アクシデント
「……」
なぜ、という言葉が先程からぐるぐると脳内を巡っている。
現在の光景に驚きを隠せないながらも、帝人はちらりと視線を動かした。
an accident
視線の先には、ここ池袋の名物、友人曰わく【絶対に関わってはいけない人】、喧嘩人形の通り名を持つ男がバーテン服にサングラスというなんともミスマッチな格好で立っている。
平和島静雄。
暴力を嫌い、毎日を平穏に過ごすことを願う彼にとってはあまりに当てはまりすぎる名だが、現状では皮肉としか言いようのない名である。彼が歩けば人波は割れ、命知らずの人間が下手に声をかければ自販機が飛ぶ始末。
そんな異名を持つ彼と二人並んで歩いている。
帝人はそんな現状に、果てしない違和感を覚えていた。
「ん?どうかしたのか」
「いっ、いえ!何でも…!」
帝人の視線に気付いたのか、静雄が少しだけ顔を動かす。ただし長身の彼に対して帝人はまだまだ成長期真っ盛りであるため、自然とその視線は下に向けられたのだが。
「あの…平和島さんは黒バイクと……セルティさんとはお知り合いなんですか?」
ああ、と合点がいったように静雄が頷く。
そもそも、ダラーズという繋がりがあるとはいえ、普段接点のない彼らがどうして一緒にいるかと言えば、件の黒バイク――この池袋の街を騒がせている首なしライダー――が原因だったのだ。
「まあ、昔からの腐れ縁ってヤツがいるんだが、そいつと一緒に住んでるんだよ。セルティは」
「あー、なるほど」
「……」
「……」
沈黙。
「っえぇと!僕はセルティさんに危ないところを何度か助けてもらったんです」
「そうか」
「はい」
「……」
「……」
再びの沈黙。
というか、何を喋ったらいいのか思いつかないのだ。お互いに。
話は少し遡る。
数分前 池袋の某ファーストフード店前
今日は用事があるからと先に帰った友人と、私も…と反対方向に消えた同級生。結果的に一人で帰路についた帝人は、何とはなしにファーストフードへ寄ることにした。小腹が空いたのと、学校から駅までの直線上にあるからという理由だったが、それだけならば彼の求める非日常とはかけ離れた単なる日常であっただろう。しかし店の前に停められた漆黒のバイクを見た瞬間、彼の脳裏に非日常の影がちらついた。吸い寄せられるように店内に入ると、見覚えのあるヘルメットをつけライダースーツに身を包んだ彼女が目に入った。
注文をしようとする彼女はまだ帝人に気付いてはいないが、どこか困ったような仕草を見せる様子に、迷惑かと思いながらも帝人は歩を進めた。
「あの、」
『? ああ、帝人くんか』
そう言って(実際にはPDAをこちらに見せているのだが)ふり返るセルティに、帝人は「どうかしましたか」と訊く。すると、彼女は『助かった!』とメッセージを見せ、再びすごい速さでタイピングしていく。
ずい、と突き出された画面を見れば、
『お使いを頼まれたんだが、何を買えばいいのかわからなくて!このメモにある「SのVとS」って何だ!?』
「えーと、」
一緒に見せられた紙片には、チーズバーガーの文字の下に、例の記号のような文字が並んでいる。帝人は一瞬何のことかと首を捻るが、ここがどこかを思い出すとその答えは簡単に出た。
「すみません、シェイクのバニラとストロベリーを一つずつ」
「かしこまりましたー」
『?』
「多分、SはシェイクのSで、後ろのVとSは味だと思いますよ」
『そうだったのか』
なるほど、と首肯するセルティに、帝人は申し訳なさそうに言う。
「間違いだったら申し訳ないんですけど…」
『いや、たとえ間違っていてもこんな分かりにくいメモを寄越すあいつが悪い。だから帝人くんが気にする必要はないよ。ありがとう』
「いえ、そんなお礼を言われるほどのことは…」
「お待たせ致しましたー」
帝人の言葉を店員の声が遮る。紙袋に入れられたそれを受け取ったセルティにつられ、帝人もいつの間にか外へと出ていた。
瞬間。
「くたばれや黒バイク!」
「ッ!?」
大声と共に、目の前を何かが通り過ぎる。しかも凄まじい勢いで。それが金属製のパイプであることを、地面に当たる破裂音が遅れて教えてくれた。
何が起きたのか理解できず目を白黒させる帝人とは違い、セルティの行動は早かった。横に並んでいた帝人を素早く後方へ押しやり、相手との距離を取る。今の言葉から相手が自分を狙っていることは明確。となれば、無関係の帝人を巻き込まないためにはこの場所を離れる必要があった。しかし、まだ明るく人の多い街中でシューターを使えば人々を混乱させるだろうことは容易に想像できる。さてどうするか…と考え込んだセルティに、舐められたと思ったのか鉄パイプを手にした男がゆらりと動く。
