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淡い鼓動で満ち足りる

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教室の窓から差込む朝日と、整列した机に身体を折り畳む生徒たち。静かになった教室に響くのは、担任である上屋の声だ。
 淡々と呼ばれていく生徒の名前。船を漕ぐ生徒もちらほら見受けられる中、朝の出席確認はいつも通り進んでいく。蓉司にとってもそれは同じで、自身の名前を呼ばれた際にはお決まりの返事を口にする。いつも通りの朝のワンシーン。
 しかし蓉司が返事をした次の瞬間、「いつも通り」が小さな音を立てて壊れていった。出席番号で言うと蓉司の次である人物――哲雄の名前が呼ばれた後に聞こえる筈の声がない。返事の代わりに、教室には刹那の静寂が生まれた。
「城沼。城沼は…休みか」
 上屋が哲雄の席に目配せする。それに釣られて蓉司もそちらに視線を向けると、いつもならばそこに在る筈の背中が今日はなかった。持ち主のいない机は心なしか寂しそうに思え、蓉司は暫くそこから目を離す事が出来なかった。

  ホームルームの後、哲雄にメールを送ってみた。しかし、いつまで経っても返信はない。心配ゆえにもう一度内容を変えてメールをしようと思ったものの、すぐに思い留まる。しつこいと思われたら、そもそも体調が悪いのだったら――携帯電話と見詰め合う間、次々と浮かぶ懸念がそうして蓉司を苛むのだ。そうこうしている間に時間は過ぎていく、もう4限目だ。
 黒板に並ぶ数式を見つめながら、そういえば、と蓉司は思う。蓉司が学校を休んだ際には決まって睦がメールをくれる。しかし時折、体調が優れないときにはメールを返せない事もあるのだ。不可抗力ではあるものの、睦にもこんな苦しさを与えているのだろうか。そう思うと途端に申し訳ない気持ちになった。
 蓉司の気持ちなど露知らず、当の睦は堂々と船を漕いでいたのだが。

 そして、とうとう哲雄は学校に来なかった。メールの返信もなく、放課後はどうしようか―一人迷っていたところを上屋に呼び止められる。
「城沼はね、今日風邪だったみたい。結構熱も出ていて大変みたいだよ」
 不安故に表情が蔭る蓉司に対して、上屋は追撃を仕掛ける。「今日のプリントを届けてくれ」、と。生徒を心から心配する教師ゆえの行動なのか、はたまた策略なのか、それはまた別のお話。一人の策士の心中など悟る筈もなく、蓉司は上屋からプリントを受け取った。蓉司はただただ、哲雄の家に行く――その行動に至る上で背中を押してくれた上屋に、純粋な感謝の念しか抱いていなかった。
 蓉司の最寄り駅から一つ前の駅を降り、哲雄と歩いた道を一人で歩く。今までは哲雄に連れられて歩いていた道。一人で歩くのは少々心細い道のりだ。近くの商店街で必要なものを買い、噛み締めるように歩いた先。見慣れた平屋を発見した時には心底安心した。
 インターホンを押して数秒後、耳慣れた声を聞いてからは、より強く。

