soap opera
妙な予感がしたのだ。
あの飲兵衛で酒癖の悪いイギリスが、柄にもなくお上品にワイングラスなんて揺らしているものだから。
豊満な曲線を描くグラスにそそいだ紅い液体が、ゆらりゆらりと廻る。たちのぼる豊かな香りは、向かい側に座っているフランスのところにまで届きそうだ。しなやかな指先でグラスの脚を器用につまんで、イギリスはくいっと一息にあけた。頸が仰け反って、日焼け知らずの白磁の喉元と、浮き出た喉仏があらわになった。
ついつい細い首に目がいってしまったのだが、相手は気づいていないようだ。
「どう?俺の大事な秘蔵っ子は」
「ん」
味の感想を求めれば、あからさまな褒め言葉こそないものの、イギリスはずいっと空になったグラスを突き出してくる。
イギリスの場合、口よりもその行動の方が雄弁に本音を語っていたりする。
「そうかそうか」
フランスは気前よく少し多めについでやった。「やに下がってんじゃねーぞ、気味悪ィ」なんて返ってくる悪態も、いつもより毒がない気がする。
フランスも手酌で自分のグラスにワインをそそぎ、つまみのチーズをひとかけら、口に放り込む。イギリスの手みやげだ。
チーズにジャムにエールなどなど。彼の家でつくられる食材の素材自体は悪くないものばかりだというのに、それが彼の手にかかると、どうして残念な出来映えの料理に化けるのか。それを食わされる周囲の人間(おもにフランス)及び犠牲になった食材がかわいそうだ。
上質なアルコールが血液の流れに乗って身体に染み渡る。目元や頬、襟首からのぞくイギリスの首筋が、ほんのりと紅く染まっていく。この坊ちゃん自身も、素材は悪くないのだ、素材は。問題はその内面、性格や性癖その他が大いに難有りなだけで。
ワインをちびりちびりと舐めながら、「なぁフランスぅ」と、ろれつのあやしい声が呼ぶ。
「俺、結婚するんだ」
「へーそうなん」
間違えた。つい。
ヒトではない自分たちが《結婚》といえば普通、意味するところは国同士の吸収・合併である。しかし、イギリス連邦が連合王国となるべき相手が、近所にあっただろうか。
「初耳だけど、どこと一緒になるんだ?」
「ちげーよ馬鹿、国同士じゃねぇ。相手はヒトだよ。俺んちの」
「……へー」
結婚するんだ。ほろ酔い加減の顔をほころばせて、イギリスはまたつぶやいた。
結婚なんて、すばらしいじゃないか。ふたりの未来に幸あれ!――と、自分の部下や友人たちからもたらされた結婚報告だったなら、フランスは手放しで祝福し、ウェディングパーティーのシェフ役まで買って出ていたところだろう。
だが、報告の主は、こともあろうにイギリスそのひとであった。喜べるはずがない。ごとり、とグラスの底がいささか乱暴に、机の天板とぶつかって音を立てた。
フランスはボトルの残りをイギリスのグラスに空けてやった。これ以上飲むと悪酔いしそうだった。口直しにチーズをつまむ。
「で、そのしあわせな花嫁さんはどこのどちらさま?」
「俺の部下の娘、兄妹の末っ子。年齢は、俺の外見年齢とタメくらい」
「美人?」
「そりゃーもう。家事も完璧なんだぜ。ちなみにお前が食ってるそのチーズも彼女の手作りな」
「んぐっ?!」
素朴で芳醇な味わいのチーズが、とたんにフランスの口の中で石けんみたいな味に化けた。
ゴムみたいな触感のそれを飲み下し、フランスは彼の顔をのぞきこむ。緑の瞳にしかめっ面のフランスが写る。
「お前とは長ーい付き合いだし、今度会ってあいさつしとかなきゃいけないなぁ。なんてったって俺ら、そんじょそこらの付き合いじゃないからねぇ?」
頬にキスしてやっても、ほろ酔い顔の中の冷めた瞳が、うっとうしそうにフランスを見返してくるだけ。
幼なじみで、腐れ縁で、ライバルで、敵国で、恋人だった。喧嘩したり殴り合ったり愛し合ったりしながら、なんだかんだで一緒にいる。横からイギリスをかっさらっていくからには、恨み辛みの一つや二つ、お見舞いさせてもらおうか。
「ばーか、お前に会わせてやるわけねーだろ」
「じゃあお兄さんちに何しに来たのよ坊ちゃんは」
「んー?そりゃもちろん」
――いやがらせ。
いやな笑みを浮かべてのたまうイギリスの手からグラスを奪って机に置く。なにしやがるまだ飲むんだ、とのばしてくる手首をつかんで、ソファの背もたれに押しつける。
「いい加減にしないと、いくらお兄さんでも怒るぞ」
「顔がこえーよ、マジで怒ってんのか?」