「っけんなよコルァ、シカトしてんじゃねえ!!」
「っ危ない!」
帝人が声を上げるのと同時、ゴン、と鈍い音が響いた。
ヘルメットに当たったにしては些か柔らかすぎる音。男が振り上げた腕の先をたどると、腕は上げられたまま止まっていた。
というよりも、止められていたのだ。そのパイプを握る、手によって。
「ってーなァ、ああ?」
「っ!!」
気付くと、男の視界は空だった。ゆっくり、ゆっくりと流れる雲を眺めながら、彼は次第に映る景色が逆さまに流れ始めたことを不思議に思う間もなく、ドシャ、という音を遠くに聞いた。
『悪いな。助かった』
「あ? いたのか」
『たまたまな。騒ぎにしたくなかったから助かったよ』
「? ま、なら良かったけどよ」
人が宙を舞うことが騒ぎにならないかと言えばそんなことはないのだが、この街にとってこの男――平和島静雄の周りで起こるのであれば、それは日常すぎる非日常であったのだ。
今し方目の前で起きた出来事を未だに消化しきれない帝人だったが、セルティがちょいちょいと指を動かすのが見え、ふらふらとそちらへ向かった。
『あげる。さっきのお礼』
PDAを掲げながら手に二本のカップを渡される。冷たいそれは、先程店内で買ったシェイクだろう。
「え?いや、そんなつもりじゃないですから…!」
いいです! と押し戻そうとすると既にセルティはバイクに跨った後で、両手はハンドルを握っている。
『気にしないでもらって』
器用にも片手で画面を見せると、黒バイクはあっという間にその場から姿を消した。
あとに取り残された帝人は、とりあえず目の前にいる長身の男に、おずおずとカップを差し出した。
「ん?」
「あの、あなたにも一つ、ってことだと思うので…」
もらってください。とカップを差し出す少年に、静雄は「ああ、」と答えると、一言。
「何味だ?」
「……は?」
よく意味が分からず聞き返した少年に、静雄のこめかみがぴくりと動く。
「ソレ、何味かっつってんだよ」
「あ、ああ…こっちがバニラ、こっちは…て、あれ?」
言い終わる前に帝人の手からカップが一つ、消えていた。既にそれは静雄の手の中にあり、ストローをくわえた彼はきゅいきゅいと中身を吸っている。
――バニラ、好きなんだ…。
なぜ、という言葉が先程からぐるぐると脳内を巡っている。
現在の光景に驚きを隠せないながらも、帝人はちらりと視線を動かした。
an accident
視線の先には、ここ池袋の名物、友人曰わく【絶対に関わってはいけない人】、喧嘩人形の通り名を持つ男がバーテン服にサングラスというなんともミスマッチな格好で立っている。
平和島静雄。
暴力を嫌い、毎日を平穏に過ごすことを願う彼にとってはあまりに当てはまりすぎる名だが、現状では皮肉としか言いようのない名である。彼が歩けば人波は割れ、命知らずの人間が下手に声をかければ自販機が飛ぶ始末。
そんな異名を持つ彼と二人並んで歩いている。
帝人はそんな現状に、果てしない違和感を覚えていた。
「ん?どうかしたのか」
「いっ、いえ!何でも…!」
帝人の視線に気付いたのか、静雄が少しだけ顔を動かす。ただし長身の彼に対して帝人はまだまだ成長期真っ盛りであるため、自然とその視線は下に向けられたのだが。
「あの…平和島さんは黒バイクと……セルティさんとはお知り合いなんですか?」
ああ、と合点がいったように静雄が頷く。
そもそも、ダラーズという繋がりがあるとはいえ、普段接点のない彼らがどうして一緒にいるかと言えば、件の黒バイク――この池袋の街を騒がせている首なしライダー――が原因だったのだ。
「まあ、昔からの腐れ縁ってヤツがいるんだが、そいつと一緒に住んでるんだよ。セルティは」
「あー、なるほど」
「……」
「……」
沈黙。
「っえぇと!僕はセルティさんに危ないところを何度か助けてもらったんです」
「そうか」
「はい」
「……」
「……」
再びの沈黙。
というか、何を喋ったらいいのか思いつかないのだ。お互いに。
話は少し遡る。
数分前 池袋の某ファーストフード店前
今日は用事があるからと先に帰った友人と、私も…と反対方向に消えた同級生。結果的に一人で帰路についた帝人は、何とはなしにファーストフードへ寄ることにした。小腹が空いたのと、学校から駅までの直線上にあるからという理由だったが、それだけならば彼の求める非日常とはかけ離れた単なる日常であっただろう。しかし店の前に停められた漆黒のバイクを見た瞬間、彼の脳裏に非日常の影がちらついた。吸い寄せられるように店内に入ると、見覚えのあるヘルメットをつけライダースーツに身を包んだ彼女が目に入った。
