ひだまりにて
なんの躊躇いもなく口元を舐めるなど何を考えているのだ。いや、単純にわかっていないだけなのだ、まだ子供なのだから。そう思うと目の前の子供が可愛くて仕方なかった。土方はくすぐったさに目を細めつつ、そっと嘆息する。
「これだからガキなんだ」
ガキという言葉にすぐ反応する惣次郎は、案の定
「誰がガキですって」
と頬を膨らませる。土方はやっぱりガキだと思いつつ、お前だよ、と惣次郎の額を人差し指でつついた。
☆ ☆ ☆
あれから八年後、全く同じ台詞を惣次郎は土方に言った。あの日を思わせる清々しい青空だ。惣次郎はこの八年で随分成長した。身長などは高い部類に入る土方を軽く越してしまった。けれど身長や年齢が変わっても、ふたりがやることに何の変化もなかった。稽古に熱中してふたり取り残された状況まであの日と一緒だ。
「歳三さん、外で食べましょうよ」
笑うその顔はもう十分大人の片鱗を見せているくせに、表情は子供の悪戯顔だ。土方も覚えていたのかそれもいいなと頷き返す。あの日と同じように行水の後ふたり並んで手水と塩を持ち、御櫃の前に腰を降ろす。
「惣次郎、相変わらず下手だな……」
横に座る惣次郎の手を見て、土方は呆れたような感心したような複雑な表情でぼそりと呟いた。惣次郎の腕はさっぱり上達していなかった。やっぱり不思議な形になってしまうのだ。他方土方はといえば当時と同じく綺麗な三角だ。
「いいんですよ、私は。どうもこういうのは苦手みたいだから」
何かと突っかかる年でもなくなっていたから、惣次郎は穏やかに答える。竹とんぼなどの工作は得意なのに、どうして料理となると不器用になってしまうのだろう。それがわからなくて自分自身に笑ってしまうくらいなのだ。
包みを片手に原っぱへと出かける。大きな樹のある景色はあの日のままだった。けれど腰を降ろすと八年前より景色を見る目線が高い。この原っぱはもっと広いように思ったが、身体の成長に合わせて景色も伸縮するのだろうか。
包みを解くと今回入れ違いはないようだった。しかし、内心ほっとする惣次郎を横目に、土方は自分の握ったものを差し出しつつ、ひとつよこせと手を伸ばす。別に構わないがどっちもおんなじではないか、惣次郎が首を傾げると、意外な返事が返ってきた。
「八年前、美味いっていったのは別にお世辞じゃねえよ。 形は相変わらずだけどなあ」
作った者の気持ちが味に現れるように思うのだと、土方は言う。そうして今までで一番美味しいと思ったのは、幼い頃食べた母親の作ったものなのだとも。
「惣次郎のを食べた時それを思い出したんだよな」
こんなに外見はすごいのになあ、とにやにや笑う顔は、少し照れくさそうだった。
さらっとすごい事をいわれたような気がする。母の愛情と惣次郎の想いは同じではないだろう。けれどきっと彼を愛しいと思う面では共通しているのだ。そう自覚をしたら惣次郎も照れくさくなってきた。
「私は炊事は苦手ですけど、歳三さんの隣にならいつでもいますよ」
「別にいてもらわずとも、自分の事は自分で落とし前くらいつける」
「そうじゃなくて……」
惣次郎は言葉を区切ると、ふと柔らかい笑みを浮かべ土方の手をぐいと引っ張り口元に唇を寄せた。土方に対する想いの名前を、今の惣次郎は知っている。
けれどそのまま口に出すのは躊躇われるから、八年前の行為を繰り返す。
「くっついてましたよ」
「……嘘だろうが」
「ばれました?」
昔のように口元を舐められた土方が苦々しげな表情をするのに苦笑して、惣次郎は、
「傍にいたいのは私なのだ」
と囁くと、どこにも行かないで欲しいと土方の身体を引き寄せた。
ふたりの間には空白の時間が流れていた。五年前土方を狙っていた仇討ちが、衛館の者なら誰でもよいと幼い惣次郎を狙い、惣次郎はその者を斬った。その責任を感じた土方が試衛館を出て行ったからだ。土方が今ここにいるのは近藤のお陰だった。彼は近藤と試合う為試衛館へ戻り、近藤の言葉で試衛館に正式入門したのだから。
惣次郎は歯痒くてしかたなかった。自分が引きとめたとき、土方は試衛館へ帰って来たのではなく、訪ねたのだと繰り返した。五年も経っているのにまだ庇護されている、そう実感してますます大人になりたいと願った。もう沢山だった。誰かに辛い何かを決心させてしまう、子供のままではいたくなかった。
大人になりたい、結局当時と願いは変わっていない。けれど、その意味合いは大きく違っていた。自分の生きる道を探る為ではなく、大切なものを守るために大人になりたい。そう思うことは焦りではなく、あたたかい気持ちを胸にもたらした。惣次郎は好きなのだと伝えるためにふたたび唇を合わせる。
土方は最初呆気に取られたような顔をして肩を緊張させた。しかし惣次郎がその背に腕をまわして抱きこむと、目を閉じゆっくり力を抜くのがわかった。そんな些細な事にさえ無邪気な愛しさを感じる自分に、ちょっと呆れてしまう。
「すきですよ、歳三さん」
そう言って、あたたかなひだまりのなかで目を細め笑う惣次郎の顔は、今まで土方が見た表情の中で、一番大人の顔をしていた。