私には名前がない
「なあ、火、持ってない?」
「火?」
問い返すと男はわずかに顎を引いた。そう、火。ライターでもマッチでも、何でもいいんだ。状況にそぐわない暢気な声でそう言う。
しかしあいにく、私は喫煙の趣味もないので火種になりそうなものは何ひとつ所有していない。肩を竦めてそう告げた。
「そっか、残念」
「すまないな」
「ああ、いや、気にしないで。最後に一服したかっただけだから」
男はほんの少し顔をゆがめながらポケットに手を突っ込んだ。くしゃりと潰れた煙草の箱から、一本シガレットを取り出して口の端にくわえる。
火のついていない煙草を吸って、男はまぶしそうに目を細めた。あるいは、痛みに目を眇めたのかもしれない。彼は手ひどい傷を腹に負っていた。赤い血に濡れてよく見えないが、おそらく内臓もずたずたになっているのだろうと、一見しただけでわかるほどに。
彼の命は尽きかけていた。あと半刻も持たないだろう。下手をすれば次の瞬間には目を閉じてしまいそうだ。
「あーあ、悔しいなあ。世界にはまだたくさんの《秘宝》が埋まっているのに」
あまり悔しそうには聞こえない、力の抜けた口調で彼は言った。ただ、《秘宝》という言葉にだけ力がこもっていた。
彼にとって《秘宝》というものは特別なものらしい。悔しさよりも、それを探すことに命をかけたことに満足しているようだった。
私には、命を賭けるに値するほど情熱を傾けられるものがない。それは自分の命が大切なのではなく、自分の命と等しく全てのものがどうでもいいという意味だ。
だから、私は彼に少しだけ興味を持った。自分には決して持ち得ない情熱に、眠っていた好奇心が僅かに疼いたのだ。
「《秘宝》というのは、今その手に持っているものだろう?それは、そんなに魅力的なものなのか」
問いかけると、彼は閉じかけていた眼を少し開いた。
「うん?ああ、これ。これはな、聖なる銀で出来た弾丸で、曰く伝説の魔物の心臓も撃ち抜くことが出来るらしい」
それは知っている。
というより、私はその弾丸を探しにこんな薄暗く気味の悪い遺跡まで足を運んだのだ。
真偽のほどはわからないが、自分の心臓を撃ちぬくことが出来るかもしれない、というものが気になるのは人情と言うものだろう。もっとも、私は人間ではないが。
私の思惑など知るよしもない男は、段々と呂律の怪しくなってきた口で説明を続けた。
「純銀だし、特殊な呪術が施されてるから、売ったら億万長者だろうなあ」
「なんだ、金が欲しいのか」
死んだら金も使えないだろうに。呆れて私が言うと、男は少し不機嫌そうな顔をした。
「誰が売るって言ったんだ。俺は金が欲しくて《秘宝》を探してるんじゃない」
「ならば、何のために探している?」
「呼んでるから、だよ」
「呼んでいる?」
「そう。《秘宝》が呼んでいるんだ。此処にいるんだ、早く見つけて探し出してくれ…って、」
だから俺はその呼び声を聞いて彼らを探し出してやるんだ。彼はそう続けた。
「千年前に誰かが祈った言葉を、今、俺が探し出して、耳を傾けてやりたい。そう思ったんだ。だから…こうして……」
男は少し苦しそうに息を吐いた。無理もない。本来ならばとっくに死んでいても良さそうな怪我だ。こうして話しているのも辛いに違いない。
せめて痛み止めでも持っていれば良かった、と私は少し後悔した。
「そういえば、あんたはどうしてこんな所に?」
そろそろ回らなくなってきた舌で彼はなおも言葉を紡いだ。苦痛よりは、このまま眼を閉じてしまうことを怖れるように。
私は、その弾丸を見にきたのだ、と言った。「《秘宝》に興味があるわけではないが、暇だったから」と付け加えると、納得したのか、それとももう話すのも億劫なのか、男はそうか、とだけ呟いた。そして、ふと思い出したかのように私を見る。
「あんた、名前は?」
問われて、私は少し戸惑った。私には名前がない。何故なら、生まれてからずっとひとりだったからだ。私が私を認識するのに名前は必要ない。私は『私』でそれ以上でもそれ以下でもない。だから私は、自分自身に名前を与えなかった。単に考えるのも面倒だっただけでもあるが。
