繋がるものは
アルトノートがその術の存在を知ったのは、とある戯曲集を読んでいたときだった。古い短編を集めたその本は、偶然古書店で手にしたもので、頁はぼろぼろインクは滲み読み辛いことこの上なかったが、ぱらぱらと流し読みした数編の出来が上々だったので買ってきた。
彼の選択は大当たりで、他の話もなかなかに面白かった。食事も睡眠もそっちのけで延々と読み続け、ずっしりと分厚いそれを読破したときにはすでに翌日の朝だった。どれもこれも気に入ったが、中でも一番彼の興味を引いたのは、一人の人形師の話だった。片手で一つ、両手で二つ、彼が操る人形はまるで生きているように見る者を魅了した。そしてまた彼は、人間ですらも操ったという。人形のように。
単なるおとぎ話だ。しかし同時に、妙に気になって仕方がなかった。もしかしたら、これは実在した人間の話か、あるいはそれを元にして作られたものではないだろうかと思えた。それには理由がある。この本に収められていた戯曲に登場する人物は、あらかた歴史上の有名な英雄になぞらえることができるのだ。ならばこの人形師も自分が知らないだけでかつて生きていた人物であり、脚色が入っているにせよ、彼の技も存在したのではないだろうか。
その日から、アルトノートは暇を見つけてはこの人形師について調べた。似たような話があると聞いては図書館に調べに行き、歴史を紐解き、古書店に入り浸っては書棚を漁った。その熱心さの原動力が、生きた人間を思うままに操るという強烈な支配への憧れであったことは彼自身否定しない。調べれば調べるほど、かすかな手がかりをたぐり寄せるほど、人形師の戯曲は実話だと確信するほどに、その憧れは増した。執念と言っていいものにすらなっていた。彼自身歌を生業とし、歌によって人を鼓舞する力を持つ、言ってみれば同業者である。競争心のようなものもあった。
そしてある日、彼はついに、術の構築を理解した。いかにして他人からその身体の主導を奪い、自分の意志を介入させるか。おそらく間違ってはいないと思う。しかしこればかりは一人では確かめられない。自分に術をかけたところで意味がない。自分の身体を支配するのは元より自分だからだ。
彼は自室を出て、広場へ向かった。彼の所属しているギルドはメンバーが共同生活をするための建物は持たなかった。ほとんどの人間がここ、首都プロンテラの出身で、家もそこにあったからである。だからといって仲が悪いわけでなく、むしろ結束は強いほうだと思う。メンバーは特に招集がかからないときも、なんとなし広場の片隅のベンチにふらり集まっては雑談で時間を過ごすことが多かった。今の時間なら誰かしら居るだろう。彼ははやる気持ちを抑えつつ広場に向かった。
並木道を抜け石造りの薬屋の角を曲がったところにある広場は、表通りに面していないため人通りが少ない。露店を開く商人もあまり見かけない。それは逆に彼らのような仲間内で集まって雑談するのが目的の者には好都合だった。息を切らして辿り着くと、広場にはギルドマスターの騎士と、彼の幼なじみのプリーストが居た。
かねてから研究していた技をようやっと修得したというと、プリーストは幼なじみの努力が実ったことを素直に祝っておめでとうと笑ったが、騎士は半信半疑の表情を浮かべた。元よりギルドのメンバーはマリオネットコントロールの実在を信じてはいなかった。唯一幼なじみのフローエだけが、彼の努力を応援していた。
そうは言っても、お前まだ実際に使ってみてはないんだろう? 訝しげな表情を浮かべるマスター(名前はシュルツという)に、アルトノートは、なら実際に使ってみせると、フローエの方を向いた。術を掛けてみてもいいかというアルトノートの問いに、フローエは一も二もなく了承を返す。実験台以外の何物でもないのだが、幼なじみが正しかったことを示すのに協力を惜しむ気は彼には無い。
アルトノートは深呼吸を繰り返し、術の構成を数回頭で反芻した。緊張でかすかに強張る指先で、フローエの額をなぞる。特殊な印を描く軌跡が鈍く光った。そこに術者の名前を書き入れて完成の筈である。彼は、書き慣れた筈の自分の名前の綴りですら間違えそうな気がして何度も口の中で呟き確認した。それくらい緊張していた。