「あったりまえでしょうが。お前と何年付き合ってきたと思ってんの。……でもやっぱりお前は女の子がいいんだな。結局は俺を捨てて嫁さんもらって、自分だけしあわせになろうって魂胆か?そうはいかねぇ。お前を帰さねぇからな。一生俺のところに閉じこめて、『アッ―!』っていう目に遭わせて、」
ゴツッ!――と、イギリスに頭突きをかまされて、フランスは強制的に黙らされた。
「いっ、おま、石頭……っ!」
「てめぇこそ、いい加減にしやがれこのワイン野郎!」
「なによ一番盛り上がるイイとこだったのに」
「うるせぇ!変態妄想でノリノリになるな!」
妄想が暴走した。『嫉妬に狂う俺、にイギリスが性的に痛めつけられる』辺りまで受信したところで、そのイギリスに怒られた。
「寝言は寝てから言えよ!俺が《女》と付き合うなんざ、はじめての話じゃねーだろうが」
今までも、イギリスが《国家》ではない女性と付き合っているという話は聞いていた。だからといって「俺というものがありながら」と嫉妬の炎に燃えるフランスではない。
時おり、人間の女の子に手を出すものの、イギリスの交際が長続きした試しがなかった。自分と相手はそもそも生き物としての種類が違うと、イギリス自身が分かっているはずだ。だからこそ一定のところで線引きをしているのだろうとフランスは思っていた。
身も蓋もなく言えば、相手の女の子とやらは歯牙にもかけていなかったのだ。
それが今回は、結婚、である。さすがのフランスも心穏やかではなかった――と思いきや。
「いやー、間男の座に引きずり下ろされて病んじゃった恋人、の演技してたら楽しくなっちゃって」
「お前、つくづく変態だな」
しみじみと言ってくれるイギリスの顎を空いた手でつかんで、さらに顔を近づける。
「楽しくなって……本気になっちゃった」
「はぁ?」
「このまま、やろうか」
「おい、なにひとりで盛り上がって、んう」
くちびるでふさいで声を閉じこめて、閉じ合わせたまま舌を忍ばせ、ぬるりと口蓋を舐めてやった。首筋の金色のうぶ毛がそわりと逆立つ様を目で楽しみながら、エメラルドの瞳がとろけ落ちていくまでキスをする。
その夜は先述どおり、愛憎うずまき嫉妬に狂う男になりきって、心行くまでイギリスをいじめてやった。愉しかった。
*
あの飲兵衛で酒癖の悪いイギリスが、柄にもなくお上品にワイングラスなんて揺らしているものだから。
豊満な曲線を描くグラスにそそいだ紅い液体が、ゆらりゆらりと廻る。たちのぼる豊かな香りは、向かい側に座っているフランスのところにまで届きそうだ。しなやかな指先でグラスの脚を器用につまんで、イギリスはくいっと一息にあけた。頸が仰け反って、日焼け知らずの白磁の喉元と、浮き出た喉仏があらわになった。
ついつい細い首に目がいってしまったのだが、相手は気づいていないようだ。
「どう?俺の大事な秘蔵っ子は」
「ん」
味の感想を求めれば、あからさまな褒め言葉こそないものの、イギリスはずいっと空になったグラスを突き出してくる。
イギリスの場合、口よりもその行動の方が雄弁に本音を語っていたりする。
「そうかそうか」
フランスは気前よく少し多めについでやった。「やに下がってんじゃねーぞ、気味悪ィ」なんて返ってくる悪態も、いつもより毒がない気がする。
フランスも手酌で自分のグラスにワインをそそぎ、つまみのチーズをひとかけら、口に放り込む。イギリスの手みやげだ。
チーズにジャムにエールなどなど。彼の家でつくられる食材の素材自体は悪くないものばかりだというのに、それが彼の手にかかると、どうして残念な出来映えの料理に化けるのか。それを食わされる周囲の人間(おもにフランス)及び犠牲になった食材がかわいそうだ。
上質なアルコールが血液の流れに乗って身体に染み渡る。目元や頬、襟首からのぞくイギリスの首筋が、ほんのりと紅く染まっていく。この坊ちゃん自身も、素材は悪くないのだ、素材は。問題はその内面、性格や性癖その他が大いに難有りなだけで。
ワインをちびりちびりと舐めながら、「なぁフランスぅ」と、ろれつのあやしい声が呼ぶ。
「俺、結婚するんだ」
「へーそうなん」
間違えた。つい。
ヒトではない自分たちが《結婚》といえば普通、意味するところは国同士の吸収・合併である。しかし、イギリス連邦が連合王国となるべき相手が、近所にあっただろうか。
「初耳だけど、どこと一緒になるんだ?」
「ちげーよ馬鹿、国同士じゃねぇ。相手はヒトだよ。俺んちの」
「……へー」
