マイリトルラバー
ボディクリームは沢山あるけどローズだけは使わない。
調子づくあの人の優越感の方向が息苦しくてたまらずに、二度目はないと誓ったから。
会議の後の親睦会は、パーティーという名の纏まりに欠ける宴会。ハコが広いから誰がどこに行ったか分からなくなってしまう。そういう場所のカーテンの陰を、私はできれば見たくない。
かつての女中遊びを懐かしんだイギリスが、エスコートの真似をしてこっそり悪さをしているのを、何度も目撃したせいだ。止めるくらいならやめなよ。私と目が合うくらいで止まるなら、恥知らずな真似しなきゃいい。
自意識過剰と憐れみを受けるのだけはお断りだから、近ごろは意識することすら苦痛。
なんだってあの人なのか、私にも説明できない。ただ、身体の声にだけは屈服したくなくて、高いピンヒールで床を鳴らす。パーティー開始から一時間、料理の周りには案の定イギリスの姿が見当たらない。
いやな予感にうんざりする。考えたくもないのにさ!
「まったくもー……」
嫌になる。幼い頃から彼ばかり探して泣いていた目。とっくに分別をつけたのに、背中を見つけるまでは一瞬だ。
ちらりと風に揺れるカーテンの、膨らんだ襞の合間から、ダークブラウンのスーツに包まれて締まったお尻が覗いていた。
華奢ではない、むしろ体格は男くさいのに何故か線の細い後ろ姿。腰からお尻、腿にかけてのラインがかっちりしたスーツに似合って人違いのしようがない。
舐めるように観察してしまう癖が欲求不満の女みたいで、心底うんざりしてるんだよ。
どうしてあの人は、目に付く場所でやるんだろう。密談なら別室へどうぞ。引導を渡してやりたいな。
やってることは同じなのに、フランスやイタリア兄弟と違ってイギリスは過剰にいやらしいから、本当に変なことしてるんじゃないかと勘繰りたくもなる。
どれも、本気じゃないくせに。言い寄られたくないくせに。
睨んでいたつもりはないけど、影のようにエスコートしてくれるカナダの肩越しに視線が合った。途端に空気ががらりと変わる。イギリスの。身体から性的なニュアンスが消えて、そう、……父親か兄みたいな、押し付けがましい優しさに。
迷いなくこちらに歩いてくる彼。素直に笑みを浮かべるカナダにあんまり頓着してやらないくせに、どうして私の手を取るの。
「紳士面してよくやるよ」
マナーの欠片もありはしない! 前にそう非難したら、「枯れた男が好みなのか」と真顔で問われて心底呆れた。
「……お前こそ、手に何持ってんだよ」
グラスの形で分からないなら耄碌した証拠だけど。
「見てわかる癖に訊くんだね」
反省を促す目的の物言いはつくづく癪に障る。
「シャンパンはお前には早いだろ。寄越せ、俺が飲んでやるから」
カナダの選んでくれたものを譲らせる権利、あると思う根拠は何?
「……よく言うね。いつから私の保護者気取り? 君なんかに口出しされたくないよ」
「っ……悪かったな。口煩くて」
「兄弟ごっこ、まだやりたいの? みっともないぞ、いい加減。私は君がいなくても問題なくやっていけるんだから、余計な口出しはうんざりだよ」
攻撃は先にさせてもらう。
私の身体は戦う武器だけ背負ってできてるんじゃない。なのに君は夢見てるくせに、脆い私を突き放すんだ。
「そりゃ……お前は強いからな。俺なんて必要ないんだろ」
拗ねてる顔。勝手にしなよ。
「待てよ!」
今は素手を晒す彼。厳しい世界情勢の折には皮手袋を身に着けていた。ずっとずっと遠い日には、仕事があるんだと追いすがる私の手を振り払って、自分ばかり痛そうな顔をして。
いつだって、君はずるい男だよ、イギリス。身内で争いを重ねてきた彼は先手を打つのにいつも必死。私のことに構うフリをして、大事なことといったらてんで理解していないんだから!
「なに? 用なら手短にね。ケーキをまだ食べてないんだ」
だから私を放してよ。いつの間にか消えちゃった兄弟を見つけてあげなきゃいけないし。
「食い過ぎだ。やめとけ。……それより、来い」
理由を挙げないのはどうしてなんだい? 二枚舌。
「やだね。君と行く場所なんてないよ。説教臭いし煙草くさい」
それが、私の彼だけど。今は別の臭いもして。
「アメリカ!」
踵を返しかけていたところに腕を強く引き寄せられて、一瞬いやな痛みが走った。
「わっ。痛いよ離して!」
つめたい顔。私に苛立っている。
「痛くねえだろ。お前は。いいから来い」
どうしてそうなの、君は。力があるからって痛覚が鈍いはずないだろ。
痛いよ。
くそ。泣いてやりたい。この人に恥をかかせたい!
