Fahrenheit
椎名は黒いレースで縁取ったハンカチを地面に敷き、その上にちょこんと膝を抱えて座り込んだ。いわゆる体育座りなのだが、彼女がやるとそれすらも上品に見えるから不思議だ。
葉佩はアサルトベストの中身を井戸の中に突っ込んだり、ライフルのカードリッジを井戸の中から取り出したり、と荷物を整理している。
手持ち無沙汰の皆守はやることがないので、葉佩の後ろからやきそばパンは三つも要らないだの弾丸は余分に持っていけだのと口を挟んで荷物の整理を手伝った。
「消しゴムとカッターはいらねえだろ。戻せよ」
「ダメ。クエストで使うから」
「……どの道、消しゴムは役に立たないだろ」
文具に屈さんとかいうアレか。以前殖をちまちまチョークで攻撃していた葉佩を思い出し、げんなりしながら消しゴムを放り投げた。ぽちゃん、と井戸に沈んだ消しゴムは、どんな異空間で繋がっているのか知らないが葉佩の部屋に戻っているはずだ。
「辛さを求めん」だったら喜んで協力するんだけどな、などと取り止めもなく考えていた皆守は、不意に鼻先を掠めた匂いに眉をひそめた。
ふわり、と甘い花の匂いが微かに葉佩の髪から馨る。それに混じってスパイスのような鼻につく匂い。普段の硝煙と埃の匂いからは程遠い。怪訝に思って、皆守は葉佩の首筋に鼻を埋めた。びくり、と葉佩の肩が震える。
「うわ、な、何?どうした甲太郎?」
「――お前、何かヘンな匂いするぞ」
「ヘン…って…」
絶句して葉佩はアーモンド形の目を丸くした。驚きというよりは呆れた色を濃く映す黒い瞳に、ばつが悪くなって皆守は目を逸らした。
「何だよその顔。ホントのこと言っただけじゃねえか」
拗ねたように吐き捨てる皆守に、今度こそ葉佩は呆れ果てた。きっと辞書で皆守甲太郎、と引いたら『デリカシーに欠けること』という意味が載っているに違いない。そう言ってやろうと思ったのだが、それより早く高い声が二人の会話を遮った。
「ファーレンハイトですわ」
作品名:Fahrenheit 作家名:カシイ