戦場のボーイズラブ
「今夜が峠だわ。まず助からないでしょうから、せいぜいこの世とのお別れを惜しんでおくことね」
女医の佐渡あいすが告げた。
救急車で運ばれたときには既に、真白木の病状は、手の施しようがない程に悪化していた。そうした、最早死を待つしかない病人に与えられたのは、せめて穏やかな気持ちで最期を迎えられるように、との恩情だった。
柔らかな光の差し込む、大きな窓。清浄な空気で満たされた室内。花瓶には、緋色が目に鮮やかな、椿の花。
申し分のない設備を持つサナトリウムで、真白木はベッドに横たわり、幾本もの点滴に繋げられる日々を送っていた。その顔色は、ベッドと同じくらい白く、躯も折れそうにか弱くなっている。バスケット部時代に、八面六臂の活躍をしていた真白木を知る、柴と小城には、その姿が痛ましく辛いものだった。
「そんな言い方はねーだろ! 大体、ちゃんと手は尽くしたのかよ? そういう誠意とか熱意とかが、全く感じられねーんだよ!」
感情的になった柴が、佐渡に喰ってかかる。 しかし、佐渡は顔色ひとつ変えず、口を開く。
「私はそんなにヒマじゃないの。でも、棺は準備してあげる。これだって充分過ぎるくらいだと思うけど、身の程をわきまえない高望みは、破滅を招くだけよ」
「この女、言わせておけば!」
あまりの言い草に激昂し、思わず掴み掛かりそうになる柴を、小城が制止する。
「それ以上言っても無駄だろう。それより真白木さん、阿久津に連絡……」
「言っておくけど、この患者は面会謝絶よ。貴方達はどうしてもって言うし、円先生の口添えもあったから、仕方なく入れてあげているだけ。本来ここは、死を静かに待つための施設なのよ。人間に来て、騒がしくされたくないの。これ以上は鬱陶しいから、このサナトリウム自体に誰も入れないように、って門番に徹底してあるわ。連絡したって無駄よ」
無表情のまま言い終えると、佐渡は踵を返して部屋を出ていった。ドアの閉まる音を聞き、真白木は寂しげな笑みを浮かべた。
「あいすちゃんの言う通りだ。阿久津には……連絡しないでくれ」
「だって、真白木さん! 真白木さんはあいつのことを……」
「いいんだ、小城。こんな姿のオレを、あいつには見られたくないし、あいつも見たくはないだろうからな」
自嘲気味に言って、真白木は目を閉じた。静かだが、きっぱりと、今見えているこの世界を否定するように。
「ど、どうかな?」
自分の作品を読まれる、という慣れない体験に照れているのか、頬をわずかに上気させている小城が尋ねる。
どうもこうも。という正直かつ投げやりな感想を、柴はのみ込んだ。
「うーん……」
柴は、もっともらしく聞こえる賛辞を探しながら、心の中にはツッコミが渦巻いていた。
いきなり峠って。
病人の部屋に椿って。
サナトリウムなのに、点滴に繋がれまくりって。
折れそうにか弱ってる真白木さんって。
だいたい、作中の真白木さんの病名って何?
――などなど、挙げ始めるとキリがない。
「そもそも、医者が患者を救えない理由に『ヒマがない』って……あっ」
思わず言葉に出してしまった柴は、あわてて自分の口を押さえた。
「けど、佐渡ならこういうこと言いかねないだろ?」
そんな柴の様子を気にすることなく、小城は真剣な顔で柴を見つめてくる。
「……そうだな」
小城の表情に押されただけでなく、あいすのそんな言動は容易に想像がつき、柴は本心からうなずいた。
「でも、それがあいすちゃんのいいところだろうが」
「そうかなあ?」
「あーあ、これだから女きょうだいのいないヤツは……って、真白木さんっ?」
てっきり小城だけを会話の相手にしていると思っていた柴は、突然の真白木登場に驚く。真白木は、小城の書いた原稿のミスコピーを握り締めていた。
「小城、これ、お前が書いたのか?」
「あ、はい、そうっすけど」
「でかした! こんなにあいすちゃんの魅力が凝縮されてるなんて……」
真白木は涙ぐんでさえいる。柴は戸惑った表情で、小城に耳打ちした。
「お前、そういうつもりだったのか?」
小城は首を振る。
「まさか。だってオレは、真白木さんと阿久津を、せめて話の中で……」
「独占欲が強いのに、素直になれないあいすちゃんの可愛さが爆発してるじゃねーか! 小城、お前天才だな!」
舎弟2名の困惑をよそに、真白木は熱く語った。
「小城、これをオレにくれないか?」
「それはかまわないっすけど、まだ途中……」
「オレはいい後輩を持ったぞ、サンキューな!」
「……真白木さん、上機嫌で行っちゃったよ」
真白木の後ろ姿を見送りながら、柴が呟く。
「きっとカムフラージュだよ……オレ、がんばらなきゃ」
小城は顔を赤らめつつ、拳を握りしめた。