ひだまりにて
「あの原っぱでご飯を食べましょうよ。きっと気持ちいいから」
そう言って惣次郎は嬉しそうに土方の手を引っ張る。端午の節句が終わって数日たった、ある日の午後だった。本当は朝から昼にかけての稽古の後、皆で昼食をとる筈だったのだ。しかし互いに勝ちを譲らない惣次郎と土方が稽古を組んだせいで、すっかり周囲を忘れ熱中してしまった。その結果皆から遅れをとり、今慌てて片付けをするふたりである。
惣次郎と土方以外試衛館道場には誰もいない。それに気付いたのもついさっきだ。先に帰った周りの者は声をかけて邪魔をしたくなかったのだろう。
額から伝い落ちる汗を拭って胴着の手入れをし、道場を出る。とりあえず帰ったら身体を水で流したかった。肌が熱をもっているし、汗の湿気も気持ちいいものではない。だから早く帰ろうと道場の門を出た時、惣次郎が思い出したように言ったのが先程の一言だ。
土方を見上げる顔はまだあどけなくて、やっぱりガキだなと土方はこっそり笑う。惣次郎があまりに嬉しそうに言うものだから、それもいいような気がしてきた。
今日はとてもあたたかかった。日光は木々に光をなげ、葉の陰が地面でさらさらと揺れる。周り全てが明るくて、空も青くて融けてしまいそうだった。のんびり昼の時間を過ごすのは気持ちいいだろう。そう思えば楽しみな気分になってきて、じゃあ行くかと惣次郎の案に乗ったのだ。
道場から戻ったふたりはまず手拭を片手に井戸の前へと向かう。地下から汲み上げる井戸水の冷たさは、火照った身体にちょうど良かった。桶はひとつしかないので、土方は汲み上げた水を少し乱暴に惣次郎にかけてやる。身体に当たった水飛沫があたりに散り、光を反射させて輝くのが眩しくて土方は目を細めた。
あらかた惣次郎がさっぱりしたのを見て、今度は土方が自分に水を浴びせる。横にいる惣次郎より身長が高かったから、彼の髪を濡らさないよう静かに水で汗を流し、身体を拭った。ところが惣次郎は手拭を首にかけ大人しく待っているかと思ったら、ふざけて土方の方へと水をかけてきた。
「ほら、歳三さん、水飛沫が綺麗ですよ」
「……せっかく拭いたのにまた濡れたじゃねえか!」
あと少しで拭い終わろうという時に水をかけられた土方は、惣次郎がまだ衣服を身に着けていないのをいい事に、大人気なく水を浴びせ返す。かけた水は身体にあたって四方に飛び散り、互いの身体を濡らした。稽古の後だというのに、今度はふざけるのに熱中しだしてしまうあたり、ふたりとも大人といえそうになかった。しまいには桶の取り合いまでする始末である。
ふたりが桶を奪い合う手をとめたのは小半時経ってからだった。稽古の後だった為さすがにはしゃぎ疲れた。疲れだけならいいのだがなにやら肌寒さまで感じてしまい、やっとふたりは井戸から離れる気になった。
☆ ☆ ☆
炊事場へ行くとみなはやはり昼を済ませてしまったらしく、御櫃にふたり分の飯と漬物が残っていた。惣次郎が棚から塩を取り出し、手水を用意している土方の隣へと座る。そうして間に置かれた御櫃の蓋を開け握り飯を作りはじめた。
手塩をつけ丁寧に飯を握っていく。あら熱が取れた飯に火傷するような熱さはなく、ほのかなあたたかさが伝わってきた。それを杓文字ですくってぎゅっと握りこむ。
土方は手先が器用だったから、飯を握るなどほぼ初めてのわりに、綺麗な三角を作った。綺麗に握れたからといって感動する事もなく、こんなもんかと近くに用意した皿の上に置く。何事もそつなくこなしてしまう者独特の無感動さだった。そこで何の気なしに惣次郎の手元を覗いた。
惣次郎は思いのほか苦戦していた。握り慣れないのがそのまま形に出て、丸いのだか三角なのだかよく分らない奇妙な形になってしまい、どうしようと手が止まってしまっている。その様子を見た土方は思わず吹きだした。
「惣次郎……。お前、下手だな」
「素直に感想言うのやめて下さいよ。とりあえず握れてるんだからいいじゃないですか」
そんなに嬉しそうにしなくてもいいではないか。七歳の年の差などこの人相手では全く関係ないなあ、惣次郎はこっそりため息をつく。綺麗に越した事はないけれど、形はどうあれ口に入ってしまえば一緒ではないか。こういう面において惣次郎は土方より考え方が鷹揚だった。土方はとかくものの見た目に厳しいのだ。けれど、なんでも綺麗に作る土方の指先には感心した。
「歳三さんは上手ですね。さすが手先が器用なだけありますよ」
惣次郎が土方に素直な賞賛の言葉を投げるのに、土方は慣れないものへの居心地悪さを露わにする。
「惣次郎に誉められると気味が悪ぃな」