 城沼家の室内は至極閑寂としていた。哲雄曰く、親御さんはまだ帰ってきていないとのことだ、その所為なのだろうか――宅内は以前感じた家庭の暖かさというものは存在しておらず、ただただ広い空間に押し寄せるような静けさが在る。暖かみのある木造の壁や柱も冷え込んだ外気に触れたせいか、些か冷たい印象すら感じるのだ。
 自室へと案内する哲雄の背中を見つめる。覚束ない足取りは普段の彼のそれとは掛け離れており、本当に体調が悪いのだという事を改めて悟った。手に取るように分かる彼の異常、幼少の頃から床に伏せる事が多かった蓉司はこの苦しさをよく知っている。
「…大丈夫か」
 哲雄の部屋に着いた頃、蓉司はそう口にしていた。確認の意も込めたそれ、哲雄はしっかりと頷く。しかし続いて咳き込む彼の姿はやはり苦しそうで、返事の通りでないという事を諒解する。同時にどうしようもなく胸が痛んだ。ごめん、そう小さく呟こうとしてやめた。折角見舞いにきたのだ、たまには哲雄の役に立てるよう行動すべきではないのだろうか。
 おもむろに布団へ潜っていく哲雄を見つめながら、どうしたら良いのだろうかと思案する。ふと床に置かれたマグカップが空になっているのを見て、薬局でスポーツドリンクを買って来た事を思い出す。手に持ったままのレジ袋から青いラベルのペットボトルを取り出し、手渡した。受け取りながら頬を緩ませる哲雄、それを見てやっと蓉司は胸を撫で下ろす。
「他にも、これ…色々買ってきたから。りんごとか…」
 白い袋に詰められた品物は、どれも蓉司に馴染みのあるものばかりだった。幼少の頃、体調を崩した時には姉である枝里香が付きっ切りで看病してくれた。そう、蓉司が買って来た品物はまさに枝里香が看病してくれた際に用意してくれた品物ばかりだ。特に摩り下ろしたりんごは食欲がない時にでも比較的喉を通りやすく、風邪の時には決まって口にしていた。優しいりんごの味は至極心に沁みるのだ。哲雄にもそんな安堵を与えられたら良い――そう思った。
「……食欲、あるか?」
 小さく頷く哲雄に、頷き返す。正直なところ、一人暮らしといえど料理は得意ではない。でも、りんごの皮むき程度くらいならばそれ相応には出来る、とは思う。
 ついでにマグカップの水を継ぎ足しして来ようと、マグカップに手を伸ばしながら立ち上がった。しかし蓉司の行動は、哲雄によって妨げられる事になる。
 予想外の状況に思わず、え、と声を漏らす。哲雄に手首を掴まれている。自身の手首から徐々に哲雄へと視線をスライドさせてゆく。かち合う視線、哲雄は真っ直ぐにこちらを見ていた。ど直球、ストレートな視線は熱に浮かされじんわりと滲んでいる。蓉司を静止させるには申し分のない程の眼差し。高まる鼓動をひた隠ししつつ、蓉司は精一杯の平静を装った。
「何だよ」
 語尾は震えてしまったものの、ギリギリ及第点レベルの声だ。だが哲雄はそれを物ともせず、強い力で蓉司を引っ張った。予想だにしなかった方向から力を加えられ、必然的に蓉司は哲雄の方へと引き寄せられる。顔が近い。身体の水分が気化していくような感覚を味わう。再び静止を余儀なくされる蓉司に、哲雄は囁く。
「ずっと、ここに……いろよ」
 掠れ気味の声。更には続けて念を押すかのように蓉司の名前を呼んだ。相変わらず真っ直ぐにこちらを見つめる双眸。視線は澱みなくこちらに注がれているのに、先程とは何かが違うような気がした。蓉司があれこれ考えているうちに、哲雄は無防備な腕をより引き寄せる。手首に縋り付くような動作。哲雄にされるがまま、蓉司はとある一つの結論に思い至った。自分でも驚くほど新鮮で、滑稽で、不思議な感覚だった。哲雄が至極―――可愛らしく思えるだなんて。
 子犬のように心細げに揺れる双眸。本来ならば子犬と形容するには頼もしすぎるからか、余計に込み上げてくる何かがあった。自身の身体に流れる血と共に巡り行く、穏やかな感情。哲雄といえど、こうして床に伏せるのは心細いのだろう。一瞬にして全身へと届く優しい感情に促されるかのように、行動する。縋るような哲雄の手を、空いた方の手で取り、両手で包み込んでやる。まるで、子供をあやすかのように。
「ああ、ここに……いる」
作品名:淡い鼓動で満ち足りる 作家名:nana