セビリアの剣
目が回るような人の量に、プロイセンは周囲をきょろきょろと見回す。こんなに活気が溢れる港を見たのは初めてだ。さすがは世界中に自分の庭を持つスペイン王国。あちこちの大陸から集めてきた膨大な量の貿易品がこの港に集まってきているんだろう。
「すげぇ……」
舷梯から降りると、プロイセンは乗ってきた船から離れ眩しい太陽に照らされたセビリア港に着地した。足取り軽くそのまま港町に向かって歩き出す。
後ろを振り向くと並んでいるのは見た事が無いような大きな船だ。それが幾つも。内海でなく外海へ飛び出していく船なんだから大きくて頑丈なのは当然だろうが、海に出る事がないプロイセンにはどれも物珍しい。
あまりきょろきょろしていると田舎者だと思われてしまう。と思ったが、そんな奴は少なくないようだ。新大陸でひと稼ぎしようと思う男達が欧州のあちこちからここへ集まってきているんだろう。
「よし、予定通りだな」
太陽は真上から港町を照らしている。スペインに前もって連絡しておいた到着日とぴったりだ。船の速度は風次第、正確な所は船乗りにも分からない。晴天に恵まれたのはやっぱり日頃の行いがいいからだろう。スペインが住んでいるのはここから少し川上に行った所だと聞いた。ほどなく久し振りに彼の顔が見れるはずだ。
逞しい船乗りや商人に混じって、十字が刺繍された黒衣に身を包んだいかにも教会関係者といった様子のプロイセンは目を引いた。とはいえ喧騒の港は余所者だらけで、それぞれ自分のやるべき事に忙しい。元々珍しい色彩に生まれついて人目を引く事に慣れているプロイセンは、あまり気にせず通りの看板を眺めていく。
とりあえず宿を探してスペインに居場所を伝える手紙を出し、そこで待っていればそのうち彼が迎えを寄越してくれるだろう。
お前んちが見てみたい、とプロイセンが言ったら、スペインは嬉しそうに笑って、おいでと招いてくれた。いい所やで、きっとプーちゃんも気にいるわ、と。
おおらかに笑う彼と同じように、この港も明るい。
早く会いたい。そう思うが、まずは宿を探すのが先だ。プロイセンは慣れない港町をぐるぐると回るが、どうも勝手が分からない。
「この辺でいい宿を知らないか?」
ここで働いている奴なら詳しいだろうか。プロイセンは途中で擦れ違った体格のいい船乗りらしき男に適当に話しかける。
相手はプロイセンのこの辺りにはあまり無い容貌や装束を見て少し怪訝そうな顔をしたが、旅行者だと認識されたのかすぐに明るい笑顔になった。
長い事生きているがまだ国としてしっかりとした基盤を持っていないプロイセンは、はた目からは幼さを濃く残す少年にしか見えない。この辺りの住人で無い事はひと目でわかるだろうが、警戒されるという事はそうないだろう。
「そうだな、俺の知り合いがやってる宿を紹介してやろうか」
「まじで?」
すぐに返って来た答えにプロイセンは機嫌よく笑う。やった。俺様やっぱり日頃の行いがいいんだな。
こっちだ、と先を歩く男にプロイセンは軽い足取りでついてく。どうやら彼はセビリアに詳しいらしい。見慣れない街並みの珍しさにちょくちょく足を止めてしまうプロイセンと違って道の歩き方に迷いが無い。時折きちんと付いて来いというように振り向いてくれるのが、よりプロイセンのお気に召した。
身内なんだろう、大きな建物の裏口に回りそこで足を止めると、男はそこでドアを叩く。
「へぇ、綺麗な店だな。俺あんまり金持ってねぇんだけど」
「心配するこたねぇよ、ほら入りな」
「へぇ、そりゃ有難いぜ!」
しまった、と高級そうな建物に足を踏み入れてしまってからプロイセンは思った。何せいつも人当たりのいい笑顔を浮かべているスペインの国だからそこに住んでいる人達も彼みたいなものだろうと油断していた。よくよく考えたらスペインだってそう誰に対しても笑顔を振りまいている訳ではないだろう。
プロイセンは彼にとって特に敵でも味方でも無い、悔しいがほとんど眼中に入らない程度の小国だからこそ、ただの年下の子供に対してするように可愛がって貰っている。だから彼の別の顔を見る機会は無いが、けれどいつも笑っているばかりの男では無い事くらいは知っている。
だというのに、ここが彼の国だと思ってすっかり気を緩めてしまっていた。
建物の中の雰囲気が悪い。その場にいた男達に値踏みするような目で見られてプロイセンは笑顔を引っ込めた。プロイセンをここまで案内してくれた船乗りに進めと促すように背中を軽く押されて、建物の奥から出てきた偉そうな男の前に立たされる。
「いいガキ連れて来ましたよ、どうです」
