真夏に悪い夢を見る
なんだかとても疲れた。
三人で出かけるといつもそうだ。
幼なじみは元気いっぱいに動き回り、紅一点の女の子は見かけと違い体力がある。
僕一人だけがひ弱で、いつも先を行く二人後をついて回っていた。
ひぃひぃと待ってよう。と、口に出しながらへとへとと歩けば、立ち止まった二人の笑い声が聞こえる。
もう笑わないでよう。
一生懸命歩いているんだから、遅くたって、へばってたって、進んでいるんだから…………
帰りの車内。僕はうとうとと親友の肩に凭れていた。二人の笑い声が聞こえる。そして、しー、と彼女が指を立てた。
子供みたいだとは思うけど、電車に乗っていると眠くなるんだ。
それに、とても、とても疲れたんだ。眠い、そんな言葉も紡げないほど意識は深く沈んでいった。
カタカタと眠りにさそう電車の揺れが身体を包んでいた。
◇◆◇◆◇◆◇
「あれ? ここは」
ゆっくりと帝人は瞼を開けると、薄暗い車の室内だった。頭に硬い何かがあたり、しっとりとした他人の温もりを感じる。誰、と知覚する前にその人物は言葉を発した。
「起きましたか? 先輩」
その声は今は聞き慣れてしまった青葉のモノで、帝人はのその声に安堵よりも寂しさを感じた。もはや、懐かしいとすら感じる夢の中の二人の声だけが、彼に安らぎを与えてくれる。夢の中でだけ…………
「此処は、いつもの病院の駐車場ですよ」
「みんなは?」
「先に看て貰ってます。先輩、よく眠っていましたから」
「起こしてくれればよかったのに」
そう身体を青葉の肩から離せば、全身にずきりと痛みが襲った。その苦痛が、あれが夢ではなく現実だと思い知らされる。
「気持ちよさそうでしたよ」
「えっ、なんだか恥ずかしいなあ」
ずっと青葉に寝顔を見られていたのかと思うと、なんだか気恥ずかしく帝人は顔を伏せた。
「夢、見てましたね」
そう続けた青葉の一言に帝人はコクリと頷いた。
「うん、夢を見ていた。さっきの、正臣も夢の続きかもって思ったけど……」
所々傷付いた身体を青葉に見せながら、その怪我がそれは現実だと告げている。
「よく見るんだ、夢。こんなことあったらいいなぁってこと、よく見るんだ」
それは語りかけているというよりは、独り言を繰り返している、いや、帝人自らに語りかけているようだった。
「あんなタイミングで現れるんだもん、夢だと思うよ、ね」
そう、呟き懐かしむように目を瞑る帝人を見つめながら、青葉は唇を噛みしめた。鈍い鉄の味が口内に広がる。
あの時。初めての対面で青葉は勝利を確信した。いざ、出会ってしまえば帝人の心は揺らぐのではないかと考えていた。でも、伸ばされたその手を自ら彼が払った時に、全ては自分の計画通りなのだと確信した。なのに、全ては思うとおりなのに、何故か今の帝人の言葉が青葉を掻き立てる。
「今だって、充分夢みたいじゃないですか?」
今の帝人は自らが好きだと言った非日常の世界に身を置いているのだ。かつての彼から見れば、今だって夢のような世界だ。違う。夢ならばいいと思う世界のはずだ。
なのに、その言葉に先程とは違う。いつもの、普段通りの笑みを浮かべて帝人は言った。
「なに言ってるの青葉君、れは現実じゃないか」
ぼろぼろの身体を見ながら帝人は言う。痛みが帝人を引き戻すのか、それとも、そういえば、帝人が痛いとも、助けて欲しいとも口に出したことがなかったことに気がついた。
青葉を惹き付けて、惹き付けてやまない笑みで、帝人は言う。
「これは夢なんかじゃない」
そう笑っていた。心の底から笑っていた。まるで、今も愉しんでいるかのように、でもその心に何も芽生えてないことを青葉は理解している。
彼が何かを感じる部分は全てそぎ落としてしまった。いや、環境に対応するために、彼自らが麻痺させたのかもしれない。
襲撃を繰り返しながら、帝人がその後に吐いているところを青葉はたまたま見かけてしまった。誰も居なくなってから、静かに吐いていたのだと思うと、それからはずっと彼の側を離れなかった。
介抱という名目で、彼の心を蝕ませた。平気に、まるで日常の中で軽く何かを頼むくらいに、軽薄に相手の削除を願うこの人が、人知れずその呵責に襲われながらその身と心を責めていたのがたまらなかった。
あの時も、いっさいの遠慮もなく、慈悲もなく、青葉の掌を貫いた後もこうして一人苦しんでいたのだろうか、それを隠していたのかと思うと、青葉の心がざわめきたつ。
少しづつ、少しづつ、彼から一人の時間を奪っていった。少しづつ掛け違い、その心と体を守る為に、帝人はどんどんこの歪みに適応し、それを日常として受け入れてしまう。