全ての文字を書き終え、フローエの額から指を離す。何も起こらないように見えた。ほら見ろ、シュルツが口を開き掛けたその瞬間、かくん、とフローエの身体から力が抜けた。シュルツはぎょっと目を見開く。フローエの腕にも、首にも胴にも、彼自身の力は込められていないのが見て取れる。それなのに彼は倒れない。まるで何処かからつり下がっているように、石畳の上に座り込んだ姿勢を維持している。そのフローエの身体から、細い糸のような光が幾重にも、アルトノートの指先に繋がっていた。
呆気にとられるシュルツの目の前、フローエが不自然に重心を移動させながら立ち上がる。そのぎこちなさも最初の内だけで、彼の動きは次第になめらかさを増した。細い手が、地面に置きっぱなしの杖を手に取る。次の一瞬で、シュルツは腰に下げていた剣を鞘ごと目の前に抜きはなった。耳障りな音を立てて、杖が弾かれる。信じられないものを見る目で、シュルツはフローエを見た。フローエは運動の類が総じて苦手である。走るのも遅い。素早い動きや近接戦闘など、不得手の中の不得手のはずなのに、今の身のこなしは何だ。
アルトノートの表情もまた、驚愕に変わっていた。彼は無論シュルツを本気で攻撃しようとしたわけではない。少し驚かせるだけのつもりだった。シュルツは優れた騎士だし、特に回避に秀でている。フローエの鈍い打撃くらい、予想していなくとも容易にかわすだろうと思っていた。フローエがシュルツをひやりとさせるような攻撃など出来るはずが無い。たとえアルトノートが思い描いた動きが、熟練した戦闘職のものだったとしても。彼はそう考えたのだ。だが現実は違った。フローエは、とろいと笑われるいつもの彼の動きではなく、アルトノートの想像の産物そのままに身を翻した。
すごい。
興奮に任せ、アルトノートは呟いた。戦闘職ではないフローエでもこれだけの動きが可能になる。なら戦うことを専門にする者なら。自分が有るべき動きを記憶に焼き付ければ、素晴らしい能力を発揮するのではないか。そんなことを考えるアルトノートの心を満たしていたのは、そのときまでは歓喜だけだった。長らく研究していた術を成功させた喜び、その威力への興奮、そういったものを溢れさせ、彼はフローエに話しかけた。誰に馬鹿にされ笑われても応援してくれた幼なじみに。
フローエは何も答えなかった。
彼の選択は大当たりで、他の話もなかなかに面白かった。食事も睡眠もそっちのけで延々と読み続け、ずっしりと分厚いそれを読破したときにはすでに翌日の朝だった。どれもこれも気に入ったが、中でも一番彼の興味を引いたのは、一人の人形師の話だった。片手で一つ、両手で二つ、彼が操る人形はまるで生きているように見る者を魅了した。そしてまた彼は、人間ですらも操ったという。人形のように。
単なるおとぎ話だ。しかし同時に、妙に気になって仕方がなかった。もしかしたら、これは実在した人間の話か、あるいはそれを元にして作られたものではないだろうかと思えた。それには理由がある。この本に収められていた戯曲に登場する人物は、あらかた歴史上の有名な英雄になぞらえることができるのだ。ならばこの人形師も自分が知らないだけでかつて生きていた人物であり、脚色が入っているにせよ、彼の技も存在したのではないだろうか。
その日から、アルトノートは暇を見つけてはこの人形師について調べた。似たような話があると聞いては図書館に調べに行き、歴史を紐解き、古書店に入り浸っては書棚を漁った。その熱心さの原動力が、生きた人間を思うままに操るという強烈な支配への憧れであったことは彼自身否定しない。調べれば調べるほど、かすかな手がかりをたぐり寄せるほど、人形師の戯曲は実話だと確信するほどに、その憧れは増した。執念と言っていいものにすらなっていた。彼自身歌を生業とし、歌によって人を鼓舞する力を持つ、言ってみれば同業者である。競争心のようなものもあった。
そしてある日、彼はついに、術の構築を理解した。いかにして他人からその身体の主導を奪い、自分の意志を介入させるか。おそらく間違ってはいないと思う。しかしこればかりは一人では確かめられない。自分に術をかけたところで意味がない。自分の身体を支配するのは元より自分だからだ。