ほんの少しは嬉しそうなものの、決まり悪そうな顔になった。その顔を見て惣次郎は少しすっきりした。ちょっと位困ればいいのである。何でも器用など贅沢だ。暫し無言で握る手先に力をこめ、握り飯作りに精を出す。そうこうしてやっと出来たそれを筍の皮に包んで、遅い昼を過ごす為ふたりは原っぱへ向かった。
☆ ☆ ☆
原っぱは一面、目に痛い位の濃い緑色をしていた。澄んだ風が吹いて草を涼しげに揺らしている。稽古と行水をした後の倦怠感が残る体に、かわいた風はひどく心地よかった。一番大きな樹が根をはる台地にふたりは腰を降ろす。
座って包みを開けると、なぜか作ったものが入れ替わっている事に気付いた。包みは同じ筍の皮であったし、作り終えた後手を洗いに炊事場を離れたから、知らぬ間に入れ替わってしまったのだろう。とはいえ形の出来に違いがありすぎたから、どちらが作ったものかすぐわかった。
惣次郎は慌てて取り替えようとする。さすがにあれを土方に食べさせるのは申し訳なかった。しかし取り替えようとする手をかわし、土方は特に気にするでもなく惣次郎が作っただろう握り飯をひとつ摘み、口に入れる。
「形はまあ、なんだが、味はいいんじゃねえか」
「それは……、米と塩ですから」
いつになく弱気の惣次郎に
「形が綺麗で不味いより、味が美味い方がいいじゃねえか」
と土方は笑った。
それはおかしいと惣次郎は思う。米も塩も同じ櫃から取ったのだから、味などどう作ろうと違わないはずだった。形だって悪いよりは良い方がいいに決まっている。心で言い訳をしてみても、少し引け目を感じていたのだ。しかし土方は惣次郎が奮闘していたのを横で見ていたから、いいところを探そうとしたのだろう。
土方は優しく笑って惣次郎の頭を撫でる。普段は子ども扱いして、と怒る仕草をするが、今日は嬉しかったので自分から頭を預けてみた。土方は一瞬驚いた顔をするが、すぐにくすくす笑って、今度はやや乱暴に頭を撫でる。
こういう時に土方の優しさを実感する。穏やかな時間だった。
ところで惣次郎の握ったものには形のほかに欠点があった。握る力が多少弱かったのか、やたらと崩れやすいのである。食べにくさで口元についてしまった飯粒を土方はぐいと拭う。その手を惣次郎は掴んだ。
「これは、私のせいですから」
指と口元に唇を寄せ、ついてしまったそれを舐め取った惣次郎が平然と言う。惣次郎としては、単に拭うのくらい手伝おうと思っての行動だったが、土方は硬直した。
そう言って惣次郎は嬉しそうに土方の手を引っ張る。端午の節句が終わって数日たった、ある日の午後だった。本当は朝から昼にかけての稽古の後、皆で昼食をとる筈だったのだ。しかし互いに勝ちを譲らない惣次郎と土方が稽古を組んだせいで、すっかり周囲を忘れ熱中してしまった。その結果皆から遅れをとり、今慌てて片付けをするふたりである。
惣次郎と土方以外試衛館道場には誰もいない。それに気付いたのもついさっきだ。先に帰った周りの者は声をかけて邪魔をしたくなかったのだろう。
額から伝い落ちる汗を拭って胴着の手入れをし、道場を出る。とりあえず帰ったら身体を水で流したかった。肌が熱をもっているし、汗の湿気も気持ちいいものではない。だから早く帰ろうと道場の門を出た時、惣次郎が思い出したように言ったのが先程の一言だ。
土方を見上げる顔はまだあどけなくて、やっぱりガキだなと土方はこっそり笑う。惣次郎があまりに嬉しそうに言うものだから、それもいいような気がしてきた。
今日はとてもあたたかかった。日光は木々に光をなげ、葉の陰が地面でさらさらと揺れる。周り全てが明るくて、空も青くて融けてしまいそうだった。のんびり昼の時間を過ごすのは気持ちいいだろう。そう思えば楽しみな気分になってきて、じゃあ行くかと惣次郎の案に乗ったのだ。
道場から戻ったふたりはまず手拭を片手に井戸の前へと向かう。地下から汲み上げる井戸水の冷たさは、火照った身体にちょうど良かった。桶はひとつしかないので、土方は汲み上げた水を少し乱暴に惣次郎にかけてやる。身体に当たった水飛沫があたりに散り、光を反射させて輝くのが眩しくて土方は目を細めた。
あらかた惣次郎がさっぱりしたのを見て、今度は土方が自分に水を浴びせる。横にいる惣次郎より身長が高かったから、彼の髪を濡らさないよう静かに水で汗を流し、身体を拭った。ところが惣次郎は手拭を首にかけ大人しく待っているかと思ったら、ふざけて土方の方へと水をかけてきた。
「ほら、歳三さん、水飛沫が綺麗ですよ」
「……せっかく拭いたのにまた濡れたじゃねえか!」
あと少しで拭い終わろうという時に水をかけられた土方は、惣次郎がまだ衣服を身に着けていないのをいい事に、大人気なく水を浴びせ返す。かけた水は身体にあたって四方に飛び散り、互いの身体を濡らした。稽古の後だというのに、今度はふざけるのに熱中しだしてしまうあたり、ふたりとも大人といえそうになかった。しまいには桶の取り合いまでする始末である。
