結婚しようよ
朝早くにチャイムが鳴った。時計は8時を周ったばかりだ。こんな時間に誰だろうといぶかしみながら、帝人がドアを開けると
「やあ」
見知った顔がさわやかに片手を挙げてあいさつした。
「え、臨也さん?」
「おはよう帝人君。誰何もせずドア開けるの、よくないと思うよー」
「はぁ、おはよう・・・ございます」
「おじゃましまーす」
「えっ?え?ど、どうぞ」
ものすごく自然に靴を脱ぐ臨也に帝人はあっけにとられ、思わず体を寄せて部屋の中へと通してしまった。
勝手知ったる他人の家とばかりに、畳に足をのばして座る。いかにもくつろいだ様子だ。狭い部屋に成人男性が一人増えるとますます窮屈に思える。
帝人はなんとなく落ち着かなかった。
「あの・・・なんですか?」
「うん、まぁ座りなよ、遠慮せずにさ」
「いや、それ僕が言うべき台詞ですよね」
突っ込みどころが多すぎて追いつかない。ほんと何しに来たのこの人。
臨也は今までも度々帝人の家を訪れることはあったが、こんな風に部屋まで上がりこむことはほぼなかったし、入ったとしてもさっさと帰ってしまっていた。
それがなんだろう、このくつろぎっぷり。
とりあえず言われるままに床に座った。なんとなく正座。
「じゃあ、まず、卒業おめでとう、帝人君」
「・・・ありがとうございます」
昨日は来良学園の卒業式だった。
なんだかんだで色々なことがあった、というかありすぎた高校もひとまず終焉を迎えた。非日常に囲まれた学園生活ではあったが、卒業式はいたって平凡普通に滞りなく済み、人生ってこんなもんだよねと帝人は思ったものだった。
「お祝いしてくれるために来たんですか」
「お祝いも兼ねてだけど、帝人君が卒業したということで、これを書いてもらうために来たわけ」
と、どこからか臨也は一枚の紙切れを取り出し、帝人に渡した。
白い紙の左の欄に、臨也の名前と住所、それに本籍や父母の名前等々が書かれていた。今まで知らなかった臨也の個人情報が満載だ。
「へー、臨也さんにもちゃんと両親がいたんですね」
「注目するところそこじゃないから、こっちだから」
臨也は身を起こし、長い手を伸ばして右の欄を差した。そちらは空欄になっていた。
「書いてね」
「え、何を?ていうか何ですかこ・・れ・・・」
帝人は改めて書類を見直し、左上に3文字の名前を発見した。
婚姻届。
なんだっけこれ、こんいんとどけってなんだっけ。帝人の思考は一瞬停止した。
婚姻、すなわち結婚すること。ぎょっとして帝人は紙を思わずにぎりつぶしそうになった。
「い、ざ、やさん?」
「何」
「これ、こっここ、こ」
恥ずかしすぎて口に出すのもままならない。
「あの、こんいんとどけって書いてありますけどっ」
思わず声がひっくり返ってしまった。真向かいにいる臨也の顔がまともに見られない。
「知ってるけど」
そんな、あっさり。帝人は頭がぐるぐるしてどうしていいかわからず、意味もなく泣きたくなった。
「・・・・・ちなみにこれ僕が書くと誰と誰が結婚することになるのか確認してもいいですか」
「俺と帝人君が」
そういう質問されるとは思わなかったなぁと臨也は少し楽しそうにつぶやいた。
結婚。臨也と、自分が。
結婚について全く考えが及ばなかった、といったら嘘になるかもしれない。でも本気でいつか結婚するとかそういうことを真剣に検討したり悩んだりしたことはなかった。
「臨也さんは、こういうの興味ない人だと思ってました」
「こういうのって?」
帝人は紙に目を落としたままぼそぼそと言った。
「こういう・・・形式的なものっていうか。決まりごとみたいな」
「うん、別にこんなルールなんかどうでもいいんだけど。でもそういうルールにたまに乗っかってみるのも良いと思わない?そこらにいる倦怠期の夫婦とか結婚したとたんに後悔したけど結局ずるずる続いてる夫婦とか、そこまで人を縛りつけるものを帝人君で実験してみるのも悪くないと思って」
「なんで破綻前提なんですか。あと実験とか本人目の前にして言わないでください」
「でも、俺と帝人君なら結構いい感じにお互い協力できると思うんだよね」
帝人は伺うように臨也を見た。彼はいつものように浅い笑みを浮かべていた。
「メリット、それなりにあると思うよー?情報屋さんにお任せあれ」
帝人は再び紙に目を落とした。こんな紙切れ一枚で何かが変わるのだろうか。臨也が好きかといわればきっと好きだ。でも結婚するということはすなわち一蓮托生ということだ。何かあったらともに責任を負わなくてはならない。実際はともかく、まじめな帝人はそう思っていた。正直、すごく大変そう。
帝人の沈黙を逡巡と受け取ったのだろう、彼は言った。
「・・・すぐに決めるのが無理なら待つよ。少しは」
ほんの少し、気弱さを含んだその声に、帝人はなんだかおかしくなった。あれだけ普段ひょうひょうとして人を混乱させるようなことばかりして、自信に満ち溢れている彼が、婚姻届を自分に書けといって、しかもちょっと弱気になっている。それに卒業したから結婚しようというなら、昨日来れば良かったのだ。でも昨日は来なくて、今日来た。彼の迷いか、又は気づかいか、どっちかはわからないが。この人の、こういう最後を決めきれないところが、なんとなく放って置けなくて付き合ってしまうのだ。
