薔薇の下で眠れ
考えなしの私はすぐに後悔しました。お兄ちゃんが背伸びをして、吐息がかかる距離で、静雄お兄ちゃんの耳元に囁いたその言葉に打ちのめされて。赤く染まった耳を隠すように顔を上げて、「そ、そうなのか」と言った後、静雄お兄ちゃんはようやく驚愕を顕にしました。静雄お兄ちゃんにとっては、驚きべき真実よりも、お兄ちゃんの囁きを間近で聞いたこと、もしかしたらその吐息を感じたのかもしれませんが、とにかくそっちの方が重大な事件だったのです。
「秘密ですよ」
悪戯っぽいその笑みがどれほど魅力的か、お兄ちゃんはきっとわかっていません。そして、自分の顔がどれほど赤くなっているのか、静雄お兄ちゃんは気づいていないのでしょう。
大好きな二人。
絶対に嫌いになんてなれない二人。
その後、何と言って二人と別れたのかは覚えていません。
その夜は泣き明かしました。次の日の朝、真っ赤になった顔を心配されたけれど、そんなことどうでもよかった。大好きな人の眼中にも入れないのなら、いくら綺麗にしていたって意味がないのです。
その後も、二人に会いに行かずにはいられませんでした。二人が進展しないように、見張っているつもりだったのかもしれません。私の知らないところで、二人が両思いになってしまったら、そう思うと、心臓が止まってしまうんじゃないかと思うくらい、胸がきりきりと痛んで居ても立ってもいられなかったから。
でも、二人はそんな私を邪険にすることなく、やさしく受け入れてくれました。ずっと私に変わらない愛情を与えてくれていたのです。それが苦しくてたまらない時もありました。けれど、確かにあの日々は幸せに包まれていたのです。
二人が去って、灰色にくすんだ街で、私は今までどれだけの幸福を与えられていたのかを知りました。
お兄ちゃんは、この街でどんどん歪められていきました。そんなお兄ちゃんに寄り添うように、静雄お兄ちゃんは片時も離れずに傍にいるようになりました。街はどんどん騒がしくなり、危ないから一人で出歩いてはいけないと言われるようになり、幼い私の知らないところで色んな事件が起きているようでした。
そんなある日、お兄ちゃんがいなくなりました。静雄お兄ちゃんが攫っていったのだと、大人たちは口を揃えて言いました。皆悲しんでいるように見えたのに、誰も二人を探そうとはしませんでした。
そして、とうとう二人がいなくなった理由と元凶を知って、少女だった私は、裏社会の人間として生きることを決めました。
じめじめした薄暗い倉庫に足を踏み入れる。潮風を浴びながら、髪が痛みそうだと意味のない思考が流れて行く。今私の頭の大部分を占めているのは愛しさと憎しみ。そして、一歩進むごとに遠くなる風景。それは、お兄ちゃんによく連れていってもらった緑に満ちた山。手をつないで帰った夕焼けに染まる田圃道。サングラスの向うの優しい目。頭を乱暴に撫でる大きな手。そして、何よりも大好きな黒と金色。澄んだ黒が青く澱み、穏やかだった金色が悲しみに沈んでいったあの日々。
今日は記念すべき日だ。やっと、念願が叶う。
大好きな二人の、そして幼かった私自身の敵を討つことができるのだ。
高揚を抑えつけて、幼い日に信じた赤い目を見据える。相変わらず何を考えているのかわからない余裕そうな笑みを浮かべている。だけど、ここにいること自体が、彼が追い詰められている証だ。とうとうここまで追いつめた。そのためにどんな汚い手も使った。これからはもう血で血を洗いながら生きていくしかないほどに。
(お兄ちゃん)
(静雄お兄ちゃん)
(ごめんね。もう戻れない)
すっかり手に馴染んでしまったリボルバーを向ける。もうこの周りは粟楠会の要員全てで囲まれていて、逃げ場なんてない。だけど、この人だけは私が殺さなければいけない。そのためにここまで来たのだから。
「ね、折原さん」
真紅に濡れた手は、もうあなたたちが愛してくれた少女のものではなくなってしまった。永遠に届かない想いは、あなたたちを追いつめた悪魔と共に葬りましょう。
「死んでください」
(さようなら。大好きでした)
-------------
茜ちゃんと帝人くんは基本的なところが同系統の人間だと思ってます。大切なものを守るために何でもできてしまうところとか。良識あって無邪気だから怖いところとか。茜ちゃんは日常を愛していて、周りの人間の事情に率先して踏み込んで行くのに対し、帝人くんはそれなりに社交的ではあるけどあまり他人に興味がなくて、非日常への欲求が強いという点が対照的かな。その一点が、二人の大きな違いなのですが。
とりあえず、どちらも天使の顔した魔王様だと思っています。その上、ダラーズと粟楠会をそれぞれ束ねた上で手を組んだら、もう誰にも止められない。この二人がじゃれあっていればそこはまさに天国ですが。
需要があるようなので、調子に乗って書いてしまいました。期待はずれだったらすみません。