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オージーボカン 風雲ハリウッドヒルズ

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 手から出た何かで。
「…」

 ペットボトルを掴んだまま、しばしトビーは固まった。
 思い返す。
 あのアルファロメオにキャデラック。変な男達。そして彼らの言っていた、ダイナモンゲに、それを生成させるというアクターズクリスタル。
 自分の体から奪われた『スパイダーマン』のクリスタルは、あれから…


「母さん、誤解だって。なんでそんなとこしか聞いてないんだよ…」とレオの蚊の鳴くような声が聞こえ、トビーは自分の手の平をじっと見ながら思った。


「こんな展開にする脚本は即断る…!」と。











 セントラルロンドン。
 新たに改装を加えた、今一番お気に入りの自宅アパートメントの、さらに改造された地下のホール(ちなみに照明の色はヴァイオレット)にて、ルパートが我に返った時、事は全て終わり、車はここに着いたばかりだった。

 首尾を聞くと、コリンが答えた。
「逃げ切った」と。
「『スパイダーマン』のクリスタルをヒューから受け取った君をそのまま乗せて、オージー達の攻撃を避けて撤退した。君が持っているはずだ」
 そう言ったコリンの目がルパートのジャケットの胸元を示したのと、確かにそこへ入れた覚えもあったので、ルパートは内ポケットを探ってみた。そして、青ざめた。
「…ない!」
「なんだって?」
「おかしいな…ここに入れたはず…」
 ルパートがジャケットを脱ぎ、上下に引っくり返す勢いで調べても、クリスタルは欠片さえも見つからなかった。
 うなだれるルパートの耳元に、助手席からコリンが静かに畳み掛けた。
「転んだ時に掏られたな」
「え?」
「君が脚を引っ掛けられた、あの時だ。彼らもさすがに役者だな」
「…っ!鼻は痛むし、もう散々だ…!」
「君も悪いんだ。詰めが甘すぎる」
「でもコリン!」
「また探せばいい。クリスタルは俳優の数より多いはずだ」
 コリンが皮肉めいたバリトンで囁くと、やがてルパートは、それもそうだと頷いた。
「散々だったのは今回だけだ。この間は君のおかげで手に入ったしね」
 黒曜石のように輝くクリスタル『ウルヴァリン』。
 それが、自分達の手の内にあるという姿を思い描くだけでも、心は目的に近づく喜びに満ちるというものだ。 
「また一緒に取りに行けばいい。取られる役者には気の毒だが」
「コリン!なんだよ、乗り気じゃないか!そうだね、役者なんて星の数ほどいるんだから…悲しくもうれしいことにね!その中から良心が咎めないのを選べばいいよ。トムとかどう?」
「それはここでは言えないな」
 コリンの返事にひとしきり笑った後、気を取り直したルパートはふと、ハンドルを握りながら黙りこんでるヒューの背中が目に入った。
 いつもだったら、なにか言ってくる人間が沈黙しているのは奇妙なものだ。
 サイドミラー越しに映ったヒューの眉間は何か考え事をしているのと、うんざりしているの中間あたりを指しているように思えた。
「ヒュー、垂れ目が進むよ」
「垂れ目は病気じゃない。心配には及ばない」
 ルパートのいつもの揶揄に即答して、ヒューはコリンをちらりと見た。コリンもヒューに視線を返した。
「それで」
 ヒューは二人に尋ねた。心底嫌そうな顔で。
「クルーズの住所に心当たりは?」














 
戦いで傷ついたマグワイア邸の庭の芝を、改造されたアルファロメオの持つ地場復元光線で元に戻したデイジーとヒューは、レオとトビーが気を失っているうちに、その場を後にした。
 不思議な力を持つアルファロメオは道ならぬ道を走り、ヒューの元いた場所へと辿り着く。
 
 その間、二人は何の言葉も交わさなかった。
交わせずにいた。
 車を止めた時に初めてハンドルを握っていたデイジーは「ヒュー」と呼んで、助手席のヒューを振り返った。
 彼が、瞬間、身構えたのがわかった。
「おれになにか隠していることがあるんじゃないか?」
「そんなことないよ、どうしたの?」
「クリスタルが…」
 のどの奥、あえて考えようとしなかった心の奥からまだ形を知らない痛みの元を搾り出すかのようにデイジーの言葉は続いた。
「あいつが『スパイダーマン』のクリスタルを返す前に言っていたこと、『ウルヴァリン』に関係があるんじゃないのか?それに今日わかった。お前の力が落ちてる。疲れやすくなっていたりするんじゃないか?」
「それは…やっぱりこのごろ仕事が立て込んでるからじゃないかな?」
「ヒュー、誤魔化さなくていい。明らかにクリスタルを抜かれてからの変化だ。うかつだった、そんな副作用があったなんて」
「違うよデイジー」
「違わない。お前はおれをなじってくれたっていいんだ!」
 ヒューの目が大きく見開かれた。
 デイジーの目に映ったヒューは驚いた顔をしていた。そしてそのヒューの目が、泣き出しそうな色を浮かべたと一瞬だけ思った。
 一瞬だけだったのは次の瞬間には腕を掴んで抱き寄せられ、ヒューの腕にくるまれていたからだ。
「…やっぱり違うよ、違うんだ」
「ヒュー…」
「おれのクリスタルのことはデイジーが気に病むことなんかないんだ。今日の力が落ちた原因は、もっと別のことなんだよ。これだけは確かに言えるよ」
 まるで溺れる人間の必死さでヒューはデイジーを抱きしめた。そして、同時に救う腕の優しさをデイジーはヒューの腕に感じた。
 デイジーの手はやがてヒューの背中に回されて、手の平でヒューの背を撫ぜた。
「今は話せなくてもいい。でもいつか話してくれ。クリスタルを取り戻した後ででも」
「…うん、そうだね…」
「約束する。おれがあいつらから絶対に取り戻してみせるから」
 


 でも、その後に、話す時間はあるのだろうか。
 こうしてふたりでいられる時間は?
 このクリスタルを集め、夢が叶えられたら、その時デイジーは自分と一緒にいるのだろうか?
 ヒューは考える。暗い影が忍び寄る。

 あのクリスタル『ウルヴァリン』を奪われたのは自分の力が及ばなかったからだ。でも代わりにデイジーを助けられたことはヒューにとって救いだった。
 その時は考えもしなかった。
 でも今は。
 あの救いを自分の影が違うものに変えていく。
デイジーが自分と一緒にいるための枷にしていく。
 そして、その枷を断ち切れず、迷いは増幅し、膨張する。クリスタルが得られる機会が伸びるほど、自分とデイジーの旅は続く。英国人たちに勝ち、終わってしまうことを恐れる。
 それはデイジーへの裏切りなのに。
 

 あの英国人は自分の迷いを見透かしたのだ。



「ヒュー、大丈夫だ。だから…」
 どうしてデイジーはなにも知らないんだろう。なにも知ってはくれないのだろう。
 だからこんなにもこの手は優しいのだろうか。
 もしそうなら、自分が話せることなんて何もないのだ。




 ヒューはデイジーを抱き締めた。
 応えてくれるデイジーの手。今は髪を撫でてくれる。
 デイジーを抱きしめた。
ただただ、抱き締めて、この永遠が終わる時間だけを怖れていた。