Doubt
3.
明けて翌日。
朝も早くから元気な店主に勧められて、がっつりと朝飯を食ってしまった。料理自慢をするだけはある。定番の朝メニューといえど、自家製だというパンは非常に良い味だったし。今度は夜も食おうと心に決めながら、ハボックはそれなりに人通りの増えた道を広場の方へと向かう。
結局昨日もめぼしい情報はなかったとのことなので、益々草の根作戦で行かなければならない感じだが…さて、どうするか。
ふと、耳馴染んだ音を拾った気がして首をめぐらせた。
通りすがった路地の交差する角から、音のするほうへと視線を向ければ、馴染んだものが視界を過ぎる。
この国の何処へ行っても見る青。訓練を受けたもの特有の靴音。軍人だ。
巡回だろう。2人組の軍人が通りの向こうを歩いている。一応この街の管轄は東部だが、東方司令部の直下ではない。近隣の中核都市の支部が担当のはずだが、さて何処だったか。
すれ違いざまちらりと一瞥されたようだが、そ知らぬカオで通り過ぎる。
やがて規則的な靴音は遠ざかっていった。
普段であれば、支部に協力を要請すれば、多少の情報は集められるだろうが、現時点ではそれも出来ないし。
何の気なくすれ違った彼らを肩越しに振り返ったら、ワゴンを止めて花を売っている女が、彼らに向けて花を差し出しているところで。
「あ」
そういえば、宿の主人が花を貰ったがどうとかとか言っていたような。
とりあえず、手を付けられそうな所からスタートしたほうが良いだろう。探している相手の、いつもの行動パターンを辿れば良い。どうせ分っていることは少ないのだし、酒場を1軒1軒潰していくよりかは確立が高い気がする。(しかも微妙に役得も含む、ハズ)
まずは軍人にまで平気で声をかけていた、ワゴンの花売りの女性から。
昨日の酒場と同じような事を問えば、毎日この辺にいるけれど、そんな良い男なら声掛けない訳ないじゃない、と一笑にふされた。
ついでとばかりに、昨夜聞いて回ったのと同じ事を繰り返せば、ちょっとばかり毛色の違う答えが返ってきた。
ほんのここ数ヶ月の間に、それまで見た事のない連中が格段に増えたというのだ。
男達の目から見れば、ほんの些細な事かも知れないが、女達の目から見れば違うらしい。
「そいつらはモルガンさんの炭坑で働いてるみたいだけどねぇ。…そんなに人雇うほど、あそこは出ないって聞いたんだけど」
厳つい男ばっかり増えてくるとなると、ちょっと心配事も増えるし。
「別に屯ってても何する訳でもないみたいなんだけどね。今の所は何もない、じゃ安心できないよ」
「モルガンって、何か息子さんが帰ってきたとか?」
「そっちは何て言ったかな、中央からこっちに越してきたとか言う金持ちで、スタ何とか」
「スタンレー?」
「ああ、たぶんそんな感じだったかな。帰ってきたというか、あまりにも遊びが過ぎるってんで連れ戻されたみたいだよ。この辺よくフラフラしてるらしいけど、私はよく知らないね」
それから町中を歩き回り、いくつかの花売りに声を掛け続けること何度目か。
「…たぶんあなたが探してる人、今朝見たわ」
何度も同じ問いを繰り返していたので危うく流すところだった。だが、内容的には流すことなぞ出来ない内容で。
あー、くりっとした瞳が可愛いなぁ、なんてぼんやり思ってる場合ではない。
「今朝?」
それはちょっと、と思いつつ、ゆっくりと確認するように繰り返す。
「えぇ。前は花を買ってくれたんだけど、今日は何も。挨拶だけだったわ」
残念、なんて言って笑う顔は、見間違いとかではないようだが。だが、それだと少しおかしい。
「・・・一人だった?」
「ええ、一人だったわよ」
・・・ええと。
どういうことだ。
あの上司は、妙な連中に連れて行かれて。なのに、後、自由に出歩いているのか?
別にべったりくっつかれていなければ、誰かに監視されていたとしても、あの人ならどこかの店だのなんだので隙を見て伝言頼むとか簡単な事だろうに。
最初に宿から連絡を入れさせたのに、なのに何でその後の連絡を入れてこない?
あの一報は、司令部…というか自分たちを動かすために入れたわけではないのか?
「どうかしたの?」
「あ?ああ、いや。…連れがいるはずなんだけど、そいつどうしたのかなって」
「連れ?…その時は誰も一緒じゃなかったと思うけど」
「いや、別に良いんだけどさ。何処か行く、とか何か言ってなかったかな」
さぁ、と彼女は小首を傾げた。
「・・・でも、」
「え?」
「その人のこと聞きにきたの、あなただけじゃないのよ」
「・・・どんな奴だった?」
少し声を潜めて言いよどんだ彼女に、視線を合わせるように、ハボックは少し背を屈めるようにして顔を寄せた。少し辺りを見回してから、彼女は小さく告げる。
「・・・一昨日のことよ。・・・私服だったけど、たぶん軍の人だった。顔見たことある気がするの」
「・・・何だって?」
「確かかどうかは、分らないんだけど」
そういって困ったように眉を寄せる女の事はもう見えていなかった。
「・・・いや良いって。ありがとな、助かったぜ」
あ、これ貰ってくな、と。作りつけの小さな花束をひとつ浚うと、ポケットに入れっぱなしだった皺だらけの紙幣を渡してつりも受け取らずに踵を返した。
ああ、何か大佐が花持ってた理由ってこれかもしれないな、と頭の片隅で思いつつ、宿へと足を向ける。
取りあえず、電話だ。とやかくいうよりも司令部で確認して貰った方が断然早い。昨日の話とこれがどう繋がるのかは分らないが、こっちで繋げられなくても、司令部にはそっちの方が得意な面々が揃っている。
自分はただ、動くだけだ。
周りに不審がられない程度に道を急いでいると、いくつめかの角を曲がる途中でふと気付いた。
行き交う人の数は昼日中だがそんなには多くない。もちろん同じ方向へ歩いている人もいる。だが、一定の距離を保っているが、わかる。
誰かが付いてきている。
だが振りかえって確認するわけにもいかず。取りあえず宿へと向かうつもりでいたが、さりげに道を逸れた。
歩調は変えぬままに、徐々に人の少なくなっている方向へと。距離はそのまま、背後の気配も付いてくる。
どうやらお相手は複数いるらしい。しかも嬉しくない剣呑な気配を隠そうともしていないし。
ハボックとしては心当たりなぞ今のこの聞き込みくらいなものなので、やっこさんたちのご用事はこの一件しかないだろう。昨日の今日でご苦労な事だ。
だがこれは好機だ。何せこちらの手持ちの情報は少ない。逆に向こうの網に引っ掛かったのだとしたら、願ったりだ。
荷物は宿に置きっぱなしだが、町のだいたいの地理は頭の中に入っている。このまま道を逸れていけば、確か郊外の森(というか寧ろ山)近くに出るだろう。本当は街中に戻った方が良いが、イーストと違って、かわすための路地が殆どないのだ。
面倒だな、と思いつつも歩調は変えられない。そうこうしているうちに民家はほとんどなくなってきた。郊外は資材や廃材の置き場などになっているらしい。
すれ違う人もまばらになってきたな、と思った時だ。
背後から付いてきていた足音の調子が変わった。
反射的に地を蹴る。