赤に沈む
赤い夢を見続ける。毎晩のように悪夢のように。
それは記憶。
赤い焔。
赤い夕焼け。
赤の瞳。
過去の残像。過ぎた出来事。
腕を前に突き出し指を鳴らす。
容赦なく。
慈悲もなく。
一瞬で燃え盛る焔を見る。
この私が自分の意志で、行ったというそれだけのこと。
焼いて殺してまた焼いて。それをただ繰り返した。
あの乾いた土地でこの私が、一体何人いや何百人。
殺した数などわからない。
罪もなき民。ただそこに暮らしていた人々。
悔やむことも謝ることも、偽善だとわかっている。
贖罪をしたところで殺した者は生きかえらない。だが……。
全てを飲み込み前へ進む。二度と悲劇を繰り返さないように。
けれど。
風が運ぶ血の臭い。
忘れるなと、私の罪を突き付ける。
人が焼ける臭いと硝煙と。目の前に広がる血の色と。
悲嘆の叫びが聞こえてくる。
恨みに満ちた赤い瞳。
夕陽に照らされた乾いた大地。血塗れの死体の山。
黒く炭化した残骸は夜の闇に閉ざされる。
だが、見えずともそこにある。
闇の中に。
記憶の中に。
決して消えることはない。
それを悔いたこともない。すべて私が自分の意志でしてきたことだ。だが……。
誤魔化すように夜の街へと逃れて行く。女の脂粉の甘い香り。血の臭いを忘れるほど強ければ強いほど好ましかった。柔らかい身体。死体の冷たさなど忘れるほどの熱さを求めた。赤は血と、そしてあの瞳の色を思い出させる。私が殺した赤い民。忘れないと確かに誓った。だが、時折。その重さに耐えきれず、すり替えをする。赤は、唇。柔らかく蠢き誘う女。相手は誰でも構わない。一時の、仮初めだ。酒に酔った振りで誘いをかけ、その身体に溺れた演技をし続けて。そして朝を迎える前に別れを告げる。
どうもありがとう。さようなら。
別れた後には顔も声も忘れている。
そして何もなかったかのように軍務に戻る。私の、本来の道を突き進む。この地を二度とあの赤に塗れさせることのないようにと、そのために。今日もどこかで起こっているテロを鎮圧し、軍上層部のお偉方に笑顔を向けて。そうして贖罪か理想の追求かわからなくなった頃、また夜の街へと向かうのだ。まるで道を失くした旅人のような足取りで。
……いや、違う。これは一時の逃避。失うことも惑うことも少しもない。私の進むべき道は明らかだ。時折求める仮初めの休息。酒と女と夜の闇に、赤を感じないで済むようにと。手を伸ばし、そしてその後はまた進むべき道へ戻る。それだけだ。逃げている自覚はある。指摘されるまでもなく私自身でわかっている。だが一瞬でいい。赤を忘れたい時がある。一時の逃避。何が悪い。再び前に進むための必要な儀式。居直っていると思われても構わない。私自身、それを既に知っている。わかっている。忘れていない。逃げたところで何一つ変わらないということも。殺した民のその瞳。流した血。燃え盛る焔。その重さを忘れはしない。だがこれは必要な逃避。ほんの一時の間だけの夢。赤いドレス。唇の色。記憶の赤をすり替える。そして朝には何食わぬ顔で、以前通りに全て進む。忘れるわけではない。仮初めの宿り。それだけだ。
そんな夜をいくつも過ごした。朝になれば元の自分に戻っていく。本当の赤の意味を忘れはしない。
そう、決して忘れはしない。
私がこの手で屠った命。
赤い残像。
それから誓い。
忘れない。
私はこの国を必ず統べる。
たとえ魂をすり減らしたとしても。
「なあ……大佐。いいかげんに、そーゆーのやめたら?」
偶然なのか、それとも待ち伏せでもしていたのか。歓楽街の入り口の片隅に置かれたベンチに腰を掛け、赤を纏った少年が咎めるように私を見ていた。
「夜の街でも英雄だって、すげえ噂になってんぜ」
「鋼の……」
何故彼がこんなところにいるのだろう。だがそれを口にする前に彼が先に言葉を重ねた。
「最近度が過ぎてるって中尉達も嘆いてる。オレはアンタのそーゆーことに口出す趣味はねえけど、そのうち誰かどっかのオンナノヒトに刺されてみっともねえハメになる前に、ちったあ慎めよって言ってやる」
金の髪と赤のコート。その色が眩しいほどに突き刺さる。闇を血を、知らないわけではない彼は、それでもこんなふうに真っ直ぐに、私へと向かってくる。
「……君には関係ないだろう?」
汚濁に塗れようとなんだろうと綺麗なままの彼の精神。時折非道く眩しくて、そうして汚したくもなる。ああ、もちろん穢れはしないとわかっている。立って歩いて前を向いて。絶望にも打ちのめされず立ちあがり、そうして彼はここに居る。
