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その狭間

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九月初旬、白露の涼しい夜だった。澄んだ虫の声が響く。閉めたはず窓の隙間から風が通り抜けて、かたかたとガラスがかすかな音を立てている。ふと、妙な気配を感じてぴったりとくっつけていたまぶたを薄く開けた。やわいシーツをはねのけて起き上がる。あたりはうす暗い。起きがけの目はうまく働かず、ドイツの目には部屋の様子も靄がかってうつっている。
ようやく彼の目が鮮明に動き始めたころ、先程まで静かに鳴いていた虫は、いつのまにか鳴き止んでしまっていた。あたまを覚醒させようと、しばらくベッドに腰かけてぼんやりとしている。すると、やがて嫌な気配がひしひしと濃度を増していくのを感じた。キョロキョロとと瞳だけを動かす。どうやら部屋の外に気配の主があるらしい。ひとつ息をして、ゆっくりとベッドを降りる。気配を辿って冷えた床に足を滑らせる。
かしゃん、と音がした。ドイツは思わず身をこわばらせたが、どうやらそれは窓だったらしい。気配はこの外か。そう推し量って、目をこらしてはしこく鍵を外す。こんな時間に、こんな高い場所に、一体誰なのだろう。よもや幽霊を信じる年ではないけれど胸が高鳴る。少し、怖い。細い腕に力を込めて身構えた。人間の男一人程度なら、幼いながら彼でもたやすい。窓の方を強く睨み上げる。そうしてゆっくり間合いを詰めていく。どきどきとはやい鼓動を脈うつ心臓を、片方のてのひらでぎゅっと押し潰す。
ガシャン、と勢いよく窓が開いた。開けた窓からゆるやかに空気が入り込んでくる。ドイツは息をころす。しんとして、しかし、待てど暮らせど結局なにかの人影が部屋に入り込んでくることは、なかった。かすかな安堵と、興醒め。体の重心にのしかけていた力をそろそろと解く。そうして外の気配をと、窓枠に手をかけて少しかかとを持ち上げる。
外の様子も、何らおかしいところはないようであった。気配は気のせいだったのだろうか。そう考えてドイツは首をかしげる。まだ気配は薄らとあるというのに?けげんに思いながらも、しかし姿がないのでどうしようもない。ずっとそうしているわけにもいかず、浮かせた踵をゆっくりと床につける。……寝よう。一息呼吸を深く吸い込む。ぬるい風がゆっくりと体内に流れ込んでくる。
ふと、眉をひそめた。鼻に絡み付く異臭。鼻腔を通ったぬるい風からかすかに、だが紛れもなく嫌な臭いが漂った。そして、思う。このにおいを知っていると。派手な身なりで頬に血をちらして、体中で皮下出血をさせて、笑顔で帰ってくる男。そのひとはたしかにこういう臭いをさせていた。肉の饐えた匂い、そしてなにかの焦げた匂い。……ああ、そうだ、兄さんの、におい。
窓の外に身を乗り出したまま、きょろきょろと眼下に広がった暗い庭先に目をこらす。短躯のドイツが背伸びをしてかろうじて見える距離に、一条、細い煙が伸びている。そしてその煙の元にうずくまっている、細く伸びる人影。どくどくと、異様な勢いで体内の血が巡る。気配の正体はあれに違いない。そう思って目を細める。煙の元の人影を、ようやくしっかりととらえる。
誰なのかは、わからなかった。ただ、闇にまぎれた広い背中の男が、膝を突いて何かを焼却炉に向かって投げいれているだけがわかった。ドイツが見ている限りでは、ただ延々と。細い煙はそのひとが薪かなにかを投げいれるたび、濃さを増していく一方である。
ドイツはそうして、そのひとに妙な恐怖心を植え付けられた。誰なのかも知らなければなぜそうしているのかもわからない。ただ、一刻も早く見なかったことにせねばなるまいと思った。開け放していた窓を、あわてて閉てる。そうして窓の死角に体を隠した。ややあって、そっと首を出してそちらの方向を見やる。その人はまだ、とりつかれたようにかがんでは焼却炉に薪のようななにかを投げいれている。ドイツが見ていたのにはどうやら気づいていないらしい。それを確認して、再び首をひっこめた。そうして少し、安堵を得た。


開け放った窓から、やにわに乾いた風が入り込んだ。五月にしては少し冷たいように思われる、西風。読みかけの本の頁が二三枚、ぱらぱらとゆるやかにめくれていく。その、紙の擦れる音でハッとまぶたをあけた。ドイツはかすかに顔をあげる。どうやら少し、眠っていたらしい。遠い昔の夢を見ていた。さらした額にどんよりと、嫌な汗をかいている。
縁無しの柄の薄い眼鏡を外して、ふと窓の向こうを見やった。幼い頃から相変わらずのシンプルな薄青いカーテンは、窓枠の外で時折風にゆらゆらと揺れている。その風に、少し耳をすませてみる。やわい風の音がなめらかに耳に入り込んでくる。
しばらくして、ふと風が凪いだ。カーテン空隙から、チラチラと空がわずかに曇り始めているのが見えている。どうやら、一雨来るらしい。ドイツは寝起きの、ぼんやりとした足取りで窓部に寄った。部屋の内にカーテンを入れこんで、ぱったりと窓を閉める。そうして、窓に背を向けようとしたその時である。ドイツは視界の端の方で、なにやら鉛色の鉄の塊が揺れたのに気がついた。否、揺れたのは鉄の塊ではない。青々とした木々の方だった。揺れた木々の隙間から、見覚えのある塊が覗いている。はて、あれはなんだったかと考えるひまもなくどくどくと心臓がはやい脈を打ちはじめる。ぼんやりと靄がかっていた意識が一気に覚醒する。……あの夢の。おもわず、そう一人ごちた。ドイツの頭は隅の方でぼんやりと夢の続きを、あの夜の翌朝のことを、思い出し始めている。まだ国として幼かったあの頃の記憶が、ゆるゆると巻き戻っていく。
焼却炉の前に立つ人影を見た翌朝、ドイツは、その晩のことを兄に話そうとして途中で言葉を詰まらせた。話してはならぬと、なにかが本能に訴えたのである。考えれば単純なことであった。誰かに知られてよいことならば、あんな夜更けにこそこそと焼却炉を使うはずがない。知れてはいけないから、きっとあんな夜更けに。そのことを理解して、ドイツは途端にうろたえはじめたのであった。眼前のひとは、途中で黙りこくってしまったドイツに何やら不思議そうな表情を向けていた。あ、いやその、やっぱり、何でもない…。どうしようもなく思わず言葉を濁す。うろうろと視線を泳がせていると、にわかに、頬に額にキスが降ってくる。何かあったらいつでも言えよ。そう言うそのひとの表情は、やっぱりどこまでも優しかった。……うん、兄さん。憧れのひと。


その、随分昔のことを思い出してドイツは再び、閉めた窓の外を見やった。今では鬱蒼と茂った草と木の根によってそこここはおおわれ、焼却炉は時折吹きこんだ風でようやくその姿の一半が現れるほどでしかない。花も落ちてしまったのか枯れてしまったのか、はたまた、踏みつけられてしまったのか。雑駁に見わたすも、使われた形跡は一向に見つからない。
作品名:その狭間 作家名:高橋