並盛亭の主人
☆
その看板を見つけたのは、偶然だった。
「……喫茶・軽食『並盛亭』?」
(こんなところに食べ物屋なんてあったっけ…?)
既に通い始めて2年になる大学への通学路で、たまたま目に付いた。
住宅街の一角、細い路地の奥を指し示すそれに、綱吉はふらりとつられていく。
(いつも通ってる道なのに、全然気づかなかったな)
「わ…!」
突き当たったそこには、純和風の邸。
玄関の引き戸の傍には立て看板。
そこには本日のランチはオムライス、という言葉と共に、ふわりとした焼き加減まで伝わってきそうな写真が留められていた。
(いいなあ、美味しそう)
こくり、と思わず唾を飲んだ時、玄関の引き戸ががらりと開けられ、中から青年が現れた。
年の頃は二十代半ば、背はすらりと高く、黒い髪を短めに切りそろえており、白いコックコートと黒いスラックスを身に着け、腰に黒く丈の長いギャルソンエプロンを巻いている。
「……」
ふと、青年と目があった。
切れ長の、髪とよく似た黒い瞳に見下ろされて、綱吉は思わずどきりとする。
(…きれいなひと)
女性的なたおやかさではなく、かといって単に雄々しいわけでもなく。
それぞれのパーツが整っていて、うつくしいのだ。
(和服…着流しとか、似合いそうだな)
「…………」
そのまま、数秒間の沈黙の後。
「客かい?」
先に口を開いたのは、青年の方だった。
「えっ、いやっ」
彼に見惚れていたことに気づいて、綱吉ははたと我に返る。
「何、違うの?」
「あ、あのすいませんっ、俺お金無いしっ」
じい、と見つめられて、わたわたと顔の前で両手を振る。
右手に持ったままのビニール袋が、がさがさと音を立てた。
「…栄養の足りない顔だね」
突然そんな事を言われて、かあっと顔に血が上る。
確かに自分は所謂苦学生で、今日みたいに授業に必要な画材を買えば昼食代にも困ってしまう時だってあるけれど、そんなに物欲しげな顔をしているんだろうか。
「お、お邪魔しました…!」
なんとかそれだけを言って、綱吉は踵を返してその場を逃げ出した。
走りながら、一度だけちらりと振り返ると、青年はまだ綱吉の方を見ていた。
(変なひと…)
慌てて前へ向き直り、今度こそ綱吉は彼の目の届かない場所まで駆けていった。