soap opera
雨が降っている。きっとイギリスが連れてきた雨なのだろう。
訃報を受け取った。イギリスが一緒になったという相手が天に召されたらしい。彼本人から結婚報告を受けてから数十年後のことだった。
呼び鈴に呼ばれて玄関の扉を開けると、イギリスが立っていた。土砂降りの雨の中を傘も持っていない。髪や服のすそからぽたぽたとしずくが落ちて、ポーチの乾いた敷石の上に水たまりをつくっていた。
「イギリス、どうしたのその格好は」
「ひっでぇ雨だな」
枯れた声。この涙雨は、お前のせいなんじゃないの?――フランスは声に出さずにつぶやいた。
つとめて明るく「またお前はー!とにかく中入って!」と、イギリスの手首を引く。素直についてくるイギリスに、これは重症だとフランスはひそかに顔をしかめた。
「身の回りはもう片づいたの?」
「……ったんだ」
「うん?」
玄関からいくらも歩かないうちに、イギリスのか細い声が聞こえてきて、フランスは立ち止まる。
「しょせんは、ゴッコ遊びだったんだ」
はじめから分かりきっていたことだ。《国》と《ヒト》一生添いとげることなど叶わない。
イギリスが結婚した、とは言ってもそれは、疑似的な婚姻関係だったのだ。内縁の妻、というやつだ。あるいはいい歳した大人のままごと遊びか。
葬送に立ち会って、それでおしまい。片づけも何もなかった。
「それでも、お前は本気だったんだろ」
結婚していた間、プライベートで会う機会があっても、イギリスは決してフランスの半径1メートル圏内に近寄ろうともしなかった。数十年間、一度もだ。貞淑にもほどがある。
それだけ、相手の女に入れ込んでいたのだろう。
イギリスが来ただけでパリの空を泣き出させてしまうほどに。
どんな言葉をくれてやればいいのか少し考えて、フランスはいたわるように笑ってみたのだけれど、口元の表情筋が痙攣しただけの、笑みとは呼べないお粗末な顔にしかならなかった。イギリスをなぐさめてやろうなんて、慣れないことはしてみるものじゃない。
とりあえず、まあ。
「おかえり、イギリス」
腕を引いて、たたらを踏んだイギリスを抱き寄せた。されるがまま、フランスの胸元に顔を押しつけられる羽目になっても、イギリスの口から抗議も悪態も飛び出すことはなかった。
ゆるりとイギリスの手が伸びて、フランスのシャツをぎゅっとつかんだ。
言葉よりも雄弁な、イギリスの仕草。
定期的に人恋しくなるのか、一般人の女の子と付き合ってはフランスと距離を置くくせに、破局した後はかならずフランスのところにやってくるイギリスだった。
離れていた反動のように、それからしばらく(といっても1日かそこらだが)はおとなしく、フランスのそばにいる。
憎さあまってかわいさ百倍、とでも言おうか。
またいつもの憎たらしいイギリスに戻るまでの、短い時間。これがあるからイギリスとは縁を切れずにいる。ダメな関係の生きた見本だなと思いつつも、気に入りのシャツに雨水がじわじわ染み込んでいくのが分かっていつつも、手を離せないでいる。
「俺、お前の相手の女の子に、嫉妬なんてしないよ」
「は……どんだけ自意識過剰なんだ、お前」
でも実際、イギリスは最後に自分のところへ帰ってくる。
「そもそも、立場が違うから。俺は彼女たちみたいに、お前の《一番》にはなれない。なりたくもないし」
フランスはフランス国民のためのものだ。イギリスだって同じこと。
「でも、お前が出会う誰よりも長く、俺はお前のそばにいてやれる」
誰よりも一番に、相手を愛することはできない。代わりに、誰よりもいつまでも、相手を愛することができる。
結局、イギリスにはフランスしかいない。またはその逆に落ち着いてしまうという、ぞっとしない結論にたどり着くのだ。
泣き濡れたまぶたにキスを落とせば、くすぐったそうにまばたきする。しおれた髪を撫でてやると、胸元に押しつけられる、幾分体温が戻りはじめている頬。
ああ不毛。なんという甘美。
だいたい、フランスが嫉妬する相手は、とうの昔にこの世を去っている。嫉妬しようにも、相手がいないのじゃあ仕方がない。
イギリスが執心した女の子にはいつも、多かれ少なかれ、《彼女》の面影が見え隠れする。どこか、似ている。
私は英国と結婚しましたと、そう言い残した彼女に。
「ほんっと、しょうがないよなぁ」
「ああ、お前がな」
「イギリスお前にだけは言われたくねぇな!」
「うるせぇくそ髭」
「ああっそうそれ!そのどうしようもなく汚らしいスラング!お前の口からそれが聞こえてこないと、なんか調子狂っちゃうんだよ」
「喜んでんのか?このマゾヒストめ」
ややこしい感情が綯い交ぜになって、嫉妬なんてガラにもない感情まで味わって。だから、たまらない。
「元気になった途端にこれか……」
「文句あんならこの腕放せよ」
「いやだね」
「ん」
抱き合って、交わす言葉は甘さのかけらもない。
うるさい口はくちづけでふさいでしまえ。
ああまるで、ブラウン管で観たチープなメロドラマみたいじゃないか。
End.
作品名:soap opera 作家名:美緒