FREC2[夏コミ新刊]
簡単でしょ、と彼は笑って手を挙げる。棒の先に丸い的がついたものを持った使用人がやってきて、ティノから十数メートル離れた位置に立てた。
ティノが自分の足下に足で線を引く。
「銃の種類は何でもオッケー。撃つのにどれだけかかっても構いません。よかったら夕飯も食べていって下さい。ね、ベーさん」
「だな。人数増えっと、楽しいしな」
「あはは、そうですよね。ただし、この線から出ないで下さい。出たら、撃ちます」
彼は瞬時に右腕だけを動かして肩から猟銃を取ると素早く照準を構えて斜め上を撃った。ギャッ、という小さな声がした後強い葉擦れの音と共に何かが森の中へ落ちた。鳥か何かだろうか。
にっこり微笑み、何か質問は? 尋ねた彼に笑顔でフェリシアーノは首を振った。
「いい条件ですね。お受けしましょう」
「フェリシアーノ様」
横から上がったローデリヒの非難じみた声にフェリシアーノは鼻で笑う。
「負けないよね? みんななら」
「まあ、負けたとしても希代の狙撃手の首がついてくるかもな」
ルートヴィッヒはそう言って肩を竦め背負っていた銃を下ろし、ギルベルトは腰に指していた銃の装填を確かめる。
ティノは楽しそうに、ではお先どうぞ。線から一歩引いて恭しく頭を下げた。
第五章 Il suo ritorno 〈彼の帰郷〉
「お帰りなさいませ、ロヴィーノ様」
「ただいま。相変わらず綺麗だな、エリザベータ」
「あらあら、それは別の方に言ってあげて下さいな」
「…お前もまたそうやって…」
「いいえ。彼じゃなくフェリシアーノ様のことですよ?」
ロヴィーノははっと目を見開いてから苦々しげにどいつもこいつも…! と吐き捨てたが、少し染まった頬は誤魔化せなかった。
それに微笑むエリザベータの後方からぴんと伸ばした背筋で歩いてくる執事頭に、ロヴィーノは目を向ける。
「ご苦労だったな、ローデリヒ」
「は。ご無事でお戻りになられて何よりです」
腕を身体の前で折り曲げて丁寧に頭を下げる姿に、ロヴィーノはああ、と穏やかに頷き、辺りを見渡す。
「フェリシアーノは? 邪魔して悪いな、レッスン中だったんだろ」
「いいえ、問題ありません。彼女なら――」
「兄ちゃーん!」
屋敷の玄関を入ってすぐ、二階へ続く広い階段を駆け降りてきたのはロヴィーノの髪をそのまま長くしたと言ってもいいほどよく似た彼の妹だった。ドレスだというのに気にも留めず勢い良く走ってきて、ローデリヒのフェリシアーノ! という怒号をも無視し兄に飛びついた。
「兄ちゃんお帰り~!」
「うわっ、離せよバカ! ひっつくな!」
「へへ~」
久しぶりの唯一の家族の帰還が嬉しくないはずがない。フェリシアーノはロヴィーノに抱きついてその頬にキスをした。ロヴィーノは呆れたように顔を顰めたが、唯一の家族というのは彼とて同じ。キスを送り返して、ぐしゃぐしゃ頭を撫でる。
「てめーこのやろ、元気だったか?」
「うん! すっごく!」
「見ておわかりのように、何かにつけてレッスンから逃亡する程度にはお元気ですよ」
「うっ…!」
刺々しいローデリヒの言葉にフェリシアーノは言葉を詰まらせ、ロヴィーノはお前なあと苦笑しながら妹を引き剥がした。
「おや、意外と早かったね」
厨房から出てきたのはフランシスだった。ロヴィーノも美食家だから厨房から香る匂いで何となく何が出てくるのか察し、にやりと笑う。
「俺のボロネーゼ、フェリの分も大盛りにしろよ」
「ヴェー、兄ちゃーん!?」
「まーいっぱい作ったから、お二人で仲良く分けて頂戴ね」