衝動が湧き上がるのは瞬く間、私の瞳は膨張した。滲みだした熱い感覚と瞳の境界線はない。
結構疲れていたらしくて、流れ出ていくのと共に頭がふわっと軽くなった。
「……あ、待て、アメリカ! 泣くなよ!」
声上げるのやめなよ無神経。紳士なら、身体で隠すものだろう。
それとも私だからしない? 抗議してやりたい気持ち半分、顔が見てみたいのが半分。
うっすら瞼を開けると、うろたえすぎて変な姿勢のまま固まった彼の姿がある。伸ばしかけた手はきっとさっきの女になら、スマートに触れられたんだろうに。
「……抱いてくれないの」
間抜けなイギリスを見てみたら、訊ねずにはいられなかった。だって、その腕。他にない。
「へっ? おおおお前っ、こんなとこで無理だろ! バカ!」
抱き寄せるぐらいは誰でもするさと言い返そうとして、私は彼を見て絶句した。急に真っ赤になった顔。恥じらいばかりではない、喜びとかいやらしさも混ざった頬。ドレスを軽々透過して、肌に突き刺さる視線。
そうか。私でも、できるのか。
そんな顔をするぐらいのことが想像できてしまったのか。
「まさか違う意味で取ったのかい? いやらしいこと考えないでよ」
今はまずないと思うけど、手管に嵌められそうな寒気を感じてとっさに私は釘を刺す。
「考えてねえよ! バカ! 誰が妹みたいな奴にそんな……できるわけねえだろ。ばぁか」
バカって言い過ぎだよ。バカ。
「意気地なしの言い訳は嫌いだよ」
妹? 妹だった頃、一回もしなかった目つきで私の身体を舐め回したくせに。
「……仕方ねえだろ」
なにが? ねえ、なにがだい?
今度は追い縋ったりしない。私は一人でもやっていける。だから君が言い訳をやめて、観念したらいいんだよ。
「ならいいさ。引き止めて悪かったね」
さようなら、今夜の感傷。デザートは湿っぽく食べるものじゃない。
「……飲まねえなら、寄越せ」
すっかり気の抜けてぬるくなった液体を、言われてようやく思い出す。
グラスの重みが奪われたのは、それからたった数秒後。
あっという間に喉に流し込む手つきの妙ないやらしさに、私は彼を睨みつけた。
美味しいわけがないのに、なんてよさそうに目を細めるの。
「格好つけて」
「いい男だろ」
嘯くグリーンアイズの嘘と本気の割合を、ねえ、今度こそ晒してよ。
「抱かれたいぐらいにはね」
びっくり見開かれた瞳。度肝を抜かれましたって顔に、笑えない。気を抜いたら脚が震えてしまいそうなのを、ギリギリで堪えてるところだから。
調子づくあの人の優越感の方向が息苦しくてたまらずに、二度目はないと誓ったから。
会議の後の親睦会は、パーティーという名の纏まりに欠ける宴会。ハコが広いから誰がどこに行ったか分からなくなってしまう。そういう場所のカーテンの陰を、私はできれば見たくない。
かつての女中遊びを懐かしんだイギリスが、エスコートの真似をしてこっそり悪さをしているのを、何度も目撃したせいだ。止めるくらいならやめなよ。私と目が合うくらいで止まるなら、恥知らずな真似しなきゃいい。
自意識過剰と憐れみを受けるのだけはお断りだから、近ごろは意識することすら苦痛。
なんだってあの人なのか、私にも説明できない。ただ、身体の声にだけは屈服したくなくて、高いピンヒールで床を鳴らす。パーティー開始から一時間、料理の周りには案の定イギリスの姿が見当たらない。
いやな予感にうんざりする。考えたくもないのにさ!
「まったくもー……」
嫌になる。幼い頃から彼ばかり探して泣いていた目。とっくに分別をつけたのに、背中を見つけるまでは一瞬だ。
ちらりと風に揺れるカーテンの、膨らんだ襞の合間から、ダークブラウンのスーツに包まれて締まったお尻が覗いていた。
華奢ではない、むしろ体格は男くさいのに何故か線の細い後ろ姿。腰からお尻、腿にかけてのラインがかっちりしたスーツに似合って人違いのしようがない。
舐めるように観察してしまう癖が欲求不満の女みたいで、心底うんざりしてるんだよ。
どうしてあの人は、目に付く場所でやるんだろう。密談なら別室へどうぞ。引導を渡してやりたいな。
やってることは同じなのに、フランスやイタリア兄弟と違ってイギリスは過剰にいやらしいから、本当に変なことしてるんじゃないかと勘繰りたくもなる。
どれも、本気じゃないくせに。言い寄られたくないくせに。
睨んでいたつもりはないけど、影のようにエスコートしてくれるカナダの肩越しに視線が合った。途端に空気ががらりと変わる。イギリスの。身体から性的なニュアンスが消えて、そう、……父親か兄みたいな、押し付けがましい優しさに。
迷いなくこちらに歩いてくる彼。素直に笑みを浮かべるカナダにあんまり頓着してやらないくせに、どうして私の手を取るの。
「紳士面してよくやるよ」
マナーの欠片もありはしない! 前にそう非難したら、「枯れた男が好みなのか」と真顔で問われて心底呆れた。
「……お前こそ、手に何持ってんだよ」
グラスの形で分からないなら耄碌した証拠だけど。
「見てわかる癖に訊くんだね」
反省を促す目的の物言いはつくづく癪に障る。
「シャンパンはお前には早いだろ。寄越せ、俺が飲んでやるから」
カナダの選んでくれたものを譲らせる権利、あると思う根拠は何?