そこまで考えて帝人は、だめだ、完全に絆されてるなと思った。
「やあ」
見知った顔がさわやかに片手を挙げてあいさつした。
「え、臨也さん?」
「おはよう帝人君。誰何もせずドア開けるの、よくないと思うよー」
「はぁ、おはよう・・・ございます」
「おじゃましまーす」
「えっ?え?ど、どうぞ」
ものすごく自然に靴を脱ぐ臨也に帝人はあっけにとられ、思わず体を寄せて部屋の中へと通してしまった。
勝手知ったる他人の家とばかりに、畳に足をのばして座る。いかにもくつろいだ様子だ。狭い部屋に成人男性が一人増えるとますます窮屈に思える。
帝人はなんとなく落ち着かなかった。
「あの・・・なんですか?」
「うん、まぁ座りなよ、遠慮せずにさ」
「いや、それ僕が言うべき台詞ですよね」
突っ込みどころが多すぎて追いつかない。ほんと何しに来たのこの人。
臨也は今までも度々帝人の家を訪れることはあったが、こんな風に部屋まで上がりこむことはほぼなかったし、入ったとしてもさっさと帰ってしまっていた。
それがなんだろう、このくつろぎっぷり。
とりあえず言われるままに床に座った。なんとなく正座。
「じゃあ、まず、卒業おめでとう、帝人君」
「・・・ありがとうございます」
昨日は来良学園の卒業式だった。
なんだかんだで色々なことがあった、というかありすぎた高校もひとまず終焉を迎えた。非日常に囲まれた学園生活ではあったが、卒業式はいたって平凡普通に滞りなく済み、人生ってこんなもんだよねと帝人は思ったものだった。
「お祝いしてくれるために来たんですか」
「お祝いも兼ねてだけど、帝人君が卒業したということで、これを書いてもらうために来たわけ」
と、どこからか臨也は一枚の紙切れを取り出し、帝人に渡した。
白い紙の左の欄に、臨也の名前と住所、それに本籍や父母の名前等々が書かれていた。今まで知らなかった臨也の個人情報が満載だ。
「へー、臨也さんにもちゃんと両親がいたんですね」
「注目するところそこじゃないから、こっちだから」
臨也は身を起こし、長い手を伸ばして右の欄を差した。そちらは空欄になっていた。
「書いてね」
「え、何を?ていうか何ですかこ・・れ・・・」
帝人は改めて書類を見直し、左上に3文字の名前を発見した。
婚姻届。
なんだっけこれ、こんいんとどけってなんだっけ。帝人の思考は一瞬停止した。
婚姻、すなわち結婚すること。ぎょっとして帝人は紙を思わずにぎりつぶしそうになった。
「い、ざ、やさん?」
「何」
「これ、こっここ、こ」
恥ずかしすぎて口に出すのもままならない。
「あの、こんいんとどけって書いてありますけどっ」
思わず声がひっくり返ってしまった。真向かいにいる臨也の顔がまともに見られない。
「知ってるけど」
そんな、あっさり。帝人は頭がぐるぐるしてどうしていいかわからず、意味もなく泣きたくなった。
「・・・・・ちなみにこれ僕が書くと誰と誰が結婚することになるのか確認してもいいですか」
「俺と帝人君が」
そういう質問されるとは思わなかったなぁと臨也は少し楽しそうにつぶやいた。
結婚。臨也と、自分が。
結婚について全く考えが及ばなかった、といったら嘘になるかもしれない。でも本気でいつか結婚するとかそういうことを真剣に検討したり悩んだりしたことはなかった。
「臨也さんは、こういうの興味ない人だと思ってました」
「こういうのって?」
帝人は紙に目を落としたままぼそぼそと言った。
「こういう・・・形式的なものっていうか。決まりごとみたいな」
「うん、別にこんなルールなんかどうでもいいんだけど。でもそういうルールにたまに乗っかってみるのも良いと思わない?そこらにいる倦怠期の夫婦とか結婚したとたんに後悔したけど結局ずるずる続いてる夫婦とか、そこまで人を縛りつけるものを帝人君で実験してみるのも悪くないと思って」
「なんで破綻前提なんですか。あと実験とか本人目の前にして言わないでください」
「でも、俺と帝人君なら結構いい感じにお互い協力できると思うんだよね」
帝人は伺うように臨也を見た。彼はいつものように浅い笑みを浮かべていた。
「メリット、それなりにあると思うよー?情報屋さんにお任せあれ」
帝人は再び紙に目を落とした。こんな紙切れ一枚で何かが変わるのだろうか。臨也が好きかといわればきっと好きだ。でも結婚するということはすなわち一蓮托生ということだ。何かあったらともに責任を負わなくてはならない。実際はともかく、まじめな帝人はそう思っていた。正直、すごく大変そう。
帝人の沈黙を逡巡と受け取ったのだろう、彼は言った。
「・・・すぐに決めるのが無理なら待つよ。少しは」
ほんの少し、気弱さを含んだその声に、帝人はなんだかおかしくなった。あれだけ普段ひょうひょうとして人を混乱させるようなことばかりして、自信に満ち溢れている彼が、婚姻届を自分に書けといって、しかもちょっと弱気になっている。それに卒業したから結婚しようというなら、昨日来れば良かったのだ。でも昨日は来なくて、今日来た。彼の迷いか、又は気づかいか、どっちかはわからないが。この人の、こういう最後を決めきれないところが、なんとなく放って置けなくて付き合ってしまうのだ。
そこまで考えて帝人は、だめだ、完全に絆されてるなと思った。