フランシスは笑ってそう言い、用意を続けるのだろう、厨房へと戻っていった。
ロヴィーノは皆を見渡す。
「いつもありがとうな。少し見ただけだけど、俺がいない間もちゃんと土地を守ってくれてたのがよくわかった。土産に色々持ってきたから食事の後で見てやってくれ」
「わーい! 兄ちゃん大好きー!」
「だから飛びつくなちくしょーが!」
兄の言葉が余程嬉しかったのかフェリシアーノがまた抱きつき、ロヴィーノが引き剥がそうと躍起になる。それを見たギルベルトが羨ましさから悔しそうに地団太を踏んでエリザベータに頭を叩かれた。
「いでっ!何すんだよこの――」
「お帰りなさい」
屋敷に静かに響き渡った声に、ロヴィーノはゆっくり顔を上げた。
ベッドメイキングでもしていたのか、今日はくすんだ白の給仕服を着ている。頬にかすかに土を擦った跡が見えて、その前には庭の掃除でもしていたのだろうと思わせた。
力を失って立ち尽くす兄から、フェリシアーノは不思議そう瞬きをしつつ身体を離した。
菊はにこりと微笑み、お帰りなさい。もう一度言った。
「お元気そうで何よりです。あちらは如何でしたか?」
「あぁ…うん、よかったよ」
視線を僅かに逸らしてロヴィーノはローデリヒへ移した。すべてを心得ている執事頭は素早く頭を下げて使用人たちに指示を出す。
菊はそれに従いフランシスがいる厨房へ歩き出しながら、フェリシアーノと共に階段を上っていくロヴィーノの後ろ姿を見つめた。久しぶりに見る彼はまた少し大人びたようだ。
なんだかようやくほっとしたような、そんな気分に襲われて菊はそっと首から下げた金色の細い鎖に触れた。
<中略>
――菊、どこ?
何だか嫌な予感がした。この屋敷は背中合わせに部屋がいくつも並び、その周りをぐるりと廊下が囲む構造をしいるから全室を見て回ろうとするとぐるぐる走り回らなければならない。目が回り、その分頭は混乱して回らなくなった。
とにかく一階から順にがむしゃらに走って辿り着いたのは、三階の北向きの部屋が並ぶ西の端。今では使われていない祖父の書斎がある部屋の更に向こう、廊下の突き当たりだった。来客用の食堂がある南側はともかく、普段使われない部屋ばかり並ぶこの通路に明かりを灯す必要はないはずだが、壁に並ぶ燭台には火が灯って辺りを照らしている。
そして東に向かって歩いていった突き当たりに、二人はいた。
――兄ちゃん? と――菊?
二人は向かい合っていた。彼らの向こうには大きな窓があり、度々閃光が走る。それがなくても燭台の明かりのせいで二人の横顔が時たま浮かび上がって見えた。
菊はいつも通り穏やかな表情でそこにいる。ロヴィーノの方は、真剣な眼差しだった。
二人までの距離は十メートルもない。フェリシアーノは壁に身体を寄せて隠れた。燭台と言ってもそこまで明るい訳ではないし、外がこんな状態だから物音を立てても多分気付かれなかっただろう。第一気付かれて困る要素など、本当は存在していなかったはずだ。
しかしフェリシアーノは息を潜めた。じっと、茶色の瞳に二人を映す。
「久しぶりだな、こうやって話すの」
ロヴィーノの声が廊下に響いた。疲れたような声、と形容するのに相応しかった。実際に長旅とパーティで疲れているのだろう。
「そうですね。元気そうなお姿を拝見して、私も安心しました。お手紙では、やはりわからないことも沢山ありますし」
菊は柔らかく微笑む。雷の残光に黒の執事服が輪郭を浮かび上がらせまた暗闇に落ちた。身体の前で重ねられた白い手袋だけが、そのまま闇で映えて見える。
作品名:FREC2[夏コミ新刊] 作家名:碧@世の青