秘恋
心地よい春の昼すぎ、はとりはやることもなくぼんやりと外をみていた。
普段ならば体の弱い当主の面倒をみているのだが、今日はどうやら調子がいいらしい。
本でも買いに行くか・・・・。
はとりは白衣を脱ぐと少しまよって春物のコートを手に部屋をでた。
春の暖かい日差しにやわらかい風。
ふらふらと歩きたい気分ではあるが、本屋までは遠い。
はとりは窓をあけて車をはしらせた。
最新の医学本に新薬の本・・・。それに遺伝子工学の本も・・・・・。
と、彼は専門書コーナーを渡り歩き3冊を手に取る。
すべてハードカバーで英文と日本語が半々といったような本だ。
図もたくさんのっているが、それは素人からみたら化学方程式のようなものや数学の座標としかみえないようなもの。
凡人から見れば頭の痛くなるような本も、彼にしてみればいい暇つぶしといったところだ。
ざっと、小説のコーナーも見渡す。
するとそこには目立つところに並べられた“きりたにのあ”の新刊。
桜をあしらったカバーにはご丁寧に店員の直筆のポップまでついている。
『━春風にさそわれ、君にさそわれ・・・━』
桜の木の下で見た『君』に心を奪われた僕。
17歳の僕が経験した切ない恋。
いま若い人に絶大な人気をほこる”のあ先生”の自信作!
単行本書き下ろしでどうどう発刊!
・・・・・
あの男はまたこんなものをかいていたのか・・・・
自分のことでもないのに頬があつくなるのをはとりは感じた。
見ると結構うれているようで、今も女子高生が本をとってレジへともっていった。
だからといって本をとる勇気は無い。
それに、だまっていてもあの男がもってくるだろう。多分・・・2・3冊。
それはそれでいいのだが、自分の本棚にこのピンク色の背表紙がならんでいるのを考えると少々欝になる。
はとりは頭をひとつふって気を取り直し、レジに向かおうとして少女が並んでいるのをみたとたん足がとまった。
その少女がふと横を向き、彼女の顔が見えた。
-ちがう・・・・-
何故か残念だと思いため息をつく自分に気付き驚く。
一体何を期待してたのだと。
何を・・・?
一瞬前のことがわからなくなる。
いま、自分は誰を思い出したのだろう?
佳菜?
いや、違う気がする・・・。
首をかしげながら、その少女の後ろへはとりはならんだ。
いくらみても思い出せない。
いま何かデジャブのような何かをかんじたというのに、その香りはすぐに通り過ぎ今は何も思い出せない。
ちょっとだけ残念な気持ちを抱く。
何かをつかみそこなったような、とてもいい夢を見たことは覚えているのにその内容を覚えていないというようなちょっとした苛立ち。
彼女が会計をすませ店の外へ出て行くまで彼は眼でおっていた。
「7250円になります。カバーはなさいますか?」
「いやいい・・・」
考えたところで仕方が無い。そのうち思い出すだろう。
だが、その答えは意外にはやく見つかる。
車を川べりにとめ、陽にあたって本でもよもうかと思っていたとき、さきほどの香りが実物となって彼の前に現れた。
川原の近くの公園にその人物がいた。
そのベンチに後ろ向きに座る制服姿の髪の長い小柄な少女。
一瞬足をとめ、川原へおりていくはずだった足を彼女の元へと向け歩き始めた。
あらためて見ると公園は桜でいっぱいだ。
彼女のまわりにもあたかも雪が降るように舞い散っている。
風がザァっとふき、舞い散る桜とともに彼女の髪もさらさらと風にそよぐ。
その様子に眼をほそめながら彼女の横にたち、声をかけた。
「なにをしている」
土曜ということもあり、昼に授業を終えた透は友人二人と買い物にでかけ、帰りにこの公園にたちよった。
満開の桜が綺麗でおもわず見とれてしまう。
桜は下をむいて花をつける。
たくさんの桜がこちらにいっせいに顔を向けて咲く。
つつましい桜色。ほのかに色づいたピンクの花が透は大好きだった。
「きっと幹が黒いから特に綺麗にみえるのですね」
暖かい日差しの中でその様子をみていると、公園の中央ほどで小学生だろう、男の子たちがおいかけっこをしていた。
まだ甲高い声をした男の子たちが桜など目に入らぬ様子で、夢中になって走り回っている。
それはとても、ほほえましい光景で背をベンチにもたれかけ見つめていると暖かな日差しについうとうととしてしまった。
やがて少し肌寒くなり、ぼんやり目をあけた透の目にとびこんできたのは、前方に長く伸びる二つの影。
昼間のそれよりも赤みのました陽の光。
「!!!た、たいへんです!!!」
あわてて立ち上がった、そしてふと気付く。
影が二つ・・・・?
「ようやく目が覚めたか・・・・」
あきれたような低い声に透が右隣を向くと、ベンチにタバコを片手に座っている男がいた。
「は・・・はとりさん!?」
透は目を見開いた。
「どうされたんですか?いつからいられたんですか?あ、いえ、いま一体何時なのでしょう?私すっかり寝入ってしまって・・・」
あたふたとする透をゆったりと見上げ、ひとつずつ答えることにする。
「桜の木の下に君がいるのが見えて近づいてみると君が寝入っていたので、目が覚めるまでとおもっていた。
ちなみに今は夕方の6時だ・・・。いつからというのは・・・・・」
言おうとしてふと戸惑う・・・まさか3時間も自分がそばにいたとはいいづらい・・・。
「それより、君は何時からいたのだ」
「えっと、2時半くらいですねぇ」
「そうか・・・・」
あきれたようなはとりの言葉に気付く。
「はっ・・・私・・・・3時間以上も眠ってしまっていたのですね!」
顔を真っ赤にして照れる彼女を見上げる。
はとりを見下ろす形になった透は何かに気付いたような顔をしてベンチに座りなおした。
「本をお買いになったんですね」
「あ・・・あぁ・・・」
川原で読むつもりが、こちらに足をむけたことによって忘れていた。
包装もとかないまま横において、桜と彼女だけをみて3時間も時間をつぶしていたことに気付く。
「その包装は、靴屋さんのおとなりのものですね」
「あぁ、そうだが・・・」
何がいいたいのか不審気な顔をするはとりに、彼女はかばんから、同じ包装紙につつまれた本をとりだして見せた。
「おそろいです」
なにがそんなに嬉しいのか、彼女は満面の笑みを浮かべて続ける。
「ごらんになりましたか?今日は紫呉さんの本の発売日だったのです!だから、早速購入してしまいました!」
そういってテープを丁寧にはがし中身を取り出す。
それは書店で見かけたピンクのカバーがかかった紫呉の本だ。
わざわざ買わなくても・・・と思うが、それが彼女のいいところなのだろう・・・。
自分が買うには恥ずかしい内容のようだが、彼女くらいの子には薄紅色のその本がよく似合う。
そういえば・・・と本のポップを思いだす。
”桜の木の下で見た『君』に心を奪われた僕。”
カッと赤くなったはとりを透は不思議そうに見つめた。
「どうかなされましたか・・・?はっ!まさかお風邪ではありませんか!?
大変です!春はまだ気温が不安定でお風邪を引きやすいのです!」
「いや・・・大丈夫だ・・・」
頬に手をあてるはとり。
「いえ、でも顔が赤いです!きっと熱がおありになるんじゃないですか?」
普段ならば体の弱い当主の面倒をみているのだが、今日はどうやら調子がいいらしい。
本でも買いに行くか・・・・。
はとりは白衣を脱ぐと少しまよって春物のコートを手に部屋をでた。
春の暖かい日差しにやわらかい風。
ふらふらと歩きたい気分ではあるが、本屋までは遠い。
はとりは窓をあけて車をはしらせた。
最新の医学本に新薬の本・・・。それに遺伝子工学の本も・・・・・。
と、彼は専門書コーナーを渡り歩き3冊を手に取る。
すべてハードカバーで英文と日本語が半々といったような本だ。
図もたくさんのっているが、それは素人からみたら化学方程式のようなものや数学の座標としかみえないようなもの。
凡人から見れば頭の痛くなるような本も、彼にしてみればいい暇つぶしといったところだ。
ざっと、小説のコーナーも見渡す。
するとそこには目立つところに並べられた“きりたにのあ”の新刊。
桜をあしらったカバーにはご丁寧に店員の直筆のポップまでついている。
『━春風にさそわれ、君にさそわれ・・・━』
桜の木の下で見た『君』に心を奪われた僕。
17歳の僕が経験した切ない恋。
いま若い人に絶大な人気をほこる”のあ先生”の自信作!
単行本書き下ろしでどうどう発刊!
・・・・・
あの男はまたこんなものをかいていたのか・・・・
自分のことでもないのに頬があつくなるのをはとりは感じた。
見ると結構うれているようで、今も女子高生が本をとってレジへともっていった。
だからといって本をとる勇気は無い。
それに、だまっていてもあの男がもってくるだろう。多分・・・2・3冊。
それはそれでいいのだが、自分の本棚にこのピンク色の背表紙がならんでいるのを考えると少々欝になる。
はとりは頭をひとつふって気を取り直し、レジに向かおうとして少女が並んでいるのをみたとたん足がとまった。
その少女がふと横を向き、彼女の顔が見えた。
-ちがう・・・・-
何故か残念だと思いため息をつく自分に気付き驚く。
一体何を期待してたのだと。
何を・・・?
一瞬前のことがわからなくなる。
いま、自分は誰を思い出したのだろう?
佳菜?
いや、違う気がする・・・。
首をかしげながら、その少女の後ろへはとりはならんだ。
いくらみても思い出せない。
いま何かデジャブのような何かをかんじたというのに、その香りはすぐに通り過ぎ今は何も思い出せない。
ちょっとだけ残念な気持ちを抱く。
何かをつかみそこなったような、とてもいい夢を見たことは覚えているのにその内容を覚えていないというようなちょっとした苛立ち。
彼女が会計をすませ店の外へ出て行くまで彼は眼でおっていた。
「7250円になります。カバーはなさいますか?」
「いやいい・・・」
考えたところで仕方が無い。そのうち思い出すだろう。
だが、その答えは意外にはやく見つかる。
車を川べりにとめ、陽にあたって本でもよもうかと思っていたとき、さきほどの香りが実物となって彼の前に現れた。
川原の近くの公園にその人物がいた。
そのベンチに後ろ向きに座る制服姿の髪の長い小柄な少女。
一瞬足をとめ、川原へおりていくはずだった足を彼女の元へと向け歩き始めた。
あらためて見ると公園は桜でいっぱいだ。
彼女のまわりにもあたかも雪が降るように舞い散っている。
風がザァっとふき、舞い散る桜とともに彼女の髪もさらさらと風にそよぐ。
その様子に眼をほそめながら彼女の横にたち、声をかけた。
「なにをしている」
土曜ということもあり、昼に授業を終えた透は友人二人と買い物にでかけ、帰りにこの公園にたちよった。
満開の桜が綺麗でおもわず見とれてしまう。
桜は下をむいて花をつける。
たくさんの桜がこちらにいっせいに顔を向けて咲く。
つつましい桜色。ほのかに色づいたピンクの花が透は大好きだった。
「きっと幹が黒いから特に綺麗にみえるのですね」
暖かい日差しの中でその様子をみていると、公園の中央ほどで小学生だろう、男の子たちがおいかけっこをしていた。
まだ甲高い声をした男の子たちが桜など目に入らぬ様子で、夢中になって走り回っている。
それはとても、ほほえましい光景で背をベンチにもたれかけ見つめていると暖かな日差しについうとうととしてしまった。
やがて少し肌寒くなり、ぼんやり目をあけた透の目にとびこんできたのは、前方に長く伸びる二つの影。
昼間のそれよりも赤みのました陽の光。
「!!!た、たいへんです!!!」
あわてて立ち上がった、そしてふと気付く。
影が二つ・・・・?
「ようやく目が覚めたか・・・・」
あきれたような低い声に透が右隣を向くと、ベンチにタバコを片手に座っている男がいた。
「は・・・はとりさん!?」
透は目を見開いた。
「どうされたんですか?いつからいられたんですか?あ、いえ、いま一体何時なのでしょう?私すっかり寝入ってしまって・・・」
あたふたとする透をゆったりと見上げ、ひとつずつ答えることにする。
「桜の木の下に君がいるのが見えて近づいてみると君が寝入っていたので、目が覚めるまでとおもっていた。
ちなみに今は夕方の6時だ・・・。いつからというのは・・・・・」
言おうとしてふと戸惑う・・・まさか3時間も自分がそばにいたとはいいづらい・・・。
「それより、君は何時からいたのだ」
「えっと、2時半くらいですねぇ」
「そうか・・・・」
あきれたようなはとりの言葉に気付く。
「はっ・・・私・・・・3時間以上も眠ってしまっていたのですね!」
顔を真っ赤にして照れる彼女を見上げる。
はとりを見下ろす形になった透は何かに気付いたような顔をしてベンチに座りなおした。
「本をお買いになったんですね」
「あ・・・あぁ・・・」
川原で読むつもりが、こちらに足をむけたことによって忘れていた。
包装もとかないまま横において、桜と彼女だけをみて3時間も時間をつぶしていたことに気付く。
「その包装は、靴屋さんのおとなりのものですね」
「あぁ、そうだが・・・」
何がいいたいのか不審気な顔をするはとりに、彼女はかばんから、同じ包装紙につつまれた本をとりだして見せた。
「おそろいです」
なにがそんなに嬉しいのか、彼女は満面の笑みを浮かべて続ける。
「ごらんになりましたか?今日は紫呉さんの本の発売日だったのです!だから、早速購入してしまいました!」
そういってテープを丁寧にはがし中身を取り出す。
それは書店で見かけたピンクのカバーがかかった紫呉の本だ。
わざわざ買わなくても・・・と思うが、それが彼女のいいところなのだろう・・・。
自分が買うには恥ずかしい内容のようだが、彼女くらいの子には薄紅色のその本がよく似合う。
そういえば・・・と本のポップを思いだす。
”桜の木の下で見た『君』に心を奪われた僕。”
カッと赤くなったはとりを透は不思議そうに見つめた。
「どうかなされましたか・・・?はっ!まさかお風邪ではありませんか!?
大変です!春はまだ気温が不安定でお風邪を引きやすいのです!」
「いや・・・大丈夫だ・・・」
頬に手をあてるはとり。
「いえ、でも顔が赤いです!きっと熱がおありになるんじゃないですか?」