彼は自室を出て、広場へ向かった。彼の所属しているギルドはメンバーが共同生活をするための建物は持たなかった。ほとんどの人間がここ、首都プロンテラの出身で、家もそこにあったからである。だからといって仲が悪いわけでなく、むしろ結束は強いほうだと思う。メンバーは特に招集がかからないときも、なんとなし広場の片隅のベンチにふらり集まっては雑談で時間を過ごすことが多かった。今の時間なら誰かしら居るだろう。彼ははやる気持ちを抑えつつ広場に向かった。
並木道を抜け石造りの薬屋の角を曲がったところにある広場は、表通りに面していないため人通りが少ない。露店を開く商人もあまり見かけない。それは逆に彼らのような仲間内で集まって雑談するのが目的の者には好都合だった。息を切らして辿り着くと、広場にはギルドマスターの騎士と、彼の幼なじみのプリーストが居た。
かねてから研究していた技をようやっと修得したというと、プリーストは幼なじみの努力が実ったことを素直に祝っておめでとうと笑ったが、騎士は半信半疑の表情を浮かべた。元よりギルドのメンバーはマリオネットコントロールの実在を信じてはいなかった。唯一幼なじみのフローエだけが、彼の努力を応援していた。
そうは言っても、お前まだ実際に使ってみてはないんだろう? 訝しげな表情を浮かべるマスター(名前はシュルツという)に、アルトノートは、なら実際に使ってみせると、フローエの方を向いた。術を掛けてみてもいいかというアルトノートの問いに、フローエは一も二もなく了承を返す。実験台以外の何物でもないのだが、幼なじみが正しかったことを示すのに協力を惜しむ気は彼には無い。
アルトノートは深呼吸を繰り返し、術の構成を数回頭で反芻した。緊張でかすかに強張る指先で、フローエの額をなぞる。特殊な印を描く軌跡が鈍く光った。そこに術者の名前を書き入れて完成の筈である。彼は、書き慣れた筈の自分の名前の綴りですら間違えそうな気がして何度も口の中で呟き確認した。それくらい緊張していた。
全ての文字を書き終え、フローエの額から指を離す。何も起こらないように見えた。ほら見ろ、シュルツが口を開き掛けたその瞬間、かくん、とフローエの身体から力が抜けた。シュルツはぎょっと目を見開く。フローエの腕にも、首にも胴にも、彼自身の力は込められていないのが見て取れる。それなのに彼は倒れない。まるで何処かからつり下がっているように、石畳の上に座り込んだ姿勢を維持している。そのフローエの身体から、細い糸のような光が幾重にも、アルトノートの指先に繋がっていた。
呆気にとられるシュルツの目の前、フローエが不自然に重心を移動させながら立ち上がる。そのぎこちなさも最初の内だけで、彼の動きは次第になめらかさを増した。細い手が、地面に置きっぱなしの杖を手に取る。次の一瞬で、シュルツは腰に下げていた剣を鞘ごと目の前に抜きはなった。耳障りな音を立てて、杖が弾かれる。信じられないものを見る目で、シュルツはフローエを見た。フローエは運動の類が総じて苦手である。走るのも遅い。素早い動きや近接戦闘など、不得手の中の不得手のはずなのに、今の身のこなしは何だ。
アルトノートの表情もまた、驚愕に変わっていた。彼は無論シュルツを本気で攻撃しようとしたわけではない。少し驚かせるだけのつもりだった。シュルツは優れた騎士だし、特に回避に秀でている。フローエの鈍い打撃くらい、予想していなくとも容易にかわすだろうと思っていた。フローエがシュルツをひやりとさせるような攻撃など出来るはずが無い。たとえアルトノートが思い描いた動きが、熟練した戦闘職のものだったとしても。彼はそう考えたのだ。だが現実は違った。フローエは、とろいと笑われるいつもの彼の動きではなく、アルトノートの想像の産物そのままに身を翻した。
すごい。
興奮に任せ、アルトノートは呟いた。戦闘職ではないフローエでもこれだけの動きが可能になる。なら戦うことを専門にする者なら。自分が有るべき動きを記憶に焼き付ければ、素晴らしい能力を発揮するのではないか。そんなことを考えるアルトノートの心を満たしていたのは、そのときまでは歓喜だけだった。長らく研究していた術を成功させた喜び、その威力への興奮、そういったものを溢れさせ、彼はフローエに話しかけた。誰に馬鹿にされ笑われても応援してくれた幼なじみに。
フローエは何も答えなかった。