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恋は駆け足

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 軽く掴まれた服越し、軽く触れる体温がもどかしい。
 片足をやや引きずっているため歩みの遅い綱吉にペースを合わせながら、獄寺は俯きがちなその顔を窺った。いつもと変わらぬ表情ではあるが、足を挫いているのだから痛いはずだ、つらいはずだ。こんな時ぐらい遠慮せず、腕にしがみついてくれればいいのに。獄寺は何度も思い口にもしたが、綱吉がそれを聞き入れることはなかった。
 代われるものならいくらでも代わる。でもそれは無理な願いだからせめて助けになりたいと思うのに。
 どうしてこれが自分じゃないのだろう、どうして守ってやれなかったのだろう。
 後悔は続いた。拳を握って自分の不甲斐なさを噛み締める。
 大体、マラソン大会などというかったるくて仕方ない行事があるからいけない。そのために体育の時間は通常の運動科目(今はマット運動だ)を変更し、大会に備えて簡単なコースを走ることになった。普段の獄寺ならエスケープしただろう。授業をサボるのに抵抗はない。だが、綱吉と並んで走るのは悪くない(どころか最高だ。どうせなら二人っきりで。もちろん山本などは共に走らせたりしない)と思ったのだ。
 ただ一つの誤算は、綱吉の運動神経が獄寺の思うよりよっぽど鈍かったことだろう。
 お決まりのように綱吉は何もない平らな道で思い切り転び、足を軽く捻挫した。隣で走っていた獄寺は、咄嗟な出来事に手を差し伸べて守ることもできなかった。
――絶対お守りすると誓ったのに。
 それから、一瞬目の前が真っ白になった獄寺は、綱吉を抱き上げて保健室に運び、頼りにならない校医を無視して擦り剥いた膝や腕を手当てして、捻った足首にはシップを巻いた。今すぐ家に帰ることを進言し、綱吉が返事をする前に着替えと鞄を全速力で持ってきた。
 綱吉は苦笑していた。呆れていた。きっと自分が右腕として役に立てなかったからだ、と泣きそうになる獄寺の頭を、綱吉が優しく撫ぜた。
「何できみが泣きそうな顔するの。痛いのはオレだし、悪いのもオレ。獄寺くんが気に病むことないんだよ」
 そう言って、笑った。
 勿体無いほどの純粋な笑顔を向けてくれるのが嬉しいのに胸が痛くて、心臓の煩さに眉を顰めれば、なにやら誤解した綱吉が心配げな顔つきをしていた。
 手を患わせたくないのに、気を遣って欲しくないのに。それでも綱吉のそういう優しさが垣間見える度に、喜びが隠せない。
 そしてだからこそ、命に代えても守らなくてはならない大事な人を、いざという時に庇えなかった自分が憎くてたまらない。
 せめて家まで送らせて欲しいと申し出ると、最初は渋った綱吉も獄寺の熱心さに押されて了承した。じゃあ早速、と背中におぶろうとしたが、それは頑なに拒否された。
「そ、そんなの申し訳ないよ! ちょっと掴まらせてもらえればいいから」
 恥ずかしげにそっと獄寺の服を掴む仕草が可愛くて、ここがどこなのか今がどういう状況なのか全て吹っ飛びそうになったが、理性と気力で耐えた。相手に嫌われるのはもとより、これ以上失望させたくない。
――そうして今に至るわけだが。
 ひょこひょこと片足を庇って歩く姿を目にして、キリキリと胸が痛む。大事な人の怪我が、自分の怪我よりもよっぽど辛いだなんて初めて知った。他人に対してこんな懸命な思いを抱くことは今までなかった。
 獄寺は力なく溜息を吐いた。
 やっぱり無理を押し通してでも背中に乗せるべきだった。それがダメなら抱き上げることだって出来た。確かにおぶるよりは負担が大きいが、そのぐらいの労力は厭わないしなにより――。