目の前の男はプロイセンを見て嫌な笑みを浮かべた。やっぱりそういう種類の店なのか。こんなに賑やかな港町なのだから、そういう手合いもいるだろう。話しかける相手を間違えた。せっかく長旅をしてここまで来たっていうのに、最初からついてない。
部屋の中には数人の屈強な男。護身用の小刀なら持っているし喧嘩にも慣れている、いざとなったらなんとかできない事は無いと思う。
しかし彼らは自分をここに招いてくれたスペインの国民だ。できれば手を出したくは無い。
重い靴音をたてて近づいてきた男が、プロイセンの顔を確かめるように顎に手を掛けた。ぐいと顔を上げさせられる。
「キレイなガキだ。高く売れるだろうよ」
さすが俺様、どこから見てもカッコいいぜ。褒められたのは嬉しいが、がさがさした手で頬を撫でられるのは全く嬉しくない。しかも不快なにやにや笑い付きだ。この扱いには多少ムカつくが、大人しい子供だと思われていけばそのうちどこかに逃げられる隙があるだろう。とりあえず大人しくしておけばいいはずだ。
「奥の部屋に連れてけ」
この中では高い立場にいるらしい男がプロイセンの顔から手を離すと、正面にある扉を指さす。了解の返事をした男がプロイセンの腕に手を伸ばした。
「自分で歩けるって」
わざわざ子供のように手を引かれて連れていかれる事も無い。こっちへ来い、と腕を取ろうとした男を断って、プロイセンは示された扉に向かった。まぁいいだろ、と男がここまで来た時と同じようにプロイセンの先に立って、ドアノブに手を掛ける。
「プーちゃん!!」
けれどその時唐突に裏口の扉が開いた。プロイセンが向かっていたのとは真反対の、外へ出る扉だ。自分の名前を呼ばれてプロイセンは驚いて振り向く。そしてそこに息を切らせたスペインが立っていて、もう一度驚いた。どうしてここに。彼らと知り合いなんだろうか。
「あぁ、よく俺がここにいるって分かったな」
「今日着くって言ってたやろ! 港で待っとったら、プーちゃんらしいかわええ子が怪しいのに付いてどっか行ってしもうたって聞いて、慌てて追っかけて来たとこや!」
「そっか、思ったより早く会えて良かったぜ!」
まさか待ってくれていたとは思わなかった。プロイセンはくるりと方向転換してスペインの元へ走る。が、すぐ近くにいた男に二の腕を掴まれて止められてしまった。自分の倍くらいありそうな太い腕に強く握られては離れるのはちょっと難しい。
「すげぇ……」
舷梯から降りると、プロイセンは乗ってきた船から離れ眩しい太陽に照らされたセビリア港に着地した。足取り軽くそのまま港町に向かって歩き出す。
後ろを振り向くと並んでいるのは見た事が無いような大きな船だ。それが幾つも。内海でなく外海へ飛び出していく船なんだから大きくて頑丈なのは当然だろうが、海に出る事がないプロイセンにはどれも物珍しい。
あまりきょろきょろしていると田舎者だと思われてしまう。と思ったが、そんな奴は少なくないようだ。新大陸でひと稼ぎしようと思う男達が欧州のあちこちからここへ集まってきているんだろう。
「よし、予定通りだな」
太陽は真上から港町を照らしている。スペインに前もって連絡しておいた到着日とぴったりだ。船の速度は風次第、正確な所は船乗りにも分からない。晴天に恵まれたのはやっぱり日頃の行いがいいからだろう。スペインが住んでいるのはここから少し川上に行った所だと聞いた。ほどなく久し振りに彼の顔が見れるはずだ。
逞しい船乗りや商人に混じって、十字が刺繍された黒衣に身を包んだいかにも教会関係者といった様子のプロイセンは目を引いた。とはいえ喧騒の港は余所者だらけで、それぞれ自分のやるべき事に忙しい。元々珍しい色彩に生まれついて人目を引く事に慣れているプロイセンは、あまり気にせず通りの看板を眺めていく。
とりあえず宿を探してスペインに居場所を伝える手紙を出し、そこで待っていればそのうち彼が迎えを寄越してくれるだろう。
お前んちが見てみたい、とプロイセンが言ったら、スペインは嬉しそうに笑って、おいでと招いてくれた。いい所やで、きっとプーちゃんも気にいるわ、と。
おおらかに笑う彼と同じように、この港も明るい。
早く会いたい。そう思うが、まずは宿を探すのが先だ。プロイセンは慣れない港町をぐるぐると回るが、どうも勝手が分からない。
「この辺でいい宿を知らないか?」
ここで働いている奴なら詳しいだろうか。プロイセンは途中で擦れ違った体格のいい船乗りらしき男に適当に話しかける。
相手はプロイセンのこの辺りにはあまり無い容貌や装束を見て少し怪訝そうな顔をしたが、旅行者だと認識されたのかすぐに明るい笑顔になった。
