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 目覚ましが鳴る前に起きられたのは、二日酔いの頭痛のせいだった。お世辞にも爽快な目覚めとは言い難い。参ったなと思いながら、そろそろと体を起こしてみる。幸い起き上がれないほどの状態ではなく、自分の髭から吐瀉物のすえた臭いがすることもなかった。これなら熱いシャワーひとつでまずまずの体調に戻せそうだ。昨夜の乱痴気騒ぎを思えば、奇跡的なぐらいに悪くない。
 昨夜はみんな飲み過ぎだった。羽目なんかずっと外しっぱなしのフルスロットル。それでこの程度の二日酔いなのだから、悪くないどころか上々と言っても良さそうだ。
 ずきずき痛む頭を押さえながら、ジョードは自分の頑丈な体に感謝した。ソファから起き上がれないほどの不調でなくて本当によかった。なにしろ今日ばかりは、仮病で休むことも遅刻することもできない。教会で待っている牧師と花嫁をすっぽかしてしまうことになる。
 つまり昨夜は、ジョードの独身最後の夜だったのだ。
 賑やかな夜だった。慣例通り「独身お別れパーティ」が開かれ、たくさんの友人たちが集まった。古い仲間も、最近知り合ったばかりの連中もみんなだ。
 お約束通りストリッパーが呼ばれ、何ケースものビールと、ジョードお気に入りのレストランのチキンがたっぷり用意された。冗談みたいに大きなケーキには「くたばれ幸せ者!」と冗談めかした祝福の言葉がチョコレートで書き込まれ、甘いものは苦手だというのに、それを強引に口へと突っ込まれた。
 髭がクリームで真っ白になったのを見て誰かが笑う。「おいおい、サンタクロースのじいさんみたいだぜ」。肩を組んで季節外れのクリスマスソングを合唱する連中は、あきらかにへべれけで足がよろめいていた。
 本当にひどい有様の、だが楽しいパーティだった。騒ぎは深夜まで続き、自宅に戻ることもできないほど酔っ払った者も少なくなかった。ジョードもその1人だ。
 千鳥足の彼を快く泊めてくれた親友は、まだベッドに突っ伏して眠っている。毛布を引っ張りあげるのも面倒だったのか、自慢の白いコートを頭からかぶったままだ。当分目を覚ましそうにない。
 起こすのは悪いなと思い、ジョードはなるべく音を立てないように立ち上がった。足音を殺してキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けて酔い覚ましの水を1本いただく。空いたスペースには、ストッカーから取り出した新しいボトルを詰めなおした。それがこの部屋のルールだからだ。
 何事にも完璧を求める彼らしいルールだと思う。部屋中が埃ひとつなく磨き上げられているのはもちろん、冷蔵庫の空きスペースひとつ許さず、全てのものが定位置に収まっていないと気が付かない。息苦しささえ感じそうな完璧さだったが、親友の気質を良く知っているジョードは、黙ってそのルールに従うことにしていた。だいたい、せっかくの好意に甘えて泊めてもらっているのに、家主の機嫌を損ねることもないだろう。
 それに、ジョードはそのルールにずいぶんと慣れていた。勝手の知れた部屋だ。ビールと水のボトルはストッカーの一番下。コーヒーの粉とフィルタは隣の戸棚の左上で、マグカップはそのすぐ下の段。目を閉じていても必要なものが取り出し、元の位置に戻すことだってできる気がした。
 当たり前の話だった。こんな二日酔いの朝を、何度この部屋で迎えただろうか。この部屋で朝まで痛飲したこともあったし、迎え酒にビールを呷ったこともあった。めでたく犯人を捕らえた祝杯を挙げたのも、自分たちの過ちで無実の男を死なせてしまった後悔の苦い酒を空けたのも、全てこの部屋でだった。
 だがそれも、今日で終わる。ジョードの独身時代の終わりと共に。
 明日からは、どれだけ飲んで足がふらついても、自分の部屋に戻らなければならない。それでなくても刑事などという危険な仕事しているのだ。新婚の花嫁の心労を、それ以上に増やすわけには行かなかった。家に戻れる日ぐらいは、きちんと我が家に帰らなければ。それが自分の責任だとジョードは思っている。
 となると、この部屋ともお別れになるんだな。ジョードは少し名残惜しい気分になりながら、親友の部屋をぐるりと見渡した。もう2度と来ることもない、とまでは思わないが、足が遠のくのは確かだろう。そのうちにビールの場所もコーヒーの定位置も忘れてしまうのだろうと思うと、寂しいような気分にもなった。
 ベッドから掠れた声が聞こえたのは、その時だった。
「やあキミ、起きたのかい」
 見れば、白いコートを肩に引っ掛けた長身がベッドの上に身を起こしている。
「すまんカバネラ。起こしてしまったか」
「ボクが勝手に目を覚ましたんだから気にしなくていいよ。キッチンにいるなら、ついでにボクにも水を持って来てくれるかい?」
「わかった、ちょっと待て」
 ジョードは冷蔵庫から冷えた水のボトルをもう1本取り出し、空きスペースにストッカーから取り出したボトルを収めた。2本のボトルを提げてベッドの傍まで戻る。
 ボトルを受け取ったカバネラは、その半分ほどを一気に飲み干した。こちらも二日酔いのようで、いかにも気分の悪そうな顔をしている。声が掠れているのもそのせいだろうか。
「大丈夫か?」
「問題ないよ。たとえ問題があっても何とかして見せるさ。なにしろ今日の正午には、キミたちの結婚式に駆けつけなきゃならないんだからね」
「ああ、待ってるよ。一番の親友が立ち会ってくれないんじゃ困るからな」
「光栄だね。ところで、時間はまだいいのかい? 家に戻っていろいろ準備があるんだろう?」
「まだ目覚まし前だ。もう少しゆっくりできる」
「じゃあここに座りなよ。独身最後の話をしようじゃないか」
 カバネラに促されるままに、ジョードはベッドの脇に腰掛けた。カバネラもベッドから脚を下ろしてその隣に座る。
 だが話をしようと誘ったくせに、カバネラはいつまで経っても口を開かなかった。肩にかけたコートのように白い顔をして、何かを堪えるように唇を噛み締めている。
 カバネラがようやく掠れた声を上げたのは、だいぶ気分が悪いのではないかとジョードが心配し始めた頃だった。
「キミにね、独身最後のプレゼントをしようと思って」
 妙に真剣さを帯びた声だった。そこに異様なものを感じつつジョードは頷く。
「それは……光栄だな」
「目を閉じてくれるか? キミを驚かせたいんだ」
「……わかった」
 ジョードは言われたとおりに目を閉じた。ぎし、とベッドのスプリングが軋む音がする。カバネラが片手に体重をかけたようだった。
 プレゼントを取りに立ち上がろうとしているのだろうか。ジョードは最初、そう考えた。
 違う、と気付くまでにはそれほどかからなかった。尻の下のマットレスはカバネラに体重をかけられたせいで妙に傾いたままで、だが彼が立ち上がる気配もない。それどころか、カバネラの気配は少しずつジョードの方へと近付いてくる。
 近いな、と思った。髭にカバネラの息を感じる。顔を近付けられているのだろう。もしかしたら、唇が触れ合うほどの距離なのかもしれない。彼の激しい鼓動まで聞こえるのではないかと思うほどに、近い。
 やっぱりか。やっぱりこういうことだったのか。
作品名:AM 6:13(タグ修正) 作家名:からこ