何を持ってしてもこの人は受け入れてしまうのではないか、そう青葉は感じることがある。
だからこそ、自分達が泳ぐべき海は此処だと決めたのだ。
なのに、扱い易いと思っていた性格は、そう簡単には御せないモノだった。ならば、彼を知らなければ為らぬと、その姿を知れば知るほど、帝人という深淵を覗き見る。光さえ届かぬ、色のないその水は、本当に深いのかすら解らない。ただ、光が届かないというだけであって、もとより浅瀬だったのかも知れない。
結局、何も見えぬまま青葉達は浅瀬で身を削りながら干上がっていくのか、それとも黒く視界すらもない深海の中を行くのかそれすらも解らずにいる。
ただ、住み着いたサメ達にはもはや逃れる手段もなく、そして青葉も自らの判断に狂いはないと信じている。
たった一つの誤算があるとすれば、横に座る彼の狂気ただ一つだ。だが、それは喜ばしい誤算でもある。
「差し詰め、次に夢で見るのは折原臨也ですか?」
あの厭らしい、憎き仇敵の名を帝人は心の底から信頼しその名を呼ぶことがある。その耳障り名を聞く度に、心中には苦い思いしか込み上げてこない。演じることは得意であるはずなのに、その名を聞いた瞬間取り繕うことすら出来なくなる。忌々しい名前だ。
「えっ、折原さん?、あの人は夢って感じしないな……」
微睡むような声が、夢見心地に憎い男名を口に出す。不可解感に歪む顔を見せたくなくて、青葉は横を向けば窓ガラスに醜く歪んだ己の表情が見えた。
「どこに現れても、不自然には思えないから、今だってこのドア叩いていてもおかしくないよ。折原さんは…………」
そう呟く帝人の顔は、いつもの笑みとは違う表情が、苦虫を噛みしめる青葉の横に写されている。
本当にこの人は何も知らないのだろうか、青葉いつももその疑念に捕らわれる。何故、あの男だけを疑うことをしないのかと、最も疑わしき相手を無心に信じているのかと、それが腹立たしくも、切なく思う。
青葉が帝人にされたように、また全てを知ったときに帝人は臨也に何を課すのだろうかと、願わくばその場面を見てみたいと青葉は思う。
「先輩も看て貰いに行きましょうか」
このまま此処にいては、また彼は眠りについてしまいそうだった。
苦痛の声すら上げずに、ただ笑う男は眠りを得ることが、唯一の逃れる手段だ。
「あっ、うん。ありがとう、青葉君」
三人で出かけるといつもそうだ。
幼なじみは元気いっぱいに動き回り、紅一点の女の子は見かけと違い体力がある。
僕一人だけがひ弱で、いつも先を行く二人後をついて回っていた。
ひぃひぃと待ってよう。と、口に出しながらへとへとと歩けば、立ち止まった二人の笑い声が聞こえる。
もう笑わないでよう。
一生懸命歩いているんだから、遅くたって、へばってたって、進んでいるんだから…………
帰りの車内。僕はうとうとと親友の肩に凭れていた。二人の笑い声が聞こえる。そして、しー、と彼女が指を立てた。
子供みたいだとは思うけど、電車に乗っていると眠くなるんだ。
それに、とても、とても疲れたんだ。眠い、そんな言葉も紡げないほど意識は深く沈んでいった。
カタカタと眠りにさそう電車の揺れが身体を包んでいた。
◇◆◇◆◇◆◇
「あれ? ここは」
ゆっくりと帝人は瞼を開けると、薄暗い車の室内だった。頭に硬い何かがあたり、しっとりとした他人の温もりを感じる。誰、と知覚する前にその人物は言葉を発した。
「起きましたか? 先輩」
その声は今は聞き慣れてしまった青葉のモノで、帝人はのその声に安堵よりも寂しさを感じた。もはや、懐かしいとすら感じる夢の中の二人の声だけが、彼に安らぎを与えてくれる。夢の中でだけ…………
「此処は、いつもの病院の駐車場ですよ」
「みんなは?」
「先に看て貰ってます。先輩、よく眠っていましたから」
「起こしてくれればよかったのに」
そう身体を青葉の肩から離せば、全身にずきりと痛みが襲った。その苦痛が、あれが夢ではなく現実だと思い知らされる。
「気持ちよさそうでしたよ」
「えっ、なんだか恥ずかしいなあ」
ずっと青葉に寝顔を見られていたのかと思うと、なんだか気恥ずかしく帝人は顔を伏せた。
「夢、見てましたね」
そう続けた青葉の一言に帝人はコクリと頷いた。
「うん、夢を見ていた。さっきの、正臣も夢の続きかもって思ったけど……」
所々傷付いた身体を青葉に見せながら、その怪我がそれは現実だと告げている。
「よく見るんだ、夢。こんなことあったらいいなぁってこと、よく見るんだ」
それは語りかけているというよりは、独り言を繰り返している、いや、帝人自らに語りかけているようだった。