私を認識する記号を必要とする、つまり他人が共にいたことは何度かあった。彼らは好きなように私を呼んだが、今はひとりでいるので名前が無かった。
最後に呼ばれた名前を告げれば良いかとも思ったが、既に遠く昔のことなので咄嗟に思い出せない。
記憶を辿るのも面倒だったので、私は正直に名前がないと彼に言った。すると男は不思議そうに瞬いてから、「まあいいや」と本当にどうでも良さそうにつぶやいた。
「名前、ないならかえって好都合だ。なあ、せっかく何かの縁でこうしてめぐり合えた仲なんだし、ひとつ頼みを聞いてくれないか?」
「聞くだけならば」
特に断る理由もなかったので、私は是と告げた。
「あんたさ、暇なんだろ?だったら俺の代わりになってくれよ」
「代わり?」
「俺の名前をあんたにやる。だから、俺の名前をつれて《秘宝》を探してくれよ。そうすれば、俺は宝探しを続けられるし、あんたは退屈をしのげるってわけだ。名案だろ?」
「ふむ」
少し考えて、私は頷いた。
私は男に少し興味を持った。そして話を聞かせてもらい、ほんの少しのあいだだが退屈を忘れた。
ならばその謝礼に彼の望みを叶えてやっても悪くないだろう。自分が死んでもなお、《秘宝》に情熱を傾ける男に少なからず感じ入るところもあった。
それに彼の言う通り私は暇で、そして退屈に飽いていたのだ。
私は彼に名前を問うた。男は答え、私に小さな端末を手渡した。
その瞬間に彼の名前は私の当面の名前となった。
そして名前の無くなった男はゆっくりと目を閉じると、溜息のように呟いた。
「楽しいよ、《宝探し屋》は」
それきり男は動かなくなった。
私は、小型の端末が『ハンターの死亡を確認』と無機質な声で告げるのを聴きながら、彼の手の中にあった銀色の小さな欠片を手に取る。
聖なる銀の弾丸。
いつか、私の心臓を撃ち抜くもの。
その呼び声は今の私には聞こえないが、いずれ聞こえるようになるのかもしれない。
何故なら、私はこれから《宝探し屋》になるのだから。
「火?」
問い返すと男はわずかに顎を引いた。そう、火。ライターでもマッチでも、何でもいいんだ。状況にそぐわない暢気な声でそう言う。
しかしあいにく、私は喫煙の趣味もないので火種になりそうなものは何ひとつ所有していない。肩を竦めてそう告げた。
「そっか、残念」
「すまないな」
「ああ、いや、気にしないで。最後に一服したかっただけだから」
男はほんの少し顔をゆがめながらポケットに手を突っ込んだ。くしゃりと潰れた煙草の箱から、一本シガレットを取り出して口の端にくわえる。
火のついていない煙草を吸って、男はまぶしそうに目を細めた。あるいは、痛みに目を眇めたのかもしれない。彼は手ひどい傷を腹に負っていた。赤い血に濡れてよく見えないが、おそらく内臓もずたずたになっているのだろうと、一見しただけでわかるほどに。
彼の命は尽きかけていた。あと半刻も持たないだろう。下手をすれば次の瞬間には目を閉じてしまいそうだ。
「あーあ、悔しいなあ。世界にはまだたくさんの《秘宝》が埋まっているのに」
あまり悔しそうには聞こえない、力の抜けた口調で彼は言った。ただ、《秘宝》という言葉にだけ力がこもっていた。
彼にとって《秘宝》というものは特別なものらしい。悔しさよりも、それを探すことに命をかけたことに満足しているようだった。
私には、命を賭けるに値するほど情熱を傾けられるものがない。それは自分の命が大切なのではなく、自分の命と等しく全てのものがどうでもいいという意味だ。
だから、私は彼に少しだけ興味を持った。自分には決して持ち得ない情熱に、眠っていた好奇心が僅かに疼いたのだ。
「《秘宝》というのは、今その手に持っているものだろう?それは、そんなに魅力的なものなのか」
問いかけると、彼は閉じかけていた眼を少し開いた。
「うん?ああ、これ。これはな、聖なる銀で出来た弾丸で、曰く伝説の魔物の心臓も撃ち抜くことが出来るらしい」
それは知っている。
