二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

Fahrenheit

INDEX|4ページ/4ページ|

前のページ
 


 金糸雀が囀るような響きに二人で同時に振り向くと、椎名が立ち上がる所だった。黒いフリルのスカートについた埃を行儀良く払ってから、彼女は挑むように皆守を見上げる。そして「ファーレンハイト、ですわよ」ともう一度繰り返した。
 皆守の眉間の皺が深くなる。椎名の言葉はまるで何かの呪文のように聞こえた。耳に馴染まず、意味もわからない。
「何だよ、それは」
「まァ、CHRISTIAN DIORのFahrenheitをご存知ありませんの?有名なオー・ド・トワレですのに」
 オー・ド・トワレ、と反芻して皆守は漸く納得した。要するに香水か。だったらもったいぶらずにそう言え、という不満は胸の内に押し留めておく。
「リカが九龍クンに差し上げたものなんですのよ?咲重おねえさまとご一緒に、九龍クンにピッタリの香りをお探ししましたの」
 小さな両手を胸の辺りで組んで、椎名は不満げに口を尖らせた。
「それをヘンな匂い、だなんて、皆守クンは少しデリカシーというものがなさすぎると思いますわ。どうりで、お顔はまあまあなのにおモテにならないわけですわね」
 余計なお世話だ、と毒づく皆守を小突きながら、葉佩が椎名を宥めにかかる。
「ごめんねえ、リカちゃん。ホラ、甲太郎はさ、ラベンダーとカレーの匂いしかわかんない可哀相な奴なんだよ」
 全くフォローになっていない。
 皆守のこめかみがひくりと引きつった。今なら少し阿門の気持ちがわかる気がするぜ、と虚ろな目で彼は嘯いた。
 しかしそんな皆守の溜息など綺麗に黙殺される。
「九龍クンに謝って欲しくありませんわ。リカは皆守クンに怒ってるんですの」
 椎名はそう言って、ちらりと皆守を見上げた。
「リカだって…本当に皆守クンがカレーとラベンダーの匂いしかお判りにならないんでしたら、こんな風に怒ったりしないんですのよ?」
「……どういう意味だ」
 確かに選んだ言葉は悪かったかもしれないが他意があった訳でもない。それをこうも突っかかられるとさしもの皆守も苛立った。元々椎名に対する苦手意識があったのも手伝って、返す言葉は剣呑な色を含んでしまう。しかし全く動じる事なく、椎名は挑むような目を皆守に向ける。
「ファーレンハイトの意味、知ってらして?」
「何だよ、いきなり」
「華氏温度……一気圧での水の凝固点を三二度、沸点を二一二度とする温度目盛のことですわ。レイ・ブラッドベリの『華氏四五一』という小説はご存知?華氏四五一度――それは書物が燃える温度なんだそうですの」
「だから、それが何だってんだよ」
 七瀬よろしく、一息で長々と説明し始める椎名に苛立つ。何が言いたいのか解らないが、文句があるなら回りくどいことはせずはっきり言えと口には出さずに毒づいた。
「この香りに込められた意味は、氷点と沸点の交わる温度。熱砂と凍土、規範と放埓、支配と服従、一瞬と永劫、饒舌と沈黙――全ての矛盾を調和する…そういう意味なんですのよ」
「……」
 相変わらず椎名の言いたい事は見えない。
 しかしその強い視線と言葉に、皆守は息を呑んだ。全ての矛盾を――その言葉が突き刺さる。それはまるで、葉佩九龍そのものを比喩する言葉ではないか。
 椎名は瞳に強い光を宿したまま、挑発するように小さな口元に笑みを佩いた。
「リカは優しいところも、そうじゃないところも、全部ひっくるめて九龍クンのことが好きですの。ですから、優しい九龍クン以外見ないフリして甘えている皆守クンは大嫌いですわ」
 にっこりと笑顔で言われて言葉に詰まった。
 そんな事を言われる筋合いはないと返すのも億劫で、皆守は誤魔化すようにアロマプロップを銜える。いつもの動作で点火してから、漸く一言吐き出した。
「……お前がどう思おうが、俺には関係ない」
 椎名はこれ見よがしに小さな肩を竦めて「まァ、それはそうですわね」と薄く笑った。
「二人とも、仲が良いのは結構だけど、そろそろ行くよ。準備は良い?」
 目の前で自分の事で揉めていたというのに全く気にせずに葉佩が片手を挙げた。誰が仲が良いんだ、と胸の内で毒づきながら皆守は無言で踵を返す。
 椎名が「ええ」と頷いたのを確認して、葉佩は扉を押し開いた。その瞬間、先程までへらりと笑っていた顔から一切の表情が抜け落ちる。昼間の陽気さが嘘のように、機械のように無感情な――それが、葉佩の《仕事》の時の顔だ。
 扉をくぐる二人に続いて、皆守は足を踏み出した。
 歩調に合わせて紫煙がゆらゆらと揺れる。硝煙の匂いより、香水の匂いより、やはりこの花の匂いがいちばん落ち着く。そう思いながら、皆守は先程の椎名の言葉を否定できない自分を自覚した。
 目の前の《宝探し屋》が抱える矛盾も、笑顔の下に隠した感情も、本当は気づいている。それでも見えない振りをしていたいのは、《宝探し屋》である葉佩が嫌いだからだ。
 なぜなら、《宝探し屋》は墓を暴く。ころして、土に埋めて、必死で隠している秘密を。皆守の望むものが停滞と平穏だと知りながら、平然と突き進んでは謎を解き明かしていく。
 傲慢で、横暴で、最低な――憎むべき《侵略者》。
 それでも葉佩の傍にいることを選んでしまう理由はあえて考えないようにして、皆守は目を伏せた。

「お前が、ただの《転校生》なら良かったのにな」

 誰にも聴こえないように吐き出した小さな呟きを、ラベンダーの薫りがかき消した。
作品名:Fahrenheit 作家名:カシイ