注文をしようとする彼女はまだ帝人に気付いてはいないが、どこか困ったような仕草を見せる様子に、迷惑かと思いながらも帝人は歩を進めた。
「あの、」
『? ああ、帝人くんか』
そう言って(実際にはPDAをこちらに見せているのだが)ふり返るセルティに、帝人は「どうかしましたか」と訊く。すると、彼女は『助かった!』とメッセージを見せ、再びすごい速さでタイピングしていく。
ずい、と突き出された画面を見れば、
『お使いを頼まれたんだが、何を買えばいいのかわからなくて!このメモにある「SのVとS」って何だ!?』
「えーと、」
一緒に見せられた紙片には、チーズバーガーの文字の下に、例の記号のような文字が並んでいる。帝人は一瞬何のことかと首を捻るが、ここがどこかを思い出すとその答えは簡単に出た。
「すみません、シェイクのバニラとストロベリーを一つずつ」
「かしこまりましたー」
『?』
「多分、SはシェイクのSで、後ろのVとSは味だと思いますよ」
『そうだったのか』
なるほど、と首肯するセルティに、帝人は申し訳なさそうに言う。
「間違いだったら申し訳ないんですけど…」
『いや、たとえ間違っていてもこんな分かりにくいメモを寄越すあいつが悪い。だから帝人くんが気にする必要はないよ。ありがとう』
「いえ、そんなお礼を言われるほどのことは…」
「お待たせ致しましたー」
帝人の言葉を店員の声が遮る。紙袋に入れられたそれを受け取ったセルティにつられ、帝人もいつの間にか外へと出ていた。
瞬間。
「くたばれや黒バイク!」
「ッ!?」
大声と共に、目の前を何かが通り過ぎる。しかも凄まじい勢いで。それが金属製のパイプであることを、地面に当たる破裂音が遅れて教えてくれた。
何が起きたのか理解できず目を白黒させる帝人とは違い、セルティの行動は早かった。横に並んでいた帝人を素早く後方へ押しやり、相手との距離を取る。今の言葉から相手が自分を狙っていることは明確。となれば、無関係の帝人を巻き込まないためにはこの場所を離れる必要があった。しかし、まだ明るく人の多い街中でシューターを使えば人々を混乱させるだろうことは容易に想像できる。さてどうするか…と考え込んだセルティに、舐められたと思ったのか鉄パイプを手にした男がゆらりと動く。
「っけんなよコルァ、シカトしてんじゃねえ!!」
「っ危ない!」
帝人が声を上げるのと同時、ゴン、と鈍い音が響いた。
ヘルメットに当たったにしては些か柔らかすぎる音。男が振り上げた腕の先をたどると、腕は上げられたまま止まっていた。
というよりも、止められていたのだ。そのパイプを握る、手によって。
「ってーなァ、ああ?」
「っ!!」
気付くと、男の視界は空だった。ゆっくり、ゆっくりと流れる雲を眺めながら、彼は次第に映る景色が逆さまに流れ始めたことを不思議に思う間もなく、ドシャ、という音を遠くに聞いた。
『悪いな。助かった』
「あ? いたのか」
『たまたまな。騒ぎにしたくなかったから助かったよ』
「? ま、なら良かったけどよ」
人が宙を舞うことが騒ぎにならないかと言えばそんなことはないのだが、この街にとってこの男――平和島静雄の周りで起こるのであれば、それは日常すぎる非日常であったのだ。
今し方目の前で起きた出来事を未だに消化しきれない帝人だったが、セルティがちょいちょいと指を動かすのが見え、ふらふらとそちらへ向かった。
『あげる。さっきのお礼』
PDAを掲げながら手に二本のカップを渡される。冷たいそれは、先程店内で買ったシェイクだろう。
「え?いや、そんなつもりじゃないですから…!」
いいです! と押し戻そうとすると既にセルティはバイクに跨った後で、両手はハンドルを握っている。
『気にしないでもらって』
器用にも片手で画面を見せると、黒バイクはあっという間にその場から姿を消した。
あとに取り残された帝人は、とりあえず目の前にいる長身の男に、おずおずとカップを差し出した。
「ん?」
「あの、あなたにも一つ、ってことだと思うので…」
もらってください。とカップを差し出す少年に、静雄は「ああ、」と答えると、一言。
「何味だ?」
「……は?」
よく意味が分からず聞き返した少年に、静雄のこめかみがぴくりと動く。
「ソレ、何味かっつってんだよ」
「あ、ああ…こっちがバニラ、こっちは…て、あれ?」
言い終わる前に帝人の手からカップが一つ、消えていた。既にそれは静雄の手の中にあり、ストローをくわえた彼はきゅいきゅいと中身を吸っている。
――バニラ、好きなんだ…。