「……まあ、な。大佐がどうなろうと知ったこっちゃねえな。だけど中尉とか少尉とかに心配かけんじゃねえよ。アンタの、大事な部下だろう?」
コドモだからこそ持てる強さ、なのだろうか。いや違う。これは彼の本質だ。目を逸らさない。逃げもしない。何度でも這い上がる。……ひどく羨ましいと感じてしまう。
「……仕方がないんだよ」
「何が」
「君にはわからないだろうね」
「何がだよ」
真っ直ぐな赤。君にはきっとわからない。同じような赤を纏い、彼はそれでも光の道を突き進む。酷く綺麗に。何者にも負けずに。コドモの純粋さと強さを持って。
君は、強くて正しくて。
それが時折眩しくて羨ましくて……、憎さすら覚えてしまう。
「……眠れないんだ」
「は?」
「どうにもこうにもね。情けないことに、こうでもしないと眠れない」
誤魔化すように浮かべる笑顔。けれど、そんな私の言葉も真っ直ぐに貫いてくる。
「不眠症なら医者に行け。睡眠薬くらいあるだろう?」
「……そんなもの、効きはしない」
「じゃあ……」
「馬鹿なことをしていると自覚はしている。だが、どうしても必要でね。酒に溺れて女を抱いて。そしてやっと夢を見ないで眠りにつける」
「大佐……」
「私が私であるために。私の道を進むために。こんな無様な茶番が必要なのだと言ったら君は笑うか?一時の逃避をしているだけだときちんと自覚くらいはしているよ。朝になったら私に戻る。だから……このくらいは構わないだろう?」
赤は苦手だ。けれど。何人もの人間をその色に焼いたのは私自身。眠れない。暗い闇に絡め取られる。特にこんな冷たい夜は。
思い出す。一面の赤。焼ける臭い。
朝になれば戻るから。自身で決めた通りに進むから。
だから、そう。こんな夜くらいは逃避することを許してほしい。
私は睨むがごときの金の瞳にあえて満面の笑みを向けてみる。艶やかに、穏やかに。嘘だとわかる仮面の顔で。
「それとも……鋼の。君が私を助けてくれるのかい?」
「え……?」
戸惑った様子の鋼のを、半ば無理矢理引き寄せる。赤のコートがゆらりと揺れた。私の腕の中に引き寄せられるその赤の色に、私の心がざわめきを立てる。
赤は血の色。焔の赤。私へと向かう怨嗟の色。
それは記憶。
赤い焔。
赤い夕焼け。
赤の瞳。
過去の残像。過ぎた出来事。
腕を前に突き出し指を鳴らす。
容赦なく。
慈悲もなく。
一瞬で燃え盛る焔を見る。
この私が自分の意志で、行ったというそれだけのこと。
焼いて殺してまた焼いて。それをただ繰り返した。
あの乾いた土地でこの私が、一体何人いや何百人。
殺した数などわからない。
罪もなき民。ただそこに暮らしていた人々。
悔やむことも謝ることも、偽善だとわかっている。
贖罪をしたところで殺した者は生きかえらない。だが……。
全てを飲み込み前へ進む。二度と悲劇を繰り返さないように。
けれど。
風が運ぶ血の臭い。
忘れるなと、私の罪を突き付ける。
人が焼ける臭いと硝煙と。目の前に広がる血の色と。
悲嘆の叫びが聞こえてくる。
恨みに満ちた赤い瞳。
夕陽に照らされた乾いた大地。血塗れの死体の山。
黒く炭化した残骸は夜の闇に閉ざされる。
だが、見えずともそこにある。
闇の中に。
記憶の中に。
決して消えることはない。
それを悔いたこともない。すべて私が自分の意志でしてきたことだ。だが……。
誤魔化すように夜の街へと逃れて行く。女の脂粉の甘い香り。血の臭いを忘れるほど強ければ強いほど好ましかった。柔らかい身体。死体の冷たさなど忘れるほどの熱さを求めた。赤は血と、そしてあの瞳の色を思い出させる。私が殺した赤い民。忘れないと確かに誓った。だが、時折。その重さに耐えきれず、すり替えをする。赤は、唇。柔らかく蠢き誘う女。相手は誰でも構わない。一時の、仮初めだ。酒に酔った振りで誘いをかけ、その身体に溺れた演技をし続けて。そして朝を迎える前に別れを告げる。
どうもありがとう。さようなら。
別れた後には顔も声も忘れている。
そして何もなかったかのように軍務に戻る。私の、本来の道を突き進む。この地を二度とあの赤に塗れさせることのないようにと、そのために。今日もどこかで起こっているテロを鎮圧し、軍上層部のお偉方に笑顔を向けて。そうして贖罪か理想の追求かわからなくなった頃、また夜の街へと向かうのだ。まるで道を失くした旅人のような足取りで。
