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かつみあおい
かつみあおい
novelistID. 2384
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狼たちの心臓

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 自分の家のことで忙しかった私に、助けを乞う手紙が届いた。私にしかできない仕事だと。
 恩はあるので、指示どおりに向かった。あの、ストイックな別荘へ。
 昔つかった女官服に着替えていると、私が乗ってきた馬をさっそく散歩に使っていた彼女が帰ってきた。再会を敬意を持って祝えば、そんなことしないでと叱られた。
 彼女の体型は、出会った時と何一つ変化がなかった。
 最後にエプロンをはおろうとしたが、袖が髪飾りに引っ掛かった。、焦りながらほどこうとすると、そっと細い手が伸ばされた。柔らかく、優しげに解いていく。

「あなたはきれいだわね。いつまでも若々しい」
 私の髪の毛に手櫛を入れた。そこそこ長い髪を滑らかに梳いていく。彼女ほど長くはない、しかし、劣化は絶対しない髪を。

「美しいハンガリー。私の鏡」

 そして、この人は目で問う。世界でいちばん美しいのはだあれ?
 私は、かつて答えた。宗主国の王妃の名前を。

「だから、あなたは蹂躙されてはいけないわ。あんな男に恋してはいけないのよ。ふふふふふ、うふふふふふ」

 では、今は?

「片田舎で自分のことに専念していればいいの。その美しい顔を誰にも見せてはいけない。見せることなんて許さないんだから」

 望まれるのは女性性の保護か、女性性故の嫉妬混じりの追放か。
 どちらにしても、自由を得ている私にとって答えは決まっていた。

「だけど、たまにはオーストリアさんのピアノを聴きに行きますよ。だって、あんなに美しいんですもの」

 髪が一気に数十本抜かれた。
 骨が浮かんだ指の間に、抜かれた髪の毛が絡みついていた。
 とっさの痛みよりも、60代という実年齢に相応しい皺が無数にできていることで怒りは湧かなかった。もうお姫様ではない彼女を見ている悲しみの方が強かった。

 かつての偉大な女王は長命だった。晩年は、若い頃の美貌こそ失われたが、その威厳や人生でなしえたことの充足感は、彼女を実年齢より余裕あるゆったりした表情をとどめさせることに成功していた。
 彼女と死の淵で何とか和解できた姑でさえも、実直な息子を育て上げた自負が滲み出た笑みを浮かべることが多かった。

 だけど、この人にはそれがない。だって、自分の表面しか向き合っていなかったのだから。
 乳房の底に飼われた魔女を捨てることも隠すことも気がついたらできなくなっていた。魔女は誰しもが持っているというのに。
 もちろん、私も持っている。戦場に行く私。誰かに頬を染める私。上司たちにつき従う私。どれも私だが、それらを矛盾なく、それぞれの相手にはひた隠している。それを魔女と呼ばずに何と呼ぼうか。
 だから、魔女になってしまったのは彼女の責任ではないのだけれど、違う道を選ぶこともできたことも事実だ。
 顔色はお互い変えなかった。何事もなかったかのように昔と同じような話を始める。

「そろそろルドルフへの贈り物を考えなくてはね」
「大変遺憾ですが、皇太子はお亡くなりになっております」
「わかっているわ。だから毎日喪服を着ているのよ」

 亡くなった後に愛を注いでも、すべては後の祭り。どんなに豪奢な贈り物も、珍しい旅の土産も、ピストルを自ら撃った魂には届かない。
 私たちは、自分たちにはそういう対象が持てなかったから、ことさらにイタちゃんたちを私たちなりに慈しんだ。いつか巣立ってしまうのも自覚していた上で。
 悲劇を知った私は、神聖ローマがいなくなってしまったときを思い出して、あの人の胸でたくさん泣いた。あの人の方が将来の上司を失って絶望に近かったはずなのに、何も言わなかった。そっと、髪を撫でてくれた。
 その夜、寝室に届いたモーツァルトは、塩の街の匂いがした。偉大な早世の音楽家の故郷は、内陸にあるのにも関わらず、海よりも涙の色に近い湖がたくさんあった。

 人間でない私より、よっぽど銀の鏡らしいあなた。簡単に素敵な笑顔を返してくれるのに、誰も触れることのできないあなた。
 だけど、屋敷から、属国たちが次々と消えていく中、静かに奏でられるピアノが、あなたに届くことはこの先もないでしょうね。

 オイル浴に向かう彼女につき従いながら、私はより本物の魔女に近い内心が現れないように、鏡の向こうに似た笑みを浮かべた。








fin


作品名:狼たちの心臓 作家名:かつみあおい