長い事生きているがまだ国としてしっかりとした基盤を持っていないプロイセンは、はた目からは幼さを濃く残す少年にしか見えない。この辺りの住人で無い事はひと目でわかるだろうが、警戒されるという事はそうないだろう。
「そうだな、俺の知り合いがやってる宿を紹介してやろうか」
「まじで?」
すぐに返って来た答えにプロイセンは機嫌よく笑う。やった。俺様やっぱり日頃の行いがいいんだな。
こっちだ、と先を歩く男にプロイセンは軽い足取りでついてく。どうやら彼はセビリアに詳しいらしい。見慣れない街並みの珍しさにちょくちょく足を止めてしまうプロイセンと違って道の歩き方に迷いが無い。時折きちんと付いて来いというように振り向いてくれるのが、よりプロイセンのお気に召した。
身内なんだろう、大きな建物の裏口に回りそこで足を止めると、男はそこでドアを叩く。
「へぇ、綺麗な店だな。俺あんまり金持ってねぇんだけど」
「心配するこたねぇよ、ほら入りな」
「へぇ、そりゃ有難いぜ!」
しまった、と高級そうな建物に足を踏み入れてしまってからプロイセンは思った。何せいつも人当たりのいい笑顔を浮かべているスペインの国だからそこに住んでいる人達も彼みたいなものだろうと油断していた。よくよく考えたらスペインだってそう誰に対しても笑顔を振りまいている訳ではないだろう。
プロイセンは彼にとって特に敵でも味方でも無い、悔しいがほとんど眼中に入らない程度の小国だからこそ、ただの年下の子供に対してするように可愛がって貰っている。だから彼の別の顔を見る機会は無いが、けれどいつも笑っているばかりの男では無い事くらいは知っている。
だというのに、ここが彼の国だと思ってすっかり気を緩めてしまっていた。
建物の中の雰囲気が悪い。その場にいた男達に値踏みするような目で見られてプロイセンは笑顔を引っ込めた。プロイセンをここまで案内してくれた船乗りに進めと促すように背中を軽く押されて、建物の奥から出てきた偉そうな男の前に立たされる。
「いいガキ連れて来ましたよ、どうです」
目の前の男はプロイセンを見て嫌な笑みを浮かべた。やっぱりそういう種類の店なのか。こんなに賑やかな港町なのだから、そういう手合いもいるだろう。話しかける相手を間違えた。せっかく長旅をしてここまで来たっていうのに、最初からついてない。
部屋の中には数人の屈強な男。護身用の小刀なら持っているし喧嘩にも慣れている、いざとなったらなんとかできない事は無いと思う。
しかし彼らは自分をここに招いてくれたスペインの国民だ。できれば手を出したくは無い。
重い靴音をたてて近づいてきた男が、プロイセンの顔を確かめるように顎に手を掛けた。ぐいと顔を上げさせられる。
「キレイなガキだ。高く売れるだろうよ」
さすが俺様、どこから見てもカッコいいぜ。褒められたのは嬉しいが、がさがさした手で頬を撫でられるのは全く嬉しくない。しかも不快なにやにや笑い付きだ。この扱いには多少ムカつくが、大人しい子供だと思われていけばそのうちどこかに逃げられる隙があるだろう。とりあえず大人しくしておけばいいはずだ。
「奥の部屋に連れてけ」
この中では高い立場にいるらしい男がプロイセンの顔から手を離すと、正面にある扉を指さす。了解の返事をした男がプロイセンの腕に手を伸ばした。
「自分で歩けるって」
わざわざ子供のように手を引かれて連れていかれる事も無い。こっちへ来い、と腕を取ろうとした男を断って、プロイセンは示された扉に向かった。まぁいいだろ、と男がここまで来た時と同じようにプロイセンの先に立って、ドアノブに手を掛ける。
「プーちゃん!!」
けれどその時唐突に裏口の扉が開いた。プロイセンが向かっていたのとは真反対の、外へ出る扉だ。自分の名前を呼ばれてプロイセンは驚いて振り向く。そしてそこに息を切らせたスペインが立っていて、もう一度驚いた。どうしてここに。彼らと知り合いなんだろうか。
「あぁ、よく俺がここにいるって分かったな」
「今日着くって言ってたやろ! 港で待っとったら、プーちゃんらしいかわええ子が怪しいのに付いてどっか行ってしもうたって聞いて、慌てて追っかけて来たとこや!」
「そっか、思ったより早く会えて良かったぜ!」
まさか待ってくれていたとは思わなかった。プロイセンはくるりと方向転換してスペインの元へ走る。が、すぐ近くにいた男に二の腕を掴まれて止められてしまった。自分の倍くらいありそうな太い腕に強く握られては離れるのはちょっと難しい。