結婚するんだ。ほろ酔い加減の顔をほころばせて、イギリスはまたつぶやいた。
結婚なんて、すばらしいじゃないか。ふたりの未来に幸あれ!――と、自分の部下や友人たちからもたらされた結婚報告だったなら、フランスは手放しで祝福し、ウェディングパーティーのシェフ役まで買って出ていたところだろう。
だが、報告の主は、こともあろうにイギリスそのひとであった。喜べるはずがない。ごとり、とグラスの底がいささか乱暴に、机の天板とぶつかって音を立てた。
フランスはボトルの残りをイギリスのグラスに空けてやった。これ以上飲むと悪酔いしそうだった。口直しにチーズをつまむ。
「で、そのしあわせな花嫁さんはどこのどちらさま?」
「俺の部下の娘、兄妹の末っ子。年齢は、俺の外見年齢とタメくらい」
「美人?」
「そりゃーもう。家事も完璧なんだぜ。ちなみにお前が食ってるそのチーズも彼女の手作りな」
「んぐっ?!」
素朴で芳醇な味わいのチーズが、とたんにフランスの口の中で石けんみたいな味に化けた。
ゴムみたいな触感のそれを飲み下し、フランスは彼の顔をのぞきこむ。緑の瞳にしかめっ面のフランスが写る。
「お前とは長ーい付き合いだし、今度会ってあいさつしとかなきゃいけないなぁ。なんてったって俺ら、そんじょそこらの付き合いじゃないからねぇ?」
頬にキスしてやっても、ほろ酔い顔の中の冷めた瞳が、うっとうしそうにフランスを見返してくるだけ。
幼なじみで、腐れ縁で、ライバルで、敵国で、恋人だった。喧嘩したり殴り合ったり愛し合ったりしながら、なんだかんだで一緒にいる。横からイギリスをかっさらっていくからには、恨み辛みの一つや二つ、お見舞いさせてもらおうか。
「ばーか、お前に会わせてやるわけねーだろ」
「じゃあお兄さんちに何しに来たのよ坊ちゃんは」
「んー?そりゃもちろん」
――いやがらせ。
いやな笑みを浮かべてのたまうイギリスの手からグラスを奪って机に置く。なにしやがるまだ飲むんだ、とのばしてくる手首をつかんで、ソファの背もたれに押しつける。
「いい加減にしないと、いくらお兄さんでも怒るぞ」
「顔がこえーよ、マジで怒ってんのか?」
「あったりまえでしょうが。お前と何年付き合ってきたと思ってんの。……でもやっぱりお前は女の子がいいんだな。結局は俺を捨てて嫁さんもらって、自分だけしあわせになろうって魂胆か?そうはいかねぇ。お前を帰さねぇからな。一生俺のところに閉じこめて、『アッ―!』っていう目に遭わせて、」
ゴツッ!――と、イギリスに頭突きをかまされて、フランスは強制的に黙らされた。
「いっ、おま、石頭……っ!」
「てめぇこそ、いい加減にしやがれこのワイン野郎!」
「なによ一番盛り上がるイイとこだったのに」
「うるせぇ!変態妄想でノリノリになるな!」
妄想が暴走した。『嫉妬に狂う俺、にイギリスが性的に痛めつけられる』辺りまで受信したところで、そのイギリスに怒られた。
「寝言は寝てから言えよ!俺が《女》と付き合うなんざ、はじめての話じゃねーだろうが」
今までも、イギリスが《国家》ではない女性と付き合っているという話は聞いていた。だからといって「俺というものがありながら」と嫉妬の炎に燃えるフランスではない。
時おり、人間の女の子に手を出すものの、イギリスの交際が長続きした試しがなかった。自分と相手はそもそも生き物としての種類が違うと、イギリス自身が分かっているはずだ。だからこそ一定のところで線引きをしているのだろうとフランスは思っていた。
身も蓋もなく言えば、相手の女の子とやらは歯牙にもかけていなかったのだ。
それが今回は、結婚、である。さすがのフランスも心穏やかではなかった――と思いきや。
「いやー、間男の座に引きずり下ろされて病んじゃった恋人、の演技してたら楽しくなっちゃって」
「お前、つくづく変態だな」
しみじみと言ってくれるイギリスの顎を空いた手でつかんで、さらに顔を近づける。
「楽しくなって……本気になっちゃった」
「はぁ?」
「このまま、やろうか」
「おい、なにひとりで盛り上がって、んう」
くちびるでふさいで声を閉じこめて、閉じ合わせたまま舌を忍ばせ、ぬるりと口蓋を舐めてやった。首筋の金色のうぶ毛がそわりと逆立つ様を目で楽しみながら、エメラルドの瞳がとろけ落ちていくまでキスをする。
その夜は先述どおり、愛憎うずまき嫉妬に狂う男になりきって、心行くまでイギリスをいじめてやった。愉しかった。
*
作品名:soap opera 作家名:美緒