釣られたように両の手をそっと組んだ。目を閉じて言われたとおり型どおりの祈りを捧げる。
ふっと瞳を開くと、ゆっくりと二、三回瞬かせた。睫毛、長くて綺麗ですね。環は軽く微笑む。環、お前のお世辞はお世辞に聞こえないから困ってしまうんだ。俺はため息をついて十字架を握った。
「あ、またそうやって! 俺のことを好きな癖して十字架を握り締めるなんて、卑しい」
「何が卑しいだ。俺は神父だ。吸血鬼なんぞに指図される筋合いはない。そもそもお前みたいな存在がこの神聖な礼拝堂に入ることすら考えられない」
矢継ぎ早にそこまで言ったところで、環の顔をそっと窺った。そう、その顔だ。俺は認めよう。この奇妙な生き物の何処が好きかといったらこの表情なのだろう。詰られ貶され宥められ。俺に良い様に扱われるときの顔といったら! ぐっと、手にした吟に力を込める。
「環、」
「いいんです、いいんですよ、神父さん。俺はそれでも貴方が好きなんですから。そうやって、いつまでも傷つければいいんです」
自暴自棄に歪んだ吸血鬼の顔は、かっと口を開いて白い牙を獰猛に覗かせた。口の中の赤い舌が、奇妙なエロティックさを醸し出していて思わず生唾を飲み込む。
「さあ、神父さん。喉が渇きました、その忌々しき十字架を離してください。俺、焼き殺されたくはないんです」
無意識なのだろう。環は軽く舌なめずりをする。ぺろりと厭らしく音を立てた舌は堪らない。そのままこの男を手に入れてしまいたい衝動など、何度も経験してきた。しかしその度に俺は目の前に荘厳と立ちはだかる神の姿をただ瞳に映した。そう、俺は神に仕える身。自分の立場を弁えるのだ。散々言い聞かせた後、諦めたように俺はもう一度十字架に力を込めてからそれを手放した。
「・・・早くしろ、環。いつも言っているが、吸えるだけ吸おうとするのは止めてくれ」
「約束できませんね。神父さんの血は何よりのご馳走なんですから」
環はその細い手首をさっと一振りして俺の首筋を伸びすぎた爪で引き裂いた。一筋の血がゆっくりと体を侵食しながら滴っていくのがわかった。環はそれを一滴も無駄には出来ないと、舐め取った。そうしてから、今度は牙を立てて血を吸い出すのだ。ずぶり。環の牙が柔らかい俺の首に二つの跡を残す。神に背いた一つの証を。
何が茶番に付き合うつもりがないのだろう。もう遅い、全ては遅いのだ。



自分もお遊びが過ぎた、と後悔するのはいつも空が白く眩しく輝きだしてからだ。どうしてこんなに奴に執着するのか、未だに答えは出ていない。いや、出ていないのではなく出さないのだ。本当はそんなこととうにどうでも良くなっている。ふと思えば、左手が環の付けた二つの跡を求めて彷徨う。環に当て付けのように見せ付けるだけの十字架のチェーンが冷たく傷を触るので、これが一体罪なのか罰なのかわからない。ただ触れた傷口が膿んで優しく疼いていればそれだけでよかった。環の傷ついた優しさを思い出して温かい気分に浸れる。
環は間違いなく夜の眷属だった。その証拠に、朝陽には耐えられず、光を浴びるとそのまま紫煙の焔に包まれて消滅してしまうのだと語っていた。
「長く生き過ぎるといけませんね。仲間がどのようにして朽ち果てて逝ったのかを説明するのもどうやら難しい。世界には言葉が溢れすぎた・・・」
不思議とテールランプの灯りだけは怖がらないこの生き物は、私はもうすぐ消えるでしょうと戯言の様に繰り返す。
「その前に、私は貴方の永遠を見たい」
「永遠?」
思わず堪りかねてその言葉に口角を上げた。これだけ生き長らえてきていると言うのに、今更何を欲しがる? 永遠とは、己の存在をさす言葉ではないのか?
「もっとも尊いもの・・・綺麗で美しく、儚い。輝くもの、奇跡の欠片、清らかな心。貴方がたは常にさまざまな名前でコレを呼びましたね」
「環、」
「鏡夜、愛しています」
言葉に詰まり、明らかにうろたえた俺を環はそのいつもの微笑で包む。その微笑みが怖くなって、無意識に十字架を握り締めていた。環の羽織るマントが風もないのに礼拝堂の中で奇妙に揺れた。これが闇の生き物の力というものなのだろう。背筋に嫌な感覚が流れる。俺は逃げ場を求めるように目線を左に流した。
「俺は・・・神に背いてまで愛に手を出したりは、しない」
「そんなのは貴方のいいわけだ、鏡夜」
この生き物は何一つ理解してはいなかった。俺が、もはやどんなにお前のことを愛しているかなんて。
「俺は・・・!」
苦虫を噛み潰したような表情の俺は、更に十字架をきつく握り締めた。鋭く尖った角に柔らかい掌の肉が触れて、ぶつ、と何処かが切れた感触がした。あ、と環が声を上げる。(環、環環、環! 出来るのならば今にでもお前を攫ってゆきたいのに!)
環は器用に伸びきった人差し指の爪を使って左手首をざっくりと切った。思ったより傷は浅く、白い地肌にすうと赤い線を垂れ流していた。
「俺の血を飲むだけで良いんだ。たった一口、口に含むだけでいいんです」
色素の薄い瞳を月のように細めた環の瞳に吸い込まれて、ほぼ無意識に俺は聞き返していた。
「そうしたら・・・?」
環は嬉しそうに、その言葉を口にした。
「そのときこそ、貴方は本当に俺の恋人」
ああ、この憐れな生き物をどうか救ってください。俺の最愛の吸血鬼をどうか、救ってください。目の前に聳え立つメシアの像に俺は懸命に祈りを捧げた。
とうとう環の滴る血を口にすることは出来なかった。その代わり、俺たちの身代わりのように俺の血と環の血とが固い地面の上で熱く混ざり合う。かみさま・・・! どうか、彼を幸せに、彼に、愛を。
最後まで淋しいと囁かない吸血鬼は、小さくまた、永遠が見たいと呟いた。俺はぼうと血を眺める。
「ねえ、神父さん、貴方酷い人だ」
作品名:And you shall be a true lover 作家名:しょうこ