「獄寺くん」
「は、はいっ」
 不意に声をかけられて、獄寺は文字通り飛び上がった。タイミングの良さに、考えを読まれたようでバツが悪い。動揺を誤魔化すため、慌てて口を開いた。
「な、なんすか十代目。もしや足が痛むんですかっ?」
「ち、違うよ。大丈夫だから。オレのことはいいって言ってるだろ?」
「でも……」
「きみがそんな顔してたら怒れないじゃんか。オレ、さっき本当に恥ずかしくって、絶対怒ってやるって思ってたのに」
「……」
 やはり怒っていたのだ。当然だ。右腕だ何だと言いながら、肝心な時に役立たずなんだから。
 下唇を噛む。叱りの言葉を待った。
 しかし。
「何で獄寺くんってすぐ恥ずかしいことするかなぁ。オレ達すっげえ見られてたんだよ。女子なんかキャーキャー言ってるし、男子は指差して注目してるし。もうすっごいすっごい恥ずかしくって、居たたまれなかったんだからね」
「……え?」
 意味がよく理解できなかった。聞き返すのは失礼かと必死に考えてみたが、うまく把握できない。
「あの……すいません。何のことを仰ってるんですか?」
「だ、だから、さっき保健室に運ぶまでのこと! 獄寺くん、オレのこと抱き上げたでしょ! あーもう言わせないでよ思い出したくないんだから」
「す、スイマセン」
 ようやく思い至ったものの、なぜそんなに恥ずかしがるのかわからない。怪我人だったわけだし、あの時はああするのが一番だと判断した。一刻も早く手当てをしなければという考えで頭がいっぱいだった。
 獄寺は綱吉の様子しか眼中になかったし、周りの雑音は一切遮断されていた。しかし、残念ながら綱吉は常識的な考えの持ち主で、人の目が気になるし、からかわれるのは耐え難いのだろう。それらが彼を煩わせているのだとしたら、非常に許しがたいことだ。
「大丈夫っスよ十代目。なにか言う奴がいたらオレが果たしますから!」
「い、いいよ」
「遠慮せず。指差してた奴ら教えてくれたらすぐさま処理します」
「いいってばもう~。だからそういうのやめてね」
 肩を落とす綱吉の様子に慌てて「ハイッ」と返事をした。
 綱吉が優しいのはわかっている。そしてそれが自分以外にも例外はないことも。
 彼の優しさを誇らしく思うと同時に、ひどく醜い感情が身体中を駆け巡った。
 獄寺の世界は綱吉でできている。相手もそうであればいいと願う。だけどそうじゃないと思い知る、その瞬間はいつも残酷に心臓を抉る。
「十代目は……」
「ん?」
「……十代目は、もっとオレに甘えていいんスよ」
 いつもあなたはオレにまで遠慮する。右腕を自称するぐらい、オレはあなたのためなら何だって出来るのに、一定の距離を保とうとする。
 友達だと言ってくれるのは嬉しいし、これ以上ない光栄だ。
 だけど、本当は。
「もっと甘えて欲しいんです」
 口に出してから、出過ぎた言葉だったかと落ち着かない気分になった。
 自覚すると頬が熱い。甘えて欲しい、だなんてそんなの恋人同士みたいじゃないか。どっちが甘えてるんだ。十代目に向かってオレ如きが甘えろだなんておこがましいにも程がある。
 何も答えない綱吉の表情を見るのが恐くて俯いた。沈黙が答えなのかもしれない。
「すっ、スイマセン十代目! オレ今すげえ調子に乗りました! 困らせたならスイマセン。第一今のオレじゃ全然甘える気になれねえっスよね。全然頼りないし、十代目に怪我までさせちまって……」
「だ、だからそれは、獄寺くんのせいじゃないって何度も言ってるだろっ。どうして……どうしてわかってくれないんだよ……」
「じゅ、十代目……?」
作品名:恋は駆け足 作家名:fukami