「……よく言うね。いつから私の保護者気取り? 君なんかに口出しされたくないよ」
「っ……悪かったな。口煩くて」
「兄弟ごっこ、まだやりたいの? みっともないぞ、いい加減。私は君がいなくても問題なくやっていけるんだから、余計な口出しはうんざりだよ」
攻撃は先にさせてもらう。
私の身体は戦う武器だけ背負ってできてるんじゃない。なのに君は夢見てるくせに、脆い私を突き放すんだ。
「そりゃ……お前は強いからな。俺なんて必要ないんだろ」
拗ねてる顔。勝手にしなよ。
「待てよ!」
今は素手を晒す彼。厳しい世界情勢の折には皮手袋を身に着けていた。ずっとずっと遠い日には、仕事があるんだと追いすがる私の手を振り払って、自分ばかり痛そうな顔をして。
いつだって、君はずるい男だよ、イギリス。身内で争いを重ねてきた彼は先手を打つのにいつも必死。私のことに構うフリをして、大事なことといったらてんで理解していないんだから!
「なに? 用なら手短にね。ケーキをまだ食べてないんだ」
だから私を放してよ。いつの間にか消えちゃった兄弟を見つけてあげなきゃいけないし。
「食い過ぎだ。やめとけ。……それより、来い」
理由を挙げないのはどうしてなんだい? 二枚舌。
「やだね。君と行く場所なんてないよ。説教臭いし煙草くさい」
それが、私の彼だけど。今は別の臭いもして。
「アメリカ!」
踵を返しかけていたところに腕を強く引き寄せられて、一瞬いやな痛みが走った。
「わっ。痛いよ離して!」
つめたい顔。私に苛立っている。
「痛くねえだろ。お前は。いいから来い」
どうしてそうなの、君は。力があるからって痛覚が鈍いはずないだろ。
痛いよ。
くそ。泣いてやりたい。この人に恥をかかせたい!
衝動が湧き上がるのは瞬く間、私の瞳は膨張した。滲みだした熱い感覚と瞳の境界線はない。
結構疲れていたらしくて、流れ出ていくのと共に頭がふわっと軽くなった。
「……あ、待て、アメリカ! 泣くなよ!」
声上げるのやめなよ無神経。紳士なら、身体で隠すものだろう。
それとも私だからしない? 抗議してやりたい気持ち半分、顔が見てみたいのが半分。
うっすら瞼を開けると、うろたえすぎて変な姿勢のまま固まった彼の姿がある。伸ばしかけた手はきっとさっきの女になら、スマートに触れられたんだろうに。
「……抱いてくれないの」
間抜けなイギリスを見てみたら、訊ねずにはいられなかった。だって、その腕。他にない。
「へっ? おおおお前っ、こんなとこで無理だろ! バカ!」
抱き寄せるぐらいは誰でもするさと言い返そうとして、私は彼を見て絶句した。急に真っ赤になった顔。恥じらいばかりではない、喜びとかいやらしさも混ざった頬。ドレスを軽々透過して、肌に突き刺さる視線。
そうか。私でも、できるのか。
そんな顔をするぐらいのことが想像できてしまったのか。
「まさか違う意味で取ったのかい? いやらしいこと考えないでよ」
今はまずないと思うけど、手管に嵌められそうな寒気を感じてとっさに私は釘を刺す。
「考えてねえよ! バカ! 誰が妹みたいな奴にそんな……できるわけねえだろ。ばぁか」
バカって言い過ぎだよ。バカ。
「意気地なしの言い訳は嫌いだよ」
妹? 妹だった頃、一回もしなかった目つきで私の身体を舐め回したくせに。
「……仕方ねえだろ」
なにが? ねえ、なにがだい?
今度は追い縋ったりしない。私は一人でもやっていける。だから君が言い訳をやめて、観念したらいいんだよ。
「ならいいさ。引き止めて悪かったね」
さようなら、今夜の感傷。デザートは湿っぽく食べるものじゃない。
「……飲まねえなら、寄越せ」
すっかり気の抜けてぬるくなった液体を、言われてようやく思い出す。
グラスの重みが奪われたのは、それからたった数秒後。
あっという間に喉に流し込む手つきの妙ないやらしさに、私は彼を睨みつけた。
美味しいわけがないのに、なんてよさそうに目を細めるの。
「格好つけて」
「いい男だろ」
嘯くグリーンアイズの嘘と本気の割合を、ねえ、今度こそ晒してよ。
「抱かれたいぐらいにはね」
びっくり見開かれた瞳。度肝を抜かれましたって顔に、笑えない。気を抜いたら脚が震えてしまいそうなのを、ギリギリで堪えてるところだから。