温泉! 温泉!
そして、数分後、ドイツの胸のざわめきは、ざわめきを通り越した動悸となることになる。
目の前を、全裸の女性が大事なところを隠しもせずに堂々と横切って行く。
「ここが良いのは、武器を持ちこめねぇってことだぜ。さすが、親父と同じ名前の浴場ってだけはあるな」
ああ、直接会ったことはありませんが、天国の大王様。
貴方様は、防衛的な意味でなく、フランス文化大好きという趣味的な意味で、こういう方式ですよね。絶対そうですよね。
水着でなく、脱衣で入る温泉はヨーロッパでは珍しい。おまけに、混浴である。
浴槽に行くまでは、いい歳をしながらも兄に手を引かれて下を向きながら歩いた後に、女性を目にやらないようにするために、ドイツが取った行動は、兄を見ることだった。
しかし、入浴は定期的にしていたが、全裸の誰かと一緒に入るという経験はドイツにとって初めてである。おまけに、一方のプロイセンは目を細めてうっとりと成長したドイツを見つめている。周りの全裸の貴婦人には目もくれず、最愛の弟だけを彼は警護という名目のもと、存分に見つめている。
7週間の強烈な成長期の後に、兄の前で素肌をさらすのは、初めてのことだった。ドイツにだって、この兄の表情が、息子の成長を喜ぶ母親に近いものだということは頭ではわかっている。
わかっているのだが、プロイセンの身体は湯気の中、温められて、少し頬も紅色になっていることとか、水滴がついて、頸筋も唇もほんのり濡れていることとか、あまつさえ、その視線が、ドイツの下半身を歓喜に満ちた瞳をより赤くさせながら凝視していることに、羞恥以上の何かを感じずにはいられなかった。 湯の噴水が白亜の彫刻が並ぶ中、こんこんと湧き、翡翠色のドーム天井から虹色に光が零れる。
そのすべての光が、湯にも兄の肌にも反射する。
ここは本当に楽園かもしれない。
「に、兄さん」
「んあ?」
「あんまり、見ないでくれ」
「いやー、ちょっと見ないうちに立派になったよなあ。こないだまで、毛もほとんど生えてなかったのによ」
「感慨深いコメントも勘弁願いたい」
兄から見えない場所に隠すように、温めの湯につかると、プロイセンはゆるゆるとドイツの髪をすき始めた。胸や腹に比べると、少し冷えた指が気持ちよく、ドイツも目を細める。時々、指や首筋にかかる。
くすぐったくなるような、じんじんかゆくなるような。
少しでも長く指の感触がかかるから、髪が伸びて良かったと、これほどまでに思ったことはない。
そうして、兄弟は久しぶりに、いい匂いのする石鹸で、つるつるに互いを洗いあって、だらだら浴槽につかっては、サウナやスチームで身体をほぐした。
最後に、つま先まで赤くなった兄が、人気のないシャワー場にドイツを連れ込んだ。プロイセンは湯を出して、会話が聞かれないように声を潜めた。その振動さえも伝わるくらい、身体も密着している。
「どうだ。最高だろ」
「ああ、素晴らしいところだ」
「最後に、そんなお兄様からプレゼントがある」
まるで耳を舐められるほどの距離で兄は唇を開いた。
「さっきのカジノでも、この浴場でも、気に入った女はいなかったか。何人でも呼んでやるからな」
酒、ギャンブル、と来たら、次は女だろ?
シャワーの音が止んだかに思えた。
気が付いたら、ケセケセ笑う、楽園の誘惑者を黙らせたくなり、ドイツはその頭を抱え込んで口づけていた。
たくさん女性を見たが、この兄しかここに来てから目に入っていないという事実を、そこでようやく意識した。そして、それより先に身体が動いていた。
間もなく自分はこの兄に懸想しているという結論に辿りついたときには、自分の身体は水風呂に投げ飛ばされていた。
噴水と同じ高さまで、水しぶきが上ったのがわかった。
「まったく、初めての公衆浴場だからって上せちまったか~。やっぱりちょっと早かったな! 俺様うっかりしてたぜ!!」
水風呂の底からは、高らかな笑いは届かない代わりに、こちらの獣じみた視線も辿りつかない。
兄は、ドイツこそすべてを手に入れた存在だと吹聴するが、まだ肝心なものが手に入っていない。
いつか絶対、この両腕に抱えてやる。すべてを委ねさせてやる。
兄の軍事以外での、この危機感のなさは、早くしないと誰かにかっさらわれかねない。可及的速やかに、自分は強大になる必要がある。
タイルにぶつけた痛みの中で、ドイツは堅く決意をしていた。
水しぶきを立てながら、プロイセンは冷てぇと喘いだ。ばたばた暴れる腰も押さえつける。
「なあ、兄さん。覚えているか。あのとき、俺はここで貴方に欲情してたんだ」
あのときと同じ噴水は、形を変えずに弛まず温泉を噴き出している。高い天井も、裸体の彫刻たちも変わらない。
兄の姿は、少し痩せた。しかし、目の色や肌の白さは変わらない。いつもより、うっすら肌が赤くなっているのもあの時と一緒だ。ただし、その理由は湯の温かさだけではない。
「こんな明るいところなんて嫌だ!」
「どうしてだ? 誰も見ていない」
いつもなら、あの頃と同じく全裸の男女が闊歩する浴場も、今夜は二人だけ。貴重な観光資源ではあるが、この目的のために今夜は貸し切った。互いの声の反響音以外、何も聞こえない。
文明の利器は何一つ湯気のために持ち込めないし、服装だって脱いでしまえば昔と変わらない。兄が、自分を意識していなかった頃と限りなく近い再現に、その目は戸惑い、揺れて濡れて床ばかりを見る。
それでも、時々こちらを見る。ちらりと見る。
あの頃の成長を愛でる視線ととてもよく似ていて、だが今は、こちらにとってはそれは照れや羞恥ではなく、被虐したいきっかけにつながる。
いささか乱暴に唇を交わして涙の混ざった舌を味わって、結んだ唾液の糸の上にも、湯の霧が降る。プロイセンは、ため息を悩ましげに吐いた。
「お兄様、お前の国家権力の無駄遣いぷりに泣きそう!」
「ああ。いい声で鳴いてくれ」
兄の頭を撫でながら、水から引き揚げてやり、最も大きな浴槽に手を引く。観念した兄は、なすがままにドイツに導かれて、足を湯に浸した。自棄になったのか、それはほとんど叩きつけるに近く、兄の足底は水面に音を立てて水をはねさせた。
プロイセンの爪が虹色に光る。ドイツは、その間をかき混ぜて乱反射させた。
Fin