どうかあなたが気付きませんよう
ん? とリビングでテレビを見ていたプロイセンはチャンネルをいじる手を止めた。第六感というやつだ。
ソファから立ち上がり、プロイセンは足取り軽く玄関へ向かう。ガチャガチャと外側から鍵を回す音がした。すぐにカチャリと鍵が開く音が続く。それと同時にプロイセンは内側からドアを開けた。そしてすぐ目の前に現れたデカい男に抱きつく。
「おかえりヴェストー!!」
どうしてかこれだけは間違えた事が無い。鍵を開けたのは愛する弟だ。
「兄さん、ただいま」
ドイツが困ったように笑ってプロイセンの額にキスをする。
本当なら鍵をこちらから開けてしまいたい所だが、以前弟が帰ってきた事を察して目の前でドアを全開に開けて思い切り抱きついてやったら、俺以外の相手だったらどうするんだと叱られて鍵を開けるまで待つよう言われてしまった。プロイセンの可愛い弟はかなりの心配性だ。そんな弟の気質を知っていて、余計な気苦労をさせたくはない。
相手を確かめずに抱きついたのがよろしくなかったらしいが、そもそもヴェストじゃない相手だったとしたら絶対抱きつく前に気付くし、そもそもドア開けたりしねぇし。と並べても弟の理解は得られなかった。
という訳で、弟がドアの向こうにいると分かっていながら鍵が弟の手によって開けられるのを待つしかない健気な兄なのである。
ところで抱きついた生地の感触がいつもとちょっと違う。
「あれ?」
抱きしめていた腕を解いて一歩離れた所からドイツを眺める。きっちりと撫でつけられた髪から、磨かれた靴まで上から下へ視線を動かした。明らかに普段仕事へ行く時の格好じゃない。
「おい、ヴェスト! 何だよその服!」
弟はいつもきちんとした格好をしているが、それにしても今日着ているのはかなり質のいいスーツだ。こんなの俺と出掛ける時でも着ねぇぞ。いや出掛けるっても犬の散歩とかちょっとその辺に飯食いに行くとかその程度だけど。あぁそれじゃ仕方ねぇな、と思ったが、いやまともな所連れてけよとそのうち直談判しなければという考えも頭を過ぎった。
そういえば最近あまり一緒に出掛けていない。弟はなんだかんだとあちこち出掛けているが、プロイセンの方は留守番ばかりだ。
「何だよと言われても、朝からこの格好だったんだが」
「まじで?」
困ったように言われてプロイセンは今朝の事を回想する。が、覚えが無い。朝目が覚めたらもう家の中には誰もいなかった。
「あなたが寝ていたので、起こさないよう静かに出掛けたんだ」
「あぁそうか。悪ぃな」
弟が携帯電話を持つようになってから、家の電話が鳴る回数もぐっと減った。家の中に一人でいると一日誰とも口をきかない事が多い。そうなってくると、弟が帰ってくるのが待ち遠しくてならない。昨夜もついつい弟を構い倒してしまって、その挙句に眠たいという弟を追いかけて勝手に弟のベッドの中に潜り込んでしまった。
弟は呆れたように笑って、結局プロイセンの我儘を聞いてくれた。我ながらいい弟を持ったと思う。まぁ目立つ所にキスマークを付けられてしまったせいで昼間買い物に行くのを諦める羽目になってしまったが。お陰でまた一日家から一歩も出なかった。
少し疲れた様子でドイツがリビングのソファに座る。酔ってはいないようだが、近づくと酒の匂いがした。それと煙草も。ドイツの体にまとわりつく家の外のにおいを振り払うように、プロイセンは改めてソファの上の弟に抱きついた。生地の感触が俺好みだ。
「お前ってほんとカッコいいよな、そういうの着てると格別に!」
「以前何度か着た事はあるので、あなたも目にしているはずだが」
「そん時も俺お前の事めちゃくちゃ褒めただろ。カッコいいぜ俺様の弟。何着ててもカッコいいけど、こういうはまた惚れ直すよなー」
胸に頬を擦り付けるとムキムキな感触がする。プロイセンに手放しで褒められてドイツが照れたように笑った。俺様の弟、カッコいいだけじゃなくてとびきり可愛いぜ。
「んで、今日何かあったのか?」
ドイツの胸から離れると、プロイセンは弟の方を向いてソファの上に座る。そういえばまだこの格好の理由を聞いていない。
「あぁ、上司の主催するパーティーだ」
ネクタイを外しながらドイツが返した答えは、ごく普通のものだ。まぁそれならこのくらいの格好はするだろう。だが。しかし。
「なんで俺様も連れてってくれねぇんだよ!」
「招待を受けたのは俺だけだ、仕方ないだろう」
ちぇちぇとプロイセンは思わず舌打ちする。そりゃまぁ俺はもうあんまり関係ねぇけどよ。ヴェストと俺はセットだろ。俺だけお留守番ってなんだよ、つれないぜ。
しかもパーティー、ね。この格好で。
「この色男が。さぞかしモテたんだろうな」
「なんだ兄さん、嫉妬か?」
「別にー」
どんな美女が寄って来ようが俺様とヴェストを引き離す事なんて誰にもできねぇしな。心配はしていない。ただちょっとつまらないだけだ。
家で一人面白くも無いテレビを見ながら弟の帰りを待っていた間、彼はパーティー会場で色々な人と交流し議論でも交わしていたんだろう。昔はプロイセンもしていた事だ。楽しいと言うよりも面倒だという思い出の方が強いとはいえ、元々あまり家の中に引きこもっていられる性質でも無い。その面倒さも今になっては恋しく思えてくる。
プロイセンが一人で出ていたその手の集まりに、途中からドイツを伴うようになった。二人でいるのが当然だと思っていたが、いつの頃からか段々とドイツ一人だけが呼ばれるようになっていった。
俺は最早必要とされていないんだな。なんて愚痴を弟に聞かせる気は無い。弟の留守中家を守るのが今のプロイセンの役目だ。
けれど気付くとプロイセンは弟の服を引っ張っていた。それに気付いたドイツが上着を脱ごうとしていた手を止めてプロイセンの方を向く。
「どうかしたのか、兄さん」
「え、あ、いやなんでもないぜ」
ドイツに指摘されてプロイセンは慌てて弟の服から手を離した。それを見届けてドイツがソファから立ち上がる。
「シャワーを浴びてくるが、兄さんも来るか?」
「嫌だ。お前、シャワー浴びる以外の事しようとするだろ」
「そうか。では行ってくる」
スーツを壁に掛けるとすぐに自分に背を向けてシャワールームに向かってしまった弟に、プロイセンも続いてソファから立ち上がった。なんでだよもうちょっと押せよ。すぐに諦め過ぎだろ、お兄ちゃんお前をそんな諦めの早い男に育てたつもりはありません!
「待てよヴェスト」
なんだよそれ、とプロイセンはドイツを追いかける。せっかくドイツが家にいるのにまた一人でリビングなんてつまらな過ぎる。暇つぶしの道具くらいいくらでもあるが、やっぱり弟を構うのが一番楽しい。
それに何より。
「なんだ、やはり一緒に入りたいのか」
「お前が先に言ったんだろ。全く、俺様ヴェストに甘過ぎるぜ」
作品名:どうかあなたが気付きませんよう 作家名:真昼