というより、私はその弾丸を探しにこんな薄暗く気味の悪い遺跡まで足を運んだのだ。
真偽のほどはわからないが、自分の心臓を撃ちぬくことが出来るかもしれない、というものが気になるのは人情と言うものだろう。もっとも、私は人間ではないが。
私の思惑など知るよしもない男は、段々と呂律の怪しくなってきた口で説明を続けた。
「純銀だし、特殊な呪術が施されてるから、売ったら億万長者だろうなあ」
「なんだ、金が欲しいのか」
死んだら金も使えないだろうに。呆れて私が言うと、男は少し不機嫌そうな顔をした。
「誰が売るって言ったんだ。俺は金が欲しくて《秘宝》を探してるんじゃない」
「ならば、何のために探している?」
「呼んでるから、だよ」
「呼んでいる?」
「そう。《秘宝》が呼んでいるんだ。此処にいるんだ、早く見つけて探し出してくれ…って、」
だから俺はその呼び声を聞いて彼らを探し出してやるんだ。彼はそう続けた。
「千年前に誰かが祈った言葉を、今、俺が探し出して、耳を傾けてやりたい。そう思ったんだ。だから…こうして……」
男は少し苦しそうに息を吐いた。無理もない。本来ならばとっくに死んでいても良さそうな怪我だ。こうして話しているのも辛いに違いない。
せめて痛み止めでも持っていれば良かった、と私は少し後悔した。
「そういえば、あんたはどうしてこんな所に?」
そろそろ回らなくなってきた舌で彼はなおも言葉を紡いだ。苦痛よりは、このまま眼を閉じてしまうことを怖れるように。
私は、その弾丸を見にきたのだ、と言った。「《秘宝》に興味があるわけではないが、暇だったから」と付け加えると、納得したのか、それとももう話すのも億劫なのか、男はそうか、とだけ呟いた。そして、ふと思い出したかのように私を見る。
「あんた、名前は?」
問われて、私は少し戸惑った。私には名前がない。何故なら、生まれてからずっとひとりだったからだ。私が私を認識するのに名前は必要ない。私は『私』でそれ以上でもそれ以下でもない。だから私は、自分自身に名前を与えなかった。単に考えるのも面倒だっただけでもあるが。
私を認識する記号を必要とする、つまり他人が共にいたことは何度かあった。彼らは好きなように私を呼んだが、今はひとりでいるので名前が無かった。
最後に呼ばれた名前を告げれば良いかとも思ったが、既に遠く昔のことなので咄嗟に思い出せない。
記憶を辿るのも面倒だったので、私は正直に名前がないと彼に言った。すると男は不思議そうに瞬いてから、「まあいいや」と本当にどうでも良さそうにつぶやいた。
「名前、ないならかえって好都合だ。なあ、せっかく何かの縁でこうしてめぐり合えた仲なんだし、ひとつ頼みを聞いてくれないか?」
「聞くだけならば」
特に断る理由もなかったので、私は是と告げた。
「あんたさ、暇なんだろ?だったら俺の代わりになってくれよ」
「代わり?」
「俺の名前をあんたにやる。だから、俺の名前をつれて《秘宝》を探してくれよ。そうすれば、俺は宝探しを続けられるし、あんたは退屈をしのげるってわけだ。名案だろ?」
「ふむ」
少し考えて、私は頷いた。
私は男に少し興味を持った。そして話を聞かせてもらい、ほんの少しのあいだだが退屈を忘れた。
ならばその謝礼に彼の望みを叶えてやっても悪くないだろう。自分が死んでもなお、《秘宝》に情熱を傾ける男に少なからず感じ入るところもあった。
それに彼の言う通り私は暇で、そして退屈に飽いていたのだ。
私は彼に名前を問うた。男は答え、私に小さな端末を手渡した。
その瞬間に彼の名前は私の当面の名前となった。
そして名前の無くなった男はゆっくりと目を閉じると、溜息のように呟いた。
「楽しいよ、《宝探し屋》は」
それきり男は動かなくなった。
私は、小型の端末が『ハンターの死亡を確認』と無機質な声で告げるのを聴きながら、彼の手の中にあった銀色の小さな欠片を手に取る。
聖なる銀の弾丸。
いつか、私の心臓を撃ち抜くもの。
その呼び声は今の私には聞こえないが、いずれ聞こえるようになるのかもしれない。
何故なら、私はこれから《宝探し屋》になるのだから。