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あなたの外に。

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あなたの外に。





 ――ては、いけない。






 目の前にはだんご。
 そして今にもため息をつきそうな渋い顔の修験者。
 加世は今自分がどれだけぶすくれた表情でいるのか、分かっていた。
「でね、薬売りさん、わけわかんないこと言うだけ言って、またどこかにふらりと行ってしまったんですよ!」
「まあまあ、まだ江戸には居るのだろう?」
 修験者――幻殃斉は、広げた扇子で顔を隠しながらなだめるように言う。
 女性というものは、押しなべてお喋りで鬱憤を晴らすものだ。
 それは幻殃斉にも分かっているのか、とにかく聞き役に徹していた。
「そりゃあ、別に二度と会えないってわけじゃありませんよ? でもなんだかもやもやした気持ちになってしまうんですよ!」
「……ふむ。そんなにあの薬売りのことが気になっておるのか」
「違いますー!」
 即答。
 そこで、加世は荒い息をついていることに気づき、ひとつふたつと深く息を吸う。熱くなっていた頬が冷えていく。
 目の前の団子がようやく目に入る。ぱくりと、串にささった団子を一つ口に放り込んだ。
「気になると言うか、なんというか。薬売りさん、前と少し雰囲気が変わってしまってて」
「前というと、坂井家の化猫騒動だな?」
「そう。前はもうちょっと話しやすい人だったのになあ」
 二口目の団子を食べる。しょうゆ味のたれが甘い。
 もう一度だけ息をつく。頭はすっかり冷えていた。
「人は変わるものよ。いや、変わらぬ人など居らんと言ったほうがよいか」
「……分かってますよ。そのぐらい」
 今までのモノノ怪騒動を見ていても、よくわかる。
 人というのは、本当に複雑だ。
 薬売りさんはこれからも苦労するんだろうな、と加世は想いを馳せる。
「でも、だとしたら、変わってしまった理由は何なんだろう」
 まさか、あの時の薬売りさんとは別人だったのだろうか?
 思って、すぐに加世は否定する。考えたくなかった。
 自分の知っている薬売りであってほしかった。
「あの薬売りは、いろんなモノノ怪を斬ってきたのだろう?」
「うん。だと思う」
「ならば、いちいち感情移入してはやってられんのだろう。人の心など、決してきれいなものばかりとは言えん」
 幻殃斉の言葉に、加世は何も言えなかった。
 そういえば、あの時、別れる時、薬売りは何を言ったのだろう。
 どうしてか、思い出せなかった。



「ああ、なんだかすっきりした。話、聞いてくれてありがとうございます」
「いやいや。袖振り合うのも多少の縁と言うしな」
「そうですね。あ、すみませーん! まんじゅうください!」
「……なんだそれは。嫌がらせか」
「あ、ごめんなさい! 普通にお礼のつもりだったんだけど!」
「……まあ、よいわ」







 カァ、カァと、暗い橙色の空の中、烏が泣き喚いている。
 その声が加世には悲しげに聞こえた。
 けれど、烏が本当に悲しんでいるのかどうかなんて、分からなかった。
 ――しばらく、江戸にいます。
 薬売りの言葉。
 それで、加世はなぜかほっとした気持ちを覚えた。
 理由は、分からない。
 ――また、会えます?
 尋ねる。なんとなく、返事は分かっていたが。それでも。
 ――さあね。
 やはり、そうくるか。
 分かっていたから、仕方ないかという顔でいられた。
 これから先がどうなるか、なんて。本当に誰にも分からないことだ。
 だから返事をあいまいにしたかったのかも、しれない。
 ――第一、私に会うということは、またモノノ怪に会うということですよ。
 加世ははたと、目を見張る。
 ――怖い思いを、またしたいんですかい?
 しばしの間、黙り込む。
 正直、また巻き込まれるのはごめんだ。
 けれど、それならば。すぐに湧き出た疑問。
 加世は口を開く。
 ――薬売りさんのほうは、どうなんですか?
 ――どう、とは。
 ――辛く、ないんですか?
 もしかしたら、薬売りは、笑ったのかもしれない。
 その感情を読み取るには、加世はまだ薬売りとの意思の疎通が足りていない。
 薬売りは、いつもの言葉を口にする。
 ――私は斬るだけ、ですよ。
 カツリ、と下駄が鳴る。
 行ってしまう。
 追いかけようとする。
 けれど足は進まない。
 ――私とは、会わないほうがいいんですよ。
 頭が、真っ白になった。
 言葉が出てこない。ひりひりとした喉。

 ――気づいては、いけない。

 そう。そんな言葉を、薬売りはこぼしていったのだ。





 夢だった。
 夢の中で、思い出した。
 怒りと、哀しみと。いろんな感情が浮かんでくる。
 ぐちゃぐちゃしていて、わけがわからなくなる。まるで雨雲のような、灰色の気持ち。
 だから、走り出すことしかできなかった。



 会えるとは思っていなかった。
 当然、会えなかった。
 街中でただ走っただけなのだ。そうそう偶然も奇跡もあるものではない。
 それに、別れてもう数日が経っている。もう江戸には居ないかもしれない。
 朝焼けの中、眠気は吹き飛んでいた。頭もはっきりしてくる。
 今身近にいる知り合い。そう考えて、思い浮かんだ顔。
 すぐさま、宿に向かってみた。
「……なんだ。また話を聞いてほしいのか?」
 部屋から出てきた幻殃斉は、微妙な表情を浮かべていた。
 身支度しているところから、もしかしたらこれから修行のための山に向かうところだったのかもしれない。
 迷惑だと分かっていつつも、加世は幻殃斉に頭を下げた。
「ごめんなさい、突然押しかけて。薬売りさんの居場所を知りませんか?」
「会って、どうする?」
「文句を言う」
 その言葉に、幻殃斉は思わず、といった様子で吹き出した。
「ははっ、なんだそれは? まあ、おぬしらしい気もするが」
 むぅ、と加世は頬を膨らませる。
「どうやら、言いたいことはもう、決まっているようだな」
「はい」
「この宿を出て左、その先の川原で騒ぎがあったようだぞ。人が変死したと」
 感謝の言葉と、走り出したのは同時だった。





 その姿を見つけて、すぐさまその手を掴んだ。
「感謝ぐらいさせなさい!」
 ぴしゃりと、言い放った加世の言葉に、薬売りはぽかんとした顔を見せた。
 こんな表情を見られるなんて、珍しい。そんなことを頭の片隅で思いつつ、加世は続ける。
「薬売りさんは立派です。薬売りさんがどう思っているかは分かりませんけど、あたしは勝手にいい人だってことにしておきます。というか、させてください!」
「おやおや、ずいぶんと」
「最後まで話は聞く! というか、これだけ覚えておいて!」
 すう、と加世は深呼吸する。
 そして、その手をしっかりと両手で包み込んだ。
「薬売りさんが何も受け取らなくても、私はずっと感謝していますから!」
 少しでもいい。伝わってくれ。
 まっすぐに見上げる視線からも、この手の熱からも。
 化猫のときも、海坊主のときも。
 この人が居なければ、今自分はここに居なかっただろう。
 これから先、限りない旅を続けていくのだろう。
 辛いことばかりだろう。けれど、そうでないこともあるはず。
 加世はそんなものの一つとして、ありたかった。
「……加世さん」
「はい」
作品名:あなたの外に。 作家名:huku