卒業前夜
「……世話んなったのは、俺も一緒だ。だから、何も要らん。それにお前から何か貰うなんざ、後が怖ぇよ。俺には返せるモンがねえからな。……お前の愛も誓いも重すぎて持ち歩けねえから、気持ちだけ貰っておく」
「つまらん男だな。……ならばどうだ、この身体だけでもくれてやろう。土産に一夜を持って行かぬか」
「お前なあ……。身体なんざ、余計に要らんわ。欲だの情だの、見えんモノなら知らぬ振りも出来ようが、触れる物はそうはいかんだろう。一度知ってしまえば、手放すのが惜しくなっちまう」
楽しそうに笑う少年と、心底呆れたようにうなだれる少年。二人にとっては日常の光景だ。
けれどもこうして、同じ部屋で他愛のない話をしながら過ごせるのは、あと数刻 ――――――――― 。
「私の、お前への気持ちは、愛だの恋だのという言葉では到底表現仕切れんよ。……うむ、確かに、重いな。自分でもそう思う。この胸の内が、今日この時まで、お前に知られずに済んで良かった。押さえ付けて来た甲斐があったよ。だから私達は、今日まで良き友でいられたんだものな」
「……今日で此処での生活が終わるからと言って、なんでお前、そんなに素直になりやがるんだ。ああくそ、お前だけが寂しいと、お前だけが苦しいと思うなよ、仙蔵」
「私が感じているのと同じように、お前も寂しいのか」
「明日からの事を考えると、身を切られるような思いだ」
「お前も、苦しかったか」
「ああ、六年は長かった」
ようやく、二人はお互いの顔を見る。
立花は正座を、潮江は胡座を崩さぬまま、顔だけを内側の世界に向けた。
長い時間、側にいて観続けた友の顔がそこにある。
「……この先、何があっても生きろよ、文次郎」
「仙蔵、お前もだ。達者で暮らせ」
「また逢おう」
「いつか、必ず」
与えることにも与えられることにも慣れていない十五の少年達の、“いつか ”という日への期待を込めた、これは、約束。
「……明日の朝には、止んでいるといいのだが」
「……濡れて行くのも、風流なもんだ」
真剣な視線を交わしたのも束の間、二人はすぐに顔を元の位置に戻す。会話もまた、元の筋道へ。
これでいいのだと、それぞれが自分自身に言い聞かせて。
「私達はいいんだ。しかし、せめて小降りになってくれんと、伊作が可哀想だろう」
「幾ら不運なあいつでも、最後ぐらい、なんとか格好つけるだろ」
「だと良いんだがな」
「どちらにしても、結果を俺達が観る事はねえんだ。また何処かで逢った時にでも、聴いてみれば良いだろう」
「……そうだな。いつか、ゆっくりと、な」
二人が唇からこぼす言葉は次々に、雑音に溶けていく。
それでも、一大決心の末に紡ぎ出された告白は、二人の思いは、雨水のように流れて消えることはない。
共に笑い、共に泣き、共に在った六年の日々。
大切な仲間達と歩んだ、苦楽の道。
たった一度だけ吐露した、大切な想い。
全てを胸に刻みつけて往くのだ。
約束を違えねば必ず、二人はどこかで巡り会える。
重ねていく毎日の中で、少年達は今とは違う色に染まってしまうかもしれないけれど、学園で過ごした六年だけは、きっと色褪せない。
同じ長屋で暮らした日々を肴に、馴染みの面々と月夜の晩に酒を酌み交わせる日も来るだろう。
そう信じていれば、きっと、どんな困難でも越えられる。
「少し早いが、そろそろ寝るか。明日はきっと、お前の方が早いな」
「だろうな。なるべく音は立てずに行く。起こしたらすまん」
「かまわんさ。どのみち、見送りは禁じられている。気付いても、寝た振りをしておくさ」
優しい声音に潜む切ない響きに、潮江は、無理に閉じた心を開いて、立花に触れてしまいたくなった。彼がくれてやると言った土産を、受け取ってしまいたくなった。
無意識に手が出そうになったけれども、その衝動をぐっと堪えて立ち上がり、押入に向かう。
手慣れた様子で二つの布団を敷きながら、何気なく、
「……やっぱり、朝まで雨が降ってる方がいいかもな」
潮江がぽつりとそう呟けば、同室の少年はすぐに、やけにハッキリとした声で答えた。
「ふふ……大丈夫だ。降っていようがいまいが、私は泣かん。だから安心して発つがいい」
「…っ、馬鹿もん。心を読むな、心を」
「お前は解り易くていいな」
明日の朝も、愛しい人、愛しい場所はきっと水音の中。
誰の涙をも誤魔化してくれるだろう雨が止む前に。
「おやすみ、文次郎」
「おやすみ、仙蔵」
静かに、静かに、さようなら。
- 終 -