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その狭間

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ドイツはふと窓から視線を逸らした。いや、心底思い出したくない夢だ。そう結論付けて、薄いクリーム色の紙へとうつす。しばらく目で文字を追う。けれど、なぜだかどうも眼前の小さな文字はつまらない。ドイツはしかたなく肩を落とし、読みかけの本にしおりをはさんで閉じた。それを隙間のできた本棚に仕舞う。それからぐっと手を伸ばしてカーテンを引く。部屋に入る光の筋が遮られる。そうしてドイツはしらずしらずのうちにぽつりとうわごとを呟いて、自分の部屋を後にした。そう、あの夜の、焼却炉のひと。
階段を下りた先のリビングで、プロイセンは、インターネットを開いていた。マウスを叩く細い指、頬づえをつく白い腕、とっくに位をしりぞいて丸くなった骨っぽい背中。その後ろ姿にちいさく声をかける。…あの、兄さん。
振り向きざまに、ぎいと椅子が軋る。光を帯びたやわい髪がわっとこちらを向いた。はねた毛先が、ひょこひょことおかしな方向に揺れている。少し訊きたいことがあるんだ。ハ、お前がおれに?そりゃ珍しいこった。くっと笑ったプロイセンの唇の間から、白い歯が覗く。その笑顔がひどくあたたかくてまぶしい。ドイツは目を細める。この人はどんなときもおれを正当化し受け容れ、けして陰を見せぬ、光の源のようなひと……ドイツはそう、思っていた。確信していたのだ。
……あなたはそこの焼却炉の存在を知らないか。あの日、けして口にしてはならぬと閉ざした言葉。深く、肺に空気を送ってゆく。当時感じた恐怖も、今となっては些細な疑問である。これといった反応もない兄の横顔を、鋭く見据える。そうしてドイツは、そのひとの黒目がひととき、キュッと小さくなったのを、キッチリと見逃さなかったのだった。彼はなにも言わないけれど。ドイツは続ける。なんでもいい、たとえば何をしていただとか、誰がしていただとか。


骨を、とたしかにプロイセンが言った。しばらく口を閉ざしていた彼が、そう、唐突に。ぼんやりと思案に暮れていた頭を突然引き戻される。……何だって?兄の横顔はいよいよ厳しい。細められた眼精がかすかに泳いでいる。そうしてすっかり手を止めた兄の腕をやわく掴む。教えてくれないか、兄さん。
ややあってうつむいたそのひとの表情を汲み取ることは、いつしか不発に終わってしまっていた。ふとやわい力で掴んでいた手は軽く振りほどかれる。骨を。またプロイセンが言った。骨を?語尾を上げぎみにして問う。どうにもまだるっこしい。なかなか話出そうとしないそのひとに、その先を促すようにトントンと指先で机を打つ。すと空気を吸い込む音。そのひとが、無言でドイツに体を向ける。今日兄を真正面から見据えたのは、はじめてだと、ふとそう思う。
……骨を焼いていたんだ。戦で死んでいった、敵か味方もわからない骨を。
ドイツはきいて、少し驚いた。あの夜の焼却炉のひとがまさか、兄だったことに。彼にとって光の源だったひとが、そういう陰を隠し持っていたことに。そして自分がそれほどの衝撃を、受けていないことに。
ハッとして顔を上げると、怒りか悲しみか、はたまたか悔しさかで、そのひとの肩がぶるぶると震えていた。プロイセンの、うつむきがちの下唇に鋭い歯が食いこむ。薄い唇の皮膚はどうやら既に裂けてしまっているらしかった。唇のしわを伝って、静かに血を流している。ドイツは、茫然としてその唇に手を伸ばす。……兄さんよくない、そんなに噛むから、血が。それが今かけるべき言葉ではないのを、ドイツは知っている。頭の中ではたしかにわかっている。しかし行動は、伴わなかった。ぐっと赤い瞳が、珍しくドイツを強く睥睨する。お前は。兄の言葉に聞く耳もなく眩暈がおそう。どうしようもなく、興奮しているのだ、おれは。
伸ばした手は、みるみるまにプロイセンの唇に吸い寄せられた。やわらかい、血で少し湿った唇。ドイツは生唾をのむ。お前は。そうして再び、はっとするようなそのひとの声が降ってくる。……お前はまだ子どもだ。だからこんなことは言いたくはない、お前にはまだ綺麗なものを見て育ってほしい、だけど仕方がないんだ、国である以上まぬがれないことで…どうか、許してくれよ。
そのひとはたしかに、そういう物言いをした。それはまるで幼子を相手にするようであって、ドイツはわずかに赤面する。その隙、唇におしつけた手をゆるやかにはらわれた。兄の唇を伝った血がねっとりと、ドイツのかたい皮膚を濡らしてくる。
その血のしたたる先を、プロイセンは黙って、じっと見つめていた。瞳の紫がかったのが消えて、もうすっかり赤に近い。兄の深く、それでいて鋭く見据えられたその目はたしかに、昔の兄そのものである。それに気付いたとき、ドイツは悟られないよう浅く熱い息を吐いた。結んだ拳に汗をかいている。もう子供なんかじゃない、頭の底ではそう思っているのに、しかし兄に逆らうのはなぜかできないまま。
……おれが、子ども。ごちるようにそう返して、ドイツはわずかに腰を上げた。そのひとの肩にすっと手を滑らせる。そうして体におおいかぶさるようにして、ゆっくりと下唇に噛みついた。じんわりと広がる、そのひとの、鉄の味。頭の隅の方で焼却炉の、ひどく重そうな鉄の扉が、ふいに思い起こされる。どくりどくりと、心臓が重くうごめきはじめる。
噛みついた下唇の先、そのひとの整った歯列を、ゆるゆると舌先でなぞってゆく。辛そうに歯の隙間から洩れる、吐息を含んだ声。うう、はあ。絡めた舌がこころなしか熱を帯びていて、熱い。唇の端から嚥下しきれなかった唾液が糸を引いて顎先を伝っている。それを舌で絡め取っていく。透明に光る、あの夜の焼却炉の人の、兄の、唾液。
そっと唇を離すと、椅子から浮かせた腰骨が力なく、震えていた。頬があつく上気している。視界に水分の膜が張って、兄の顔をうまくとらえることができない。浮かせた腰をそのまま椅子に落とす。落ち着こうと、浅く息を吐き出してゆっくりと目を閉じた。赤い。おおいかぶさろうとした瞬間の、とまどいがちに揺れた兄の瞳が、網膜に焼き付いて離れない。そうだ、さながら飼い犬に手を噛まれたような表情であった。滑稽だ、主導権はすでに俺が握っているのに気付かないで、まだ子どもだのどうだの言っているなんて。心のうちでくっと笑みをもらす。子どもはどっちだ。思いながら、兄の耳元にくちびるを寄せる。どうだ兄さん、おれはこれでも子どもなのか。
途端、そのひとは真っ赤になって、弾かれたようにバッと立ち上がった。ぼんやりとした視界のせいで、表情はよくわからない。ただ、厳しい声で、ああ、お前はずっと餓鬼のままだ、少なくともこんなことで大人になった気でいるうちはな、と癪にふれたように言って、忙しなくドアを開け閉てをしてリビングを出て行ってしまった。水分の膜を通してぼんやりと見やったその背中は、たしかにあの夜に見た背中と、寸分も狂わない。
作品名:その狭間 作家名:高橋