恋は駆け足
ギュ、と袖を掴む手に力が入ったのがわかる。立ち止まった綱吉に倣って足を止めた。
意思のこもった目が、自分を叱咤するよう見つめている。光の加減で色素が薄く、茶色の瞳はとても綺麗だった。状況も忘れて見惚れた獄寺は、さらに袖を引かれたことで我に返った。
「オレが情けないだけなのに、それ全部きみが背負ったりしたら、ますますオレ格好悪いじゃんか。大体オレが怪我したのだって、本当はきみにいいところ見せるつもりだったからなんだから」
「え?」
「いつもオレ格好悪いし弱いしダメツナだし、リボーンいなくちゃ何もできないし……それでもきみが言う理想に少しでも近づけたらなって思って自分なりに頑張ろうとしたんだよ。でも慣れないことしたせいか結局転んじゃって、全部台無しだけど」
「そっ、そんなこと……! 十代目が格好悪いだなんて一度も思ったことないっスよ! 十代目はいつだって格好良いっス、渋いっス。十代目の悪口は十代目だって許しません! 撤回して下さい」
「そんなの思うのきみだけだよ」
「いいえ。オレだけだったら嬉しいんですが、十代目の魅力に気付いているのはオレだけじゃないんスよ。当然のことですが、十代目が素晴らしいからこそあなたの周りには人がいて――オレには正直それがつらい時もあるんですが、皆あなたのことを慕ってる。だからそんなこと言わないで下さい」
必死になって訴えた。この気持ちだけは疑って欲しくなかった。
日はいつの間にか沈みかけている。夕日が二人を照らして、その身を赤く染めた。
綱吉はなにか言いたげに口をもごもごと動かしたが、そのまま俯いて頬を掻いた。
「……ありがとう」
「い、いえ。すんませんオレ何か……つい熱くなっちまいました」
獄寺は頭に上っていた血が今度は顔に下がってくるのを感じた。
これだからいつも、綱吉を微妙な表情にさせてしまうのだ。今も彼は瞼を伏せ気味にして、困惑した顔をしている。
いつも、いつもそうだ。
山本には気負いのない笑顔を見せているのに、自分には躊躇いがちな(特に最初は怯えた感じの)笑みが多かった。
それは彼が悪いのではなく、うまくできない自分の未熟さが問題なのだと獄寺は思う。
笑わせたいのに。笑っていて欲しいのに。
きっと一緒に走っていたのが山本だったら、綱吉を庇えた。例え庇えなかったとしても、こんな顔をさせたりしない。綱吉が痛みに気をとられないようバカ話でもして楽しませる。場を和ませて、綱吉を笑顔にする。
悔しかった。
戦闘力が上か下かよりも、努力じゃ補えない天性のものが山本にはある。
認めるのは癪だが、それは純粋に羨ましかった。
「獄寺くん」
「えっ。あ、ハイ」
「今言った、……その、つらいってどういう意味?」
「え……?」
「ほら、正直つらいって言ってたから。どうしてかなって」
「そっ、それは……!」
どさくさにまぎれたつもりだったのに、自分の欲を丁寧にも拾い上げられてしまった。
軽く首を傾げて問われ、どちらに心拍数が上がったのか自分にもよくわからない。
必死になって誤魔化す言葉を考えたが、相手は恐れ多くも「十代目」。彼に対して嘘をつけないのが獄寺の良いところであり、悪いところでもあった。
「その、それは、ただのオレのわがままっス。十代目にはファミリーが必要だってわかってるんですけど、このままどんどん人数が増えていったら、いつかオレなんか十代目の隣にいられなくなっちまいそうで……。十代目には大事な人がたくさんいて、その中にオレも――すげえ恐れ多いというか身の程知らずっていうか調子に乗ってるかもなんですが入っていて、それは本っ当に嬉しいんですが、他の奴らと同じってのは少し寂しくて……あっでもだからって十代目の右腕は誰にも譲りませんし、死守するつもりっス。それだけはもう確実に……十代目?」
夢中になって話していたため、すぐには綱吉の変化に気付けなかった。
先程よりも深く俯いている綱吉は、かすかに震えて見える。
「じゅ、十代目! もしやお身体の調子が!」
勢いよく綱吉の両腕を掴んだ。返事がない。声に出せないほど辛いのかと獄寺は青ざめた。
様子を窺うため顔を覗き込もうとすると、バッと腕でガードされ、あからさまな拒絶に手が震えた。
「……十代目、」
「ま、待ってオレ今ひどい顔してる」
「え?」
「だ、大体きみがっ、さっきから恥ずかしいことバンバン平気な顔して言うからっ……!」
上ずった声で怒鳴られて、獄寺は一瞬ポカンとする。
顔を庇う腕の隙間から、夕日のせいだけでは説明がつかないほど赤くなった耳や頬が見えた。
「え、え、えええっ?」
避けられたわけじゃない。呆れられたわけでもない。
じゃあ、これはつまり。
「十代目……もしや照れて、」
「わあああっ、だからっ、どうして言っちゃうんだよ! ますますきみの顔見られなくなるだろ!」
「す、スイマセンっ! オレ、言葉選ぶの下手でつい思ったまんまを言っちまうんですよ。だから十代目に嫌がられるんだってわかってるんですけど……」
「い、嫌がっては、ないんだけど……」
「いえ、わかってます。十代目はお優しいからそうやって言ってくれるんだって。本当は迷惑っスよね。オレずっと一人だったんで、うまく人と接する方法がわかんなくて」
顔を顰めて苦笑する。こんなの言い訳にもならない。うまくやろうとすればするほど空回ってるのがわかる。
まさか嫌われたくないという思いが、こんなにも身動きできない感情だとは知らなかった。
今まで一人で生きてきた。誰にどう思われようと構わなかった。はみだしものの悪童、それで良かった。でも。
この人にだけは、嫌われたくない。
片手の甲に口を押し付けて顔を隠している綱吉から、そっと手を放した。
「オレ……もっと頑張ります。修行しますし、勉強します。だから、……傍にいさせて下さい」
「……そんなの、許可取ることじゃないよ」
呟いた響きは寂しげに聞こえた。
ようやく顔を上げた綱吉は、まだ頬をかすかに赤らめながら、唇を尖らせる。
「オレだって友達なんかいなかったよ。ダメツナ呼ばわりだったし、誰もオレのことなんて見てくれなかった。でも、獄寺くんは違うじゃん。そりゃ最初は恐かったし、オレのこと十代目とか呼ぶのは嫌だけど、獄寺くんはオレと一緒にいてくれた。厄介事持ち込まれるのだって慣れたし、きみのことだって少しはわかるようになったよ。それに……その、きみのそういうとこ、今は嫌いじゃない、というか……」
気のせいか、またさらに赤面しているように見える。
綱吉が口の中で呟いた言葉は、聴覚に優れている獄寺にしては珍しく聞き取れなかった。
え、と問い返すのを遮るためか、綱吉が早口で続けた。
「そ、それにさ、人と付き合うのに『うまく』とか何か変だよ。オレも一人だったからそういうのわかんないけど……でも、『うまく』付き合う必要なんてないじゃんか。獄寺くんがオレとちゃんと向き合ってくれてるのがわかるから、どんな獄寺くんだって迷惑じゃないし、嫌じゃないよ。第一オレだってうまく対応できなくてがっくりくること多いし……。それとも獄寺くんは、オレがきみと『うまく』話せないと、幻滅する?」