「あんなタイミングで現れるんだもん、夢だと思うよ、ね」
そう、呟き懐かしむように目を瞑る帝人を見つめながら、青葉は唇を噛みしめた。鈍い鉄の味が口内に広がる。
あの時。初めての対面で青葉は勝利を確信した。いざ、出会ってしまえば帝人の心は揺らぐのではないかと考えていた。でも、伸ばされたその手を自ら彼が払った時に、全ては自分の計画通りなのだと確信した。なのに、全ては思うとおりなのに、何故か今の帝人の言葉が青葉を掻き立てる。
「今だって、充分夢みたいじゃないですか?」
今の帝人は自らが好きだと言った非日常の世界に身を置いているのだ。かつての彼から見れば、今だって夢のような世界だ。違う。夢ならばいいと思う世界のはずだ。
なのに、その言葉に先程とは違う。いつもの、普段通りの笑みを浮かべて帝人は言った。
「なに言ってるの青葉君、れは現実じゃないか」
ぼろぼろの身体を見ながら帝人は言う。痛みが帝人を引き戻すのか、それとも、そういえば、帝人が痛いとも、助けて欲しいとも口に出したことがなかったことに気がついた。
青葉を惹き付けて、惹き付けてやまない笑みで、帝人は言う。
「これは夢なんかじゃない」
そう笑っていた。心の底から笑っていた。まるで、今も愉しんでいるかのように、でもその心に何も芽生えてないことを青葉は理解している。
彼が何かを感じる部分は全てそぎ落としてしまった。いや、環境に対応するために、彼自らが麻痺させたのかもしれない。
襲撃を繰り返しながら、帝人がその後に吐いているところを青葉はたまたま見かけてしまった。誰も居なくなってから、静かに吐いていたのだと思うと、それからはずっと彼の側を離れなかった。
介抱という名目で、彼の心を蝕ませた。平気に、まるで日常の中で軽く何かを頼むくらいに、軽薄に相手の削除を願うこの人が、人知れずその呵責に襲われながらその身と心を責めていたのがたまらなかった。
あの時も、いっさいの遠慮もなく、慈悲もなく、青葉の掌を貫いた後もこうして一人苦しんでいたのだろうか、それを隠していたのかと思うと、青葉の心がざわめきたつ。
少しづつ、少しづつ、彼から一人の時間を奪っていった。少しづつ掛け違い、その心と体を守る為に、帝人はどんどんこの歪みに適応し、それを日常として受け入れてしまう。
何を持ってしてもこの人は受け入れてしまうのではないか、そう青葉は感じることがある。
だからこそ、自分達が泳ぐべき海は此処だと決めたのだ。
なのに、扱い易いと思っていた性格は、そう簡単には御せないモノだった。ならば、彼を知らなければ為らぬと、その姿を知れば知るほど、帝人という深淵を覗き見る。光さえ届かぬ、色のないその水は、本当に深いのかすら解らない。ただ、光が届かないというだけであって、もとより浅瀬だったのかも知れない。
結局、何も見えぬまま青葉達は浅瀬で身を削りながら干上がっていくのか、それとも黒く視界すらもない深海の中を行くのかそれすらも解らずにいる。
ただ、住み着いたサメ達にはもはや逃れる手段もなく、そして青葉も自らの判断に狂いはないと信じている。
たった一つの誤算があるとすれば、横に座る彼の狂気ただ一つだ。だが、それは喜ばしい誤算でもある。
「差し詰め、次に夢で見るのは折原臨也ですか?」
あの厭らしい、憎き仇敵の名を帝人は心の底から信頼しその名を呼ぶことがある。その耳障り名を聞く度に、心中には苦い思いしか込み上げてこない。演じることは得意であるはずなのに、その名を聞いた瞬間取り繕うことすら出来なくなる。忌々しい名前だ。
「えっ、折原さん?、あの人は夢って感じしないな……」
微睡むような声が、夢見心地に憎い男名を口に出す。不可解感に歪む顔を見せたくなくて、青葉は横を向けば窓ガラスに醜く歪んだ己の表情が見えた。
「どこに現れても、不自然には思えないから、今だってこのドア叩いていてもおかしくないよ。折原さんは…………」
そう呟く帝人の顔は、いつもの笑みとは違う表情が、苦虫を噛みしめる青葉の横に写されている。
本当にこの人は何も知らないのだろうか、青葉いつももその疑念に捕らわれる。何故、あの男だけを疑うことをしないのかと、最も疑わしき相手を無心に信じているのかと、それが腹立たしくも、切なく思う。
青葉が帝人にされたように、また全てを知ったときに帝人は臨也に何を課すのだろうかと、願わくばその場面を見てみたいと青葉は思う。
「先輩も看て貰いに行きましょうか」
このまま此処にいては、また彼は眠りについてしまいそうだった。
苦痛の声すら上げずに、ただ笑う男は眠りを得ることが、唯一の逃れる手段だ。
「あっ、うん。ありがとう、青葉君」