ふたりが桶を奪い合う手をとめたのは小半時経ってからだった。稽古の後だった為さすがにはしゃぎ疲れた。疲れだけならいいのだがなにやら肌寒さまで感じてしまい、やっとふたりは井戸から離れる気になった。
☆ ☆ ☆
炊事場へ行くとみなはやはり昼を済ませてしまったらしく、御櫃にふたり分の飯と漬物が残っていた。惣次郎が棚から塩を取り出し、手水を用意している土方の隣へと座る。そうして間に置かれた御櫃の蓋を開け握り飯を作りはじめた。
手塩をつけ丁寧に飯を握っていく。あら熱が取れた飯に火傷するような熱さはなく、ほのかなあたたかさが伝わってきた。それを杓文字ですくってぎゅっと握りこむ。
土方は手先が器用だったから、飯を握るなどほぼ初めてのわりに、綺麗な三角を作った。綺麗に握れたからといって感動する事もなく、こんなもんかと近くに用意した皿の上に置く。何事もそつなくこなしてしまう者独特の無感動さだった。そこで何の気なしに惣次郎の手元を覗いた。
惣次郎は思いのほか苦戦していた。握り慣れないのがそのまま形に出て、丸いのだか三角なのだかよく分らない奇妙な形になってしまい、どうしようと手が止まってしまっている。その様子を見た土方は思わず吹きだした。
「惣次郎……。お前、下手だな」
「素直に感想言うのやめて下さいよ。とりあえず握れてるんだからいいじゃないですか」
そんなに嬉しそうにしなくてもいいではないか。七歳の年の差などこの人相手では全く関係ないなあ、惣次郎はこっそりため息をつく。綺麗に越した事はないけれど、形はどうあれ口に入ってしまえば一緒ではないか。こういう面において惣次郎は土方より考え方が鷹揚だった。土方はとかくものの見た目に厳しいのだ。けれど、なんでも綺麗に作る土方の指先には感心した。
「歳三さんは上手ですね。さすが手先が器用なだけありますよ」
惣次郎が土方に素直な賞賛の言葉を投げるのに、土方は慣れないものへの居心地悪さを露わにする。
「惣次郎に誉められると気味が悪ぃな」
ほんの少しは嬉しそうなものの、決まり悪そうな顔になった。その顔を見て惣次郎は少しすっきりした。ちょっと位困ればいいのである。何でも器用など贅沢だ。暫し無言で握る手先に力をこめ、握り飯作りに精を出す。そうこうしてやっと出来たそれを筍の皮に包んで、遅い昼を過ごす為ふたりは原っぱへ向かった。
☆ ☆ ☆
原っぱは一面、目に痛い位の濃い緑色をしていた。澄んだ風が吹いて草を涼しげに揺らしている。稽古と行水をした後の倦怠感が残る体に、かわいた風はひどく心地よかった。一番大きな樹が根をはる台地にふたりは腰を降ろす。
座って包みを開けると、なぜか作ったものが入れ替わっている事に気付いた。包みは同じ筍の皮であったし、作り終えた後手を洗いに炊事場を離れたから、知らぬ間に入れ替わってしまったのだろう。とはいえ形の出来に違いがありすぎたから、どちらが作ったものかすぐわかった。
惣次郎は慌てて取り替えようとする。さすがにあれを土方に食べさせるのは申し訳なかった。しかし取り替えようとする手をかわし、土方は特に気にするでもなく惣次郎が作っただろう握り飯をひとつ摘み、口に入れる。
「形はまあ、なんだが、味はいいんじゃねえか」
「それは……、米と塩ですから」
いつになく弱気の惣次郎に
「形が綺麗で不味いより、味が美味い方がいいじゃねえか」
と土方は笑った。
それはおかしいと惣次郎は思う。米も塩も同じ櫃から取ったのだから、味などどう作ろうと違わないはずだった。形だって悪いよりは良い方がいいに決まっている。心で言い訳をしてみても、少し引け目を感じていたのだ。しかし土方は惣次郎が奮闘していたのを横で見ていたから、いいところを探そうとしたのだろう。
土方は優しく笑って惣次郎の頭を撫でる。普段は子ども扱いして、と怒る仕草をするが、今日は嬉しかったので自分から頭を預けてみた。土方は一瞬驚いた顔をするが、すぐにくすくす笑って、今度はやや乱暴に頭を撫でる。
こういう時に土方の優しさを実感する。穏やかな時間だった。
ところで惣次郎の握ったものには形のほかに欠点があった。握る力が多少弱かったのか、やたらと崩れやすいのである。食べにくさで口元についてしまった飯粒を土方はぐいと拭う。その手を惣次郎は掴んだ。
「これは、私のせいですから」
指と口元に唇を寄せ、ついてしまったそれを舐め取った惣次郎が平然と言う。惣次郎としては、単に拭うのくらい手伝おうと思っての行動だったが、土方は硬直した。