戦場のボーイズラブ
「これで良かったんだ……阿久津の中でオレは、強く気高いバスケ部員のままで、生き続ける」
ベッドに横たわったままの真白木は、窓の外を眺めながら思った。もう、身を起こすことも叶わない。
阿久津宏海。真白木にとってはかつての好敵手であり、いつしか一番大事な存在となっていた人間である。
本当は、逢いたい。今すぐに逢いたい。しかし、逢ってしまえば、お互いを失うことが尚更辛くなる。だから敢えて今は逢わず、自分の輝いていた頃の姿を、阿久津の心の中に永久に留めて欲しい。
せめてもの真白木の願いを、誰に責める権利があるだろう。
――ガシャーン!
突然、窓ガラスが割れ、大きく赤い人影が飛び込んできた。
「真白木さん、迎えに来たぜ」
阿久津は微笑み、真白木に手を差し出した。
「お、オレは夢を見ているのか……?」
逢わずに逝こうとした、大切な人。想い描いていただけの人。それが今、現実となって、真白木の前に立っている。
「夢じゃねーよ。事情は小城から聞いた。悪いが時間がない。アンタを攫ってく」
阿久津は、真白木の華奢な躯を片手で抱き上げ、もう片方の手でロープを握った。
「しっかり掴まってろよ!」
そして阿久津は真白木を抱えたまま、飛んだ。
「今頃、サナトリウムは大騒ぎかもしれねーな」
抱いてきた真白木を、サナトリウムから少し離れた丘の、柔らかい草の上に下ろし、阿久津は苦笑する。だが、真白木は笑わなかった。
「阿久津、どうして……」
空には月と満天の星。夜と二人を照らすものは、ただそれだけだった。
阿久津は真剣な声で言う。
「オレはアンタに逢いたかったんだ。そして、誰にも邪魔されずに二人きりで過ごしたかった。真白木さん……身勝手な願いかもしれねーけど、アンタの最期の時間を、オレにくれないか?」
「……こんなに弱り切ったオレでいいのか……?」
「アンタだからいいんだ。どんなアンタでも、オレは……」
「阿久津……駄目だ、月と星が見てる……」
「見せつけてやろうぜ……」
やがて、真白木の病室の花瓶から、椿の花がぽとりと落ちた。
「小城。この作品、俺の知り合いの雑誌に載せてみないか?」
小城の発行した同人誌『戦場のボーイズラブ』にざっと目を通した丘八十一が、小城に提案した。
「えええええっ!」
絶叫したのは、柴だった。
「どうしてお前が驚くんだ、柴?」
丘は怪訝そうな表情を見せる。当の小城はといえば、あまりに意外な申し出に、呆然としていた。
「だ、だって……」
阿久津のロープはどこからぶら下がっているのかということと、何よりロープは縛るための道具なのに、本来の目的に使う記述がまったくないことが、柴には理解不能だった。
だが、それを口にすると、友人の才能(?)に嫉妬しているように思われるかもしれない。そんな器の小さい男にはなりたくなくて、柴は口をつぐんだ。
「ほら、最近こういうのが流行ってるだろう。それで俺の知り合いも、新たな才能を発掘したいと言っててな。評判が良くてファンもついたら、ファンとの交流イベントもやってみたい、と言ってたぞ」
丘の話は、小城にはとてつもなく魅力的に聞こえた。
――オレの書いた話、えーと、なんて言うんだっけ。そうだ、ベーコンレタスだ。こういうのが今、女に人気があるんだよな? ファンとの交流ってことは、女ばっかりで、もしかしてサインとか握手とか求められちゃったり、ファンレターもらったり、ラブレターもらったり……うわ、オレ、真白木さんをせめてフィクションの世界では幸せにしてあげようと思って書いただけで、自分がモテるつもりなんてなかったのに! なんかすみません、真白木さん! でもこんなチャンスなかなか転がってないんで、話に乗ってみようと思います!
しばし考え込んだ小城は、笑顔で丘に頭を下げた。
「……というわけで丘先生、よろしくお願いします」
「よし、わかった。話をしてみよう。この本、参考に1冊くれ」
「あ、タダでいいっすよ。だからくれぐれもよろしくお願いします」
再び丘に頭を下げた小城を、柴は複雑そうな表情で眺めていた。
数ヶ月後、本当に小城のファンイベントが行われることになり、柴はこっそり変装して様子を見に行った。
するとそこでは、小城の作品に感動したという女たち――髭の剃り跡も青々しい、戸籍上では「男」と呼ばれる人々――が、「超感動しちゃった、アタシ!」「そうそう、こんなに泣いたの『夏のそなた』以来よぉ!」「小城センセー、かーわいいー!」などという嬌声を上げながら、半泣きの小城をもみくちゃにしていた。
柴はなんとなく安堵し、そして武士の情けとばかりに会場に背を向け、それを見なかったことにした。