淡い鼓動で満ち足りる
そう口にした後、蓉司は思い出す。この状況に対する既視感を覚えていた。そうだ、蓉司が風邪を引いたときには枝里香がこうしていつも、手を握っていてくれたのだ。女性らしい小さくて、柔らかな手。彼女の手は心地良く、今でもその感触を思い出せるほど。自分の手は枝里香のように柔らかな手ではないものの、あの安堵感を欠片だけでも哲雄に与えられたなら。押し寄せるような静寂はすぐそこに在り続ける、だからこそ哲雄の不安の糸が少しでも、解けますようにと。
蓉司の想いに気が付いたのか否か、とある瞬間に哲雄は瞼を伏せた。心なしか、風邪故の苦しさも取り払われたかのように思えた。少しでも役に立てたのだと思うと、急に胸が熱くなる。今日は哲雄の為に来たのだから、彼が願う事をなんだってしてあげたいのだ。
哲雄に求められる、謂わばそれは本望だ。
差し当たり、哲雄が眠るまではずっとこうしていよう。数刻後に聞くであろう安らかな寝息を想像しながら、蓉司はそっと微笑んだ。
作品名:淡い鼓動で満ち足りる 作家名:nana