……いや、違う。これは一時の逃避。失うことも惑うことも少しもない。私の進むべき道は明らかだ。時折求める仮初めの休息。酒と女と夜の闇に、赤を感じないで済むようにと。手を伸ばし、そしてその後はまた進むべき道へ戻る。それだけだ。逃げている自覚はある。指摘されるまでもなく私自身でわかっている。だが一瞬でいい。赤を忘れたい時がある。一時の逃避。何が悪い。再び前に進むための必要な儀式。居直っていると思われても構わない。私自身、それを既に知っている。わかっている。忘れていない。逃げたところで何一つ変わらないということも。殺した民のその瞳。流した血。燃え盛る焔。その重さを忘れはしない。だがこれは必要な逃避。ほんの一時の間だけの夢。赤いドレス。唇の色。記憶の赤をすり替える。そして朝には何食わぬ顔で、以前通りに全て進む。忘れるわけではない。仮初めの宿り。それだけだ。
そんな夜をいくつも過ごした。朝になれば元の自分に戻っていく。本当の赤の意味を忘れはしない。
そう、決して忘れはしない。
私がこの手で屠った命。
赤い残像。
それから誓い。
忘れない。
私はこの国を必ず統べる。
たとえ魂をすり減らしたとしても。
「なあ……大佐。いいかげんに、そーゆーのやめたら?」
偶然なのか、それとも待ち伏せでもしていたのか。歓楽街の入り口の片隅に置かれたベンチに腰を掛け、赤を纏った少年が咎めるように私を見ていた。
「夜の街でも英雄だって、すげえ噂になってんぜ」
「鋼の……」
何故彼がこんなところにいるのだろう。だがそれを口にする前に彼が先に言葉を重ねた。
「最近度が過ぎてるって中尉達も嘆いてる。オレはアンタのそーゆーことに口出す趣味はねえけど、そのうち誰かどっかのオンナノヒトに刺されてみっともねえハメになる前に、ちったあ慎めよって言ってやる」
金の髪と赤のコート。その色が眩しいほどに突き刺さる。闇を血を、知らないわけではない彼は、それでもこんなふうに真っ直ぐに、私へと向かってくる。
「……君には関係ないだろう?」
汚濁に塗れようとなんだろうと綺麗なままの彼の精神。時折非道く眩しくて、そうして汚したくもなる。ああ、もちろん穢れはしないとわかっている。立って歩いて前を向いて。絶望にも打ちのめされず立ちあがり、そうして彼はここに居る。
「……まあ、な。大佐がどうなろうと知ったこっちゃねえな。だけど中尉とか少尉とかに心配かけんじゃねえよ。アンタの、大事な部下だろう?」
コドモだからこそ持てる強さ、なのだろうか。いや違う。これは彼の本質だ。目を逸らさない。逃げもしない。何度でも這い上がる。……ひどく羨ましいと感じてしまう。
「……仕方がないんだよ」
「何が」
「君にはわからないだろうね」
「何がだよ」
真っ直ぐな赤。君にはきっとわからない。同じような赤を纏い、彼はそれでも光の道を突き進む。酷く綺麗に。何者にも負けずに。コドモの純粋さと強さを持って。
君は、強くて正しくて。
それが時折眩しくて羨ましくて……、憎さすら覚えてしまう。
「……眠れないんだ」
「は?」
「どうにもこうにもね。情けないことに、こうでもしないと眠れない」
誤魔化すように浮かべる笑顔。けれど、そんな私の言葉も真っ直ぐに貫いてくる。
「不眠症なら医者に行け。睡眠薬くらいあるだろう?」
「……そんなもの、効きはしない」
「じゃあ……」
「馬鹿なことをしていると自覚はしている。だが、どうしても必要でね。酒に溺れて女を抱いて。そしてやっと夢を見ないで眠りにつける」
「大佐……」
「私が私であるために。私の道を進むために。こんな無様な茶番が必要なのだと言ったら君は笑うか?一時の逃避をしているだけだときちんと自覚くらいはしているよ。朝になったら私に戻る。だから……このくらいは構わないだろう?」
赤は苦手だ。けれど。何人もの人間をその色に焼いたのは私自身。眠れない。暗い闇に絡め取られる。特にこんな冷たい夜は。
思い出す。一面の赤。焼ける臭い。
朝になれば戻るから。自身で決めた通りに進むから。
だから、そう。こんな夜くらいは逃避することを許してほしい。
私は睨むがごときの金の瞳にあえて満面の笑みを向けてみる。艶やかに、穏やかに。嘘だとわかる仮面の顔で。
「それとも……鋼の。君が私を助けてくれるのかい?」
「え……?」
戸惑った様子の鋼のを、半ば無理矢理引き寄せる。赤のコートがゆらりと揺れた。私の腕の中に引き寄せられるその赤の色に、私の心がざわめきを立てる。
赤は血の色。焔の赤。私へと向かう怨嗟の色。