賢木紫穂小話
いじわるしたい人
「ねえへこんでるの?」
その人は片膝を抱えて床に座り込んでいた。ぴかぴかの茶色い革靴をはいた脚を地面に投げ出して、冷たい床の上に座り込んでいた。
私は診察室の入口に立っていた。バベル職員の診察は午後5時までなので、今はその部屋の主である彼以外誰もいない。ただ西からの陽が差し込んで白い床を赤色に染めているだけのなにも感じられない部屋。
「…ねえ」
私は彼のもとまで歩いていってその横に座った。床は空調のせいかひんやりとしていて、身体から熱を奪った。けれどけして不快ではなく、冷たいその感触がむしろ心地よかった。
そばにきて彼を呼んだのに顔を背けるので、私は少し腹が立った。ねえじっと座りこんで、大人なのに馬鹿みたい。彼の膝小僧を見ているとやっぱり腹が立って、そう思った。
「センセイは大人なのに地べたに座るの?」
そう言って顔を覗き込むと、彼はやっと少しだけ顔を上げた。いつも上にあげている前髪がぱらりと落ちて、それが彼を幼く見せる。
私はそのくせの強い黒髪に触れた。そのまま頭をぐりぐりと撫でると、ぼんやりとゆるんだ表情をしていた彼の眉間にシワがよっていく。
「…もう。やめろってば」
「やっと喋るのね」
けれど彼は私のその手をどけようとはしない。ただされるがままにひとまわりも年の違うこどもに頭を撫でられる。
それに眉間にシワがよったのは最初だけで、今はもうもとのようなぼんやりとした表情に戻ってしまう。呆気なくてとても他愛ない。
「ねえ、今どんな気持ち?」
ぴくりと彼の肩がゆれる。
「悲しい?悔しい?恥ずかしい?辛い?」
「…紫穂ちゃん」
「答えてくれないならあててみようか」
私が意地悪く言うと、彼は悲鳴のような声でそれを制止した。きゅんと力が宿る手を空でさまよわせる。
「なあ紫穂やめて」
泣き出しそうな顔。掠れた声。切羽詰まると私のことをよびすてにする癖。
「その顔もっとしてよ。もっと見